第26話 【 閑話 】ギカン族の娘『 ユリカ』。 

 その日私はいつものとおり、我が家の羊8頭の群れを引き連れ、水場へ移動していました。

 水場に着いた時、草かげから急に飛び立った鳥に驚いた子羊が走り出し、それを追って魔の森の近くまで来てしまったのです。

 子羊は、少しの距離を走れば疲れて走るのを止めるのですが、私もこのところ満足に食べていなくて、ふらふらで追いかけるので、なかなか追いつけなくて。

 子羊が止まったので、ホッとして近づいて行くと、子羊の傍に誰かいます。

 一人だけのようです。危険は無さそうなので声を掛けました。


「どうしたのですか。どこから来たのです?」


「魔の森を抜けて来た。ほとんど何も食べていない。」


 確かに、顔がげっそりしていて、何も食べていない様子です。立っていますがなんとなく、ふらついています。

 どうしよう。私は懐にある今日一日分のチーズを頭に浮かべて考えました。ふらついている私を見て、お腹が空いたら我慢せずに食べなさいと、母が持たせてくれたものです。

 もしこの人に全部あげちゃうと、私の夕餉の分もなくなります。それに、子羊を追いかけてお腹が空いて我慢できないほどです。

 考えた末、4欠片のうち1欠片を口に入れ、残りを差出しました。

 1欠片を口にすると、もっと食べたくなりましたが、私よりこの人がお腹を空かせていると堪えました。


 あっという間にチーズを平らげた男の人に、お礼を言われて聞かれました。


「ありがとう、きみのなまえは? どこの村に住んで居るの?」


「私は、ユリカ。ギカン族の娘よ。部族のいるところへ案内するわ。ついて来て。」


 それから、彼と羊達を連れて部族のゲルがある集落へと帰りました。

 長老にどうしたらいいか聞くために連れて行くと、やはり部族で面倒を見ることはできないから、私が面倒を見なさいと言われました。


 彼を私の家族のゲルに連れて行き、母に事情を話すと、母はちょっと困った顔をしましたがそれでも彼を受け入れてくれました。

 貧しい夕餉に、母は自分の分のチーズを彼に与え、私と共に野草のスープだけです。

 もし私が昼間にチーズを食べてしまったら、自分の分を半分、私に与えてくれたでしょう。

 

「申し訳ない、もしかして俺のチーズは、母御の分ではないのか? 」


「大丈夫よ、私は1食ぐらいチーズを食べなくても。ユリカもがまんね。

 今、部族の食事は一人一日、チーズが4欠片の配給なんです。

 冷夏の不作が酷くて、農耕の民も困窮し羊毛や革製品と食糧が交易できないんですよ。」


「こんな量で足りるのか? 」


「足りる足りないではありません。これしかないのです。ただ、王様が他国から食糧を購入するので、それまで耐えよと言われています。」


「それができなければ、どうなるのだ。」


「あと1〜2ヶ月経てば、羊を殺して食べるしかありません。羊は家族なので、殺したくないのですが止むを得ません。

 だけど、来年秋が来たとしても、羊がいない私達には、交易するものもなく羊の乳もチーズも作れず、飢えて死ぬ未来しかないのです。」


 母からそんな話を聞き、彼は驚き悲しそうな顔をしていました。

 次の日の朝、夜が明けないうちに出掛けた彼は、2羽の雉を持って帰りました。

 一族の戦士達でも、なかなか狩れない獲物です。弟や妹が大喜びしていました。

 でも母は、2羽の雉を小分けにして、周りの10家族に分け与えました。

 朝餉にその雉肉を皆んなで一串ずつ食べると彼は、王城へと向けて旅だったのです。




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 彼が旅だってから一月半、いよいよチーズも足りなくなり、来週には羊を殺さなくてはならないと部族長から話があった頃、王城の兵士が荷駄を引いてやって来た。

 魔の森の魔牛を狩り、その肉を運んで来てくれたのだという。今後も狩りを5日ごとに行うから、一族の戦士で町まで受け取りに来るようにとのことだった。

 その日は、皆んなに分厚い魔牛のステーキが振る舞われ、部族一同が歓喜に見舞われた。

 肉はすぐ食べる以外は干肉にして保存した。

 

 この魔牛を狩るために、王城の騎士団総出で戦いを繰り広げているそうで、罠やバリスタ、そして、多勢で囲んで槍で倒す戦いの様子を、部族の皆んなが、まるで叙情詩のように聞いていました。そして感謝しました。


 さらに、その騎士団を指揮している人物がナルト王国の王子で、旅の途中に幾つかの部族の世話になり、特に、ギカン族のユリカの家族に感謝していると聞いて、胸が熱くなりました。

 ああ、あの人が恩返しをしてくれた。それもたとえようもないくらいの恩として。

 それから私は、部族の皆から褒め称えられてすっごく恥ずかしい思いをしたけど、さすが母さんの娘だと、母さんが褒められたのはとても嬉しかった。その傍では、弟と妹も嬉しがってはしゃぎ回っていました。



