洗脳ですか? いいえ、意志の剥奪です(それを洗脳というのでは?)

「さて、目的が定まったところで敵の拠点が分からねば滅ぼしようもないわけにござるが」


 仮初の盟約が結ばれた直後、忍者は一枚の絵図を開いた。すると、蘭学荒野の克明な地図がそこには描かれていた。


「……幕府をナメるなでござる。蘭学荒野に治世は及ばずとも、その地勢まで把握していないわけではござらぬ」


 鎧武者からの驚きを受け取り、忍者は布の中で口角を上げた。彼は胸元から筆を取り出し、幾つかの箇所に印をつける。地図はこの件にあたって授かった私物であり、どのように扱っても問題はなかった。


「こちらの印が、おそらく八十四番の蘭学女中――『物質転送装置を使用していると思しき、蘭学女中メイド服の娘』――の出現した地点でござる」

「……」


 鎧武者が黙っているのを見て、忍者は言葉を続けた。筆を使い、さらりと円を描く。多少の歪みはあるものの、それなりにきれいな円周が仕上がった。


「こうして見る限り、出現地点はバラバラのようにも見えるでござる。しかし……よく見れば、四方の端では円を描けるのでござるよ」

「む……」

「つまるところでござる。彼女が自力で移動している限りは、円の中心近辺が根拠地と見ていいのでござる。そして」


 忍者は筆を、ある一点に置いた。そこは山地であり、それなりの高さの山が居並んでいた。


「これみよがしに、山が並んでおるでござる。この内の一つが、彼女の根拠地と予想しても無理はないでござるよ」

「……」


 鎧武者の首が、縦に動いた。忍者は筆をしまい、地図を懐に戻す。


「とはいえども歩きで数刻は掛かる地でござる。ついでに山々をしらみつぶしとでもなれば……休みの時間は終わりでござるな」


 忍者が立ち上がる。鎧武者もそれに応じた。気が付けば、鎧武者の馬が近くまで来ていた。鎧武者は馬の背を叩き、忍者の目を見た。【心通し】の効能により、それだけで忍者には鎧武者の考えが伝わった。


「駆けても構わぬと、申すでござるか。承知したでござるよ」


 忍びと武者が、うなずき合う。二人は一斉に地を蹴ると、茫漠の荒野へと姿を消していった。


 ***


 二刻ほども駆けると、荒野はすっかり夜を迎えていた。いかに忍者と鎧武者といえども、休まなければ身体が疲れる。闇の中では、昼よりも細かい違和感を見落としてしまう。敵拠点の捜索は、翌日へと持ち越すことになった。


「もうすぐ例の山脈にてござるが……ここまでは順調でござったな」

「……」


 鎧武者はうなずき、同時に周囲を見回した。念には念を入れて、火はたいていない。鎧武者も忍者も、多少の寒さには慣れていた。敵の気配はないようだと、鎧武者は視線を戻した。


「そしてこの先でござるが……。おそらく、我々の存在は敵手に割れていると思っていいでござる」


 鎧武者から同意の波長を受け取り、忍者は大きくうなずいた。ここまで妨害がなかったことが、奇跡と言っても過言ではない。策略でも秘めているともなれば、話は別なことになるのだが。


「定石であれば二手に分かれたほうが手っ取り早いでござるが、敵が集団戦を仕掛けてくる可能性もあるでござる。従って、同じ箇所をくまなく探すほうが得策と考えているでござる」


 忍者は、安全策を提案した。鎧武者はしばし沈黙したが、結局は同意した。もはや話すことはない。敵が攻め寄せてくるならば、打ち倒せば良い。二人の認識は、基本的には一致していた。後は張り番を決め、英気を養えばいい。忍者がそう考えた時である。突如鎧武者が、強引に忍者を伏せさせた。


「なにをするでご……」

 バスッ!


 すんでのところだった。直前まで忍者の頭部があった箇所を、一発の銃弾が通過していったのだ。否。その一発は、始まりにしか過ぎなかった。


 バスバスバスッ!

 ターン! ターン!


 にわかに鳴り響く発砲音。忍者も鎧武者も、回避に徹せざるを得ない。鎧武者の馬が銃弾に晒され、悲鳴をあげる。そのいななきが、闇に潜む敵勢を動かした。


「あれは……」


 忍者が息を呑む。鎧武者からも困惑と臨戦の波長を受け取った。闇によく混じる黒衣の集団が、匍匐ほふく前進で迫って来たのだ。しかも全周からである。いつの間に、囲まれていたのか。

 困惑の間にも、謎の敵はいよいよその姿をあらわにしていた。中腰へ、やがて立ち上がる。白い前掛けエプロンが、かの者たちの所属を明確にしていた。目には異様な装置を付けている。視覚補助の蘭学装置かと、忍者は当たりをつけた。


「ごきげんよう。私は蘭学女中の八十四番。【ご主人さま】の命令に従い、あなた達を『おもてなし』させていただきます」


 一人が立ち上がり、平板な声を上げる。すると中腰の全員が立ち上がり、両の手に蘭学脇差ナイフを構えた。


「くっ……」


 忍者は後手に回されたことを悔やみつつ、両手にクナイを握った。その脳裏では先ほどの、聞き覚えのある声がこだましていた。

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