かくて再び旅路は続く(シーズン2・終)

「……」


 鎧武者は、蒸気じみた息を吐いた。己の抱いた怒りをすすぐためとはいえ、誠に忍びなかった。一度冷静を取り戻せば、無体を働いたという感想のみが湧き上がる。

 鎧武者は八十四番の首を丁重に抱え、土塊を払った。目を閉じてやり、身体のそばへと安置した。せめてそこまでしてやらねば、とても気が済まなかった。


「終わり、ましたな」


 遠くで高みの見物に徹していた忍者が、近寄ってきた。鎧武者は、陽炎を強めた。彼への怒りは特にはないが、さりとて味方でいる理由もなくなった。ならば、なにが起こるであろうか?


「と、と。拙者にもはや敵意はないでござるよ。ただし、翻弄され、見事に結社殲滅のダシに使われた仕返しでしたら……」


 忍者が言葉を一拍置き、胸元から爆弾を取り出した。蘭学のそれではない。古風な、球体型の爆弾だった。導火線には、すでに火が付いている。鎧武者は、大太刀を振るった。だがそれよりも早く、爆弾が地についた。


「追々引き受けるでござるよ」


 爆弾が爆ぜる。鎧武者は身をよじり、目や頭部を守った。ある種の、生存への本能だった。土や砂が弾け飛ぶ中、鎧武者は衝撃が収まるまでは守りに徹した。そして目を開けた時には、忍者の姿はかき消えていた。


「……」


 鎧武者はしばし、周囲を見回した。広がるのは、草木も生えぬ山肌ばかりだった。鎧武者は軽く、息を吐いた。蒸気じみたそれではなく、ただの嘆息である。

 鎧武者は、無言のままに山を下りた。連れ合いもないその行為は、まことに静かだった。しかし下山を済ませれば、不意に騒擾の音が聞こえた。ヒィーハァーとざわめく音、弱者の嘆き声。またどこかで、無法が行われている。


 ヒヒィン……


 愛馬のいななきが聞こえてきた。鎧武者は理解する。無法を砕く、常の旅路が戻ってきたのだ。


「っ」


 鎧武者が愛馬にまたがる。あぶみを使って、馬の腹を蹴った。そのまま弓を構えると、ひょうっ、ふつっと矢が空を駆けて行った。


 ***


 鎧武者も見えぬほどの遠くの荒野で、忍者は小さく息を吐いた。


「くわばらくわばら、でござるなあ」


 遠くを見ながら小さくつぶやく。口元の布は、汗にまみれてひどく濡れていた。


「あの中を突っ切られていたらと思うと、気が気でなかったでござるよ」


 忍者は胸をなでおろす。彼にとっても、あの爆弾は賭けだったのだ。仮に鎧武者があの中を突っ切るほどの強靭さを持ち合わせていれば、己はたちまち大太刀の露となっていただろう。分身は間に合わないだろうし、体術でかわすにも限度があった。ほんのわずかな速度の差が、忍者の命を救ったのだ。


「ともあれ、江戸には帰らねばならんでござるなあ」


 忍者は布を口に巻き直し、小さくぼやいた。物質転送装置の行方の確認。盗み出した蘭学者の回収。己の任務は、あの場で果たされた。転送装置のすべてを破壊した訳ではないが、接続されていたであろう拠点は崩壊した。

 もし、別所に繋げて扱えるような蘭学者が、この荒野に潜んでいたら? それは起こり得なくもないが、また別の話になるだろう。現在の己とは、なんら関係のない話だった。


「鎧武者どのとは、また会うことになるでござろうな」


 風聞通りだった、かの者を思う。まことに雄々しく強く、最後にはすべてを打ち破る素晴らしき武者振りであった。現時点では、幕府に敵対する意図は皆無と見ている。しかし。


「拙者も垣間見たあの風景。荒れ野。無数の死骸。壊れた武具。あの風景が、実際に存在したことがあるとすれば……」


 忍者は歴史を振り返る。あの蘭学大爆発ルネッサンス以後、一度だけ大戦が発生したことがあった。それは、将軍家を僭称した不届き者を成敗するための戦……だったとされている。


「……いずれ、またまみえるのやもしれぬでござるな」


 歴史を振り返って浮かんだ嫌な想像を、彼は首を横に振って打ち消した。あの大爆発ルネッサンスでなにもかもが変わったとしても、将軍家だけは、公儀だけは絶対に在る。その現実にすがるのが、彼にとっての正解だった。


「行くでござるか」


 忍者は地を蹴り、飛び出していく。後にはもう、草木も生えぬ荒野ばかりが残されていた。

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蘭学荒野の鎧武者 南雲麗 @nagumo_rei

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