 魔牛の肉が届くようになって3週間が経ち、部族の皆んなと羊の群れに草原で餌を食べさせていると、突然、誰かが空を指差して叫び出しました。

 指差す方の空を見上げると、見たこともない大きな楕円形の船が、ふんわりと浮かんで緩やかに向かって来ます。

 そして、見る見るうちにゲルの近くに寄り、降りて来ました。よく見ると底の方に人がいて手を振っています。

 敵意がないことを知らせているのでしょう。


 地上に着くと、男女二人が降りて来て、部族の皆んなに向けて言いました。


『我らは、バルカ帝国の王城の要請を聞いて、トランス王国から、食糧を運んで来た者だ。

 済まぬが、皆で積んで来た食糧を運んでくれぬか。全てこの部族のものだ。』


 それを聞き『わぁ〜』と歓声を上げ、皆で走り寄った。

 荷物は、小麦粉や蕎麦粉、とうもろこしの実何種類かの芋の袋と、そして、塩や胡椒、砂糖まであった。

 乗って来た男の人は、病人や怪我人を診て、薬や手当をしてくれた。

 運んで来てくれた女性は、部族の女衆を集めると、フライパンや鍋でパンを焼いて見せた。

 その他、野草のスープに調味料で味を付けてこれまでに飲んだことがないスープを作ってくれた。

 子らは甘い飴を貰ってとても嬉しそうです。


『私達は、すぐに又帰って来ます。次は野菜や種、油や陶器を持って来ます。

 それから、皆さんの欲しいものを聞いて、それもできるだけお持ちします。』


 そう言い残すと、再び空の彼方へ去って行きました。私達には、その二人がまるで天の遣いのように思えました。




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 それから、わずかしか経たないうちに、再び飛行船がやって来ました。

 今度は、食糧を運んで来たのではなく、王城のお役人が来て、冬に野菜を栽培する建物を建てたり、パン焼きや料理を広める人達を募集に来たそうです。

  

 そしてその中に、見知った人がいました。


「ユリカっ、あの時はありがとう。ユリカは、命の恩人だ。

 お母さん、食べ物は足りた? あの時に食べさせてもらったチーズの旨さは忘れません。

 えっと、これは貰い物だけど、トランス王国のチーズだよ。牛の乳で作ったチーズだ、皆んなで食べて見てっ。」


「ありがとうございます。あの時のお返しが、何倍にもなって帰ってきましたわ。おかげで、子供達も祖父母も餓えないで済みました。」


「そうだ、ユリカ。パン焼きを教える者を募集に来ているんだ。鍋じゃなく、竃で焼くとふんわり柔かいパンが焼けるんだ。

 焼き方を覚えて、部族の皆んなに教える役さ。帝都まで来てもらうけどね。」


「えっ、私でいいんですか。行きたいです。」


「あら、兄さま。この綺麗な方はだあれっ。

 兄さまも、意外と隅に置けないのねっ。」


「ちっ、違うよシルバラ。この人はユリカ。

 俺が魔の森を抜けた時に、助けてくれた命の恩人だよ。

 ユリカ、俺の妹のシルバラだ。」 


「はっ、はじめまして、シルバラ様っ。ユリカと申します。」


「うふふ、様なんて付けないでっ。ユリカさんの方が年上でしょう。末長くよろしくお願いしますねっ。」


「おいっ、なんだよその挨拶はっ。」


「あらっ、女の感よ。感っ。兄さまは、細かいことは気にしなくていいのっ。」


 そんなっ。なんか勘違いされていると思って王子様を見ると、赤くなっていて、それを見たら私まで、なんか赤くなってしまいました。

 でもこの妹様。すごく天真爛漫で好きです。




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 飛行船というものに初めて乗って、初めて、見る空からの景色に見惚れて、驚きの連続で、初めて見る帝都にやって来ました。

 一緒に来た職人さんや女性達は、城下の宿に宿泊していますが、私はシルバラ王女様に懇願されて、帝城の一室に王女様と一緒に泊まっています。

 わかりますか、この驚きの超連続っ。もう、私の神経はズタズタです。

 これは夢に違いない、絶対っ夢ですっ。

 そう思ったけど、二日経っても三日経っても夢から覚めません。仕方なく諦めました。



 私や女性達は、煉瓦の窯でパンを焼くのを習いました。今までに食べたことのないふんわりとした柔らかなパンです。

 パンは、餡やジャム、クリーム、木の実や肉やハム、その他にもいろんな物を入れて、いろんなパンを作れると知りました。


 その講師は、なんとシルバラ王女様です。

そして憐れにも、なんとその助手が私でした。

 大切なことだから、もう一度言わせください。憐れな生贄の子羊は、この私でしたっ。

 シルバラ様は、パンの他にも、ピザやパスタ加えて、うどんや蕎麦打ちを教えられ、その度私が実践します。

 うどんや蕎麦は、皆に見られながら、練って布に包んで足で踏みました。

 うどんや蕎麦は不揃いに切って、悪い見本に晒されました。

 もう自棄になって、助手を務めました。王城の宿泊に、こんな罠があるなんて、夢にも思いませんでした。でもその代わり、蕎麦打ちなど一番上手くなったと思います。


 シルバラ様の罠は、それにとどまりませんでした。講習の中日の休日に、トリアス王子様に帝都を案内されたのです。

 二人切りですっ。傍から見るとまるでデートです。そして、王子の態度もまるっきりデートでした。

 まんまと、シルバラ王女の罠に嵌りましたが喜んでいる私がいました。


 私はユリカ。今、ギカン族の青春真っ只中にいる娘です。

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