第5話

※第4話と5話の間にR-18部がありますが、公開せず紙媒体でのみ閲覧できる形をとっております。18歳以上かつ高校卒業済の方で読んでみたい!と思われた方は、10/23(日)文学フリマ福岡、もしくは10/30(日)[.txt]にてお求めいただけますと幸いです。





 稲垣の部屋の洗濯機ではシーツが洗えないというので、休憩をしたあとに二人で散歩を兼ねて近所のコインランドリーに行った。なんとなく放れがたくて手をつないだまま洗濯籠を持って歩いた。

「……しばらく暇だぞ」

「うん」

 洗濯から乾燥まで長いと一時間半くらいかかるから留守番するか、と訊ねた稲垣に久世は行く、と答えた。情事のあとの気だるさに溢れた返事だった。自分の汚したものがきれいになるまで、きっちり見守りたいのかと思ったが、それとはまた別の理由もある気がして、稲垣は久世を連れてきた。

 硬貨を入れて回り始めた洗濯機を久世は待機用の長椅子に座ってぼんやりと見ていた。稲垣は「飲み物を買ってくる」と言って表の自販機まで飲み物を買いに行った。

「これでいいか」

「うん、ありがとう」

 久世は稲垣の差し出したスポーツドリンクを素直に受け取って口をつけた。

「……なみさん、」

「どうした?」

「俺の、子供のころの話聞いてほしいんだけど、」

 久世は稲垣の返事に関わらず、話を続けたそうだった。稲垣は続けてくれ、と頼んだ。

「俺、ちょっと年の離れた姉ちゃんが一人いて、小さいときから半分親代わりだったから、ずっと俺は姉ちゃんのものだと思ってたんだよね。姉ちゃんDomだったし」

「……ああ」

 Subの一部には自身の「所有権」を誰かに委ねたいと思う人間がいることを稲垣は知識の上では知っていた。

「だから、姉ちゃんが結婚するときすげーいやで、なんでずっと俺のことを『所有』してくれないのかって言ったんだけど、その時に初めて自分のSub性が一般から少しずれてるってことを知ったんだよね」

 久世はスポーツドリンクの蓋をもてあそびつつ、話を続けた。

「だからさ、さっきの、忘れてね」

「さっきの?」

「俺が全部あげたい、って言ったやつ。ちょっと、自制できなかった」

 久世の頼みに、稲垣はすぐに首を縦に振れなかった。

「……それに返事をする前に俺の子供のころの話も聞いてくれるか」

「? いいけど」

 稲垣は少しばかり緊張した面持ちで話し始めた。

「俺はずっと『自分のもの』を人に貸したり、一度もらったものを返さなければいけない状況になるのが苦手だった」

「そうなの?」

「今はかなり改善した。最初に苦手だと思ったのは、妹におもちゃを貸すことだった。幼少期はダイナミクス検査をする前だから、自分がDomだということはわからなかった。そのせいで、自分のこの性質を人にわかってもらうことも難しかったし、『扱いにくい子供』だったと思う」

 うん、と久世はうなずいた。

「……だから、さっきの言葉は聞けない。俺は、一度もらったものをなるべく返したくない」

「ほんと?」

「ああ。返せと言われた方が困る」

 稲垣の言葉に久世は泣き笑いの表情で「そっか」と返事をした。そして小さな声で付け加えた。

「じゃあ、そのまま持ってて」

「ああ」

 大事に持っておく、と言った稲垣に久世は「ありがとう」と礼を言った。稲垣の手が久世の腰に回った。冷房の効いた場所ではあるが、手を回された場所はじっとりと熱を孕んだ。

「あ、ボールペン」

「ボールペン?」

「覚えてない? 新人研修のころ、俺にボールペン貸してくれたと思うんだけど」

 久世の言葉に稲垣はしばらく考えてから「あ」と声を上げた。

「思い出した。確かに貸した」

「だよね。あの時、なんで貸してくれたの」

 苦手なことをわざわざ初対面に近い俺にしなくてもいいじゃん、と久世は言った。

「……多分、」

「多分?」

「ちょっと、いいやつだと思われたかった」

「へえ、意外。穂波さんそういうこと考えるんだ」

 久世の感想に稲垣は「失礼だな」と反論した。

「俺だってそれくらい考える。会社の同期の人間なんて下手したらこの先何十年も一緒に働くかもしれない。第一印象くらい良くしたかった……多分」

「あんまり深い意味はなかったってことね。ところで、ちゃんとボールペン返ってきたか覚えてる? 俺が覚えてなくて、どうだったかなって」

「俺も覚えていない。一応、俺の所持品の中にもランクがあって、そのボールペンは、おそらく間に合わせで買った一つだったと思う」

「もしかして、人に貸せるように予備のボールペン持ってたの?」

「今も持ってる」

「筋金入りだね」

 そこまで言って久世はいたわるように稲垣の背を撫でた。

「穂波さんは、えらいね」

「?」

「ちゃんと自分と付き合えて本当にえらい。そういうとこ、好きになったんだよ」

「……ありがとう」

 稲垣は久世の腰に回した手でとんとんと小さく久世の腰を叩いた。久世はそのスキンシップにくすぐったそうに身をよじった。そして言葉を続ける。

「穂波さんもだけど、俺もあんまり今まで長いお付き合いしたことないから、お互いを放り出さないように、なるべくがんばろうね」

「そうだな」

 一度許してくれた相手を放り出すことなど稲垣はしないのだが、それも時間をかけてわかってもらえたらいい、と思った。

 洗濯機の中で回っていたシーツは徐々に回転数を落としていた。洗濯の残り時間もあとわずかだ。洗濯機が止まったらすぐにでもシーツを乾燥機に移した方がいいのはわかっていたが、どちらもなんとなく立ちあがれないままじっと二人で身を寄せていた。

 店の中には、夏の夕暮れの橙の陽が差しこんで、二人の影を熱く長くしていた。

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