夜間・包囲戦・無情の危機
八十四番の放った、異常なほどに平らかな声。それに対する困惑は、鎧武者からも放たれていた。忍者は視線を切らぬようにジリジリと下がると、鎧武者の背中にピタリとついた。
「跳ねっ返りが、【ご主人さま】とやらに調教を受けた……と考えるのが妥当でござるな。まずは周りから……っとぉ!」
鎧武者との打ち合わせも成り立たぬまま、二人は
「四十八番」
「三十九番」
無機質な名乗りから、巧みな連携攻撃が襲い掛かる。一人が上からなら下。右からならば左と、息の合った展開を見せ付けてきた。両のクナイでそれらをさばきながら、忍者は相棒を見る。大太刀一本の鎧武者は、蘭学女中に対して四肢まで振るって抵抗していた。複数方向からの攻撃というのが、どうにも厄介にさせているようだ。わずかな苛立ちが、伝わって来る。
それもそのはずだ。己と例の八十四番に接触してからというものの、あの鎧武者は一度も戦況を意のままにできていない。むしろ、どちらかといえば後手に回っている印象だ。もしも己が同じ立場であれば、とっくに痺れを切らしているだろう。
「やるでござるよ」
小さくつぶやき、忍者は加速する。その身体が、三つに分かれた。否。正確には三つに見えるというのが正しい。分身は、彼らにとっての体術の極致だった。
「え」
「あ」
極限の体術によって強引に人数を逆転させられた蘭学女中の二人。最初こそ抗ったものの、徐々に忍者の手数と勢いが増していく。やがて――
「くっ!」
「ああっ!」
一人が腕を押さえ込まれ、一人が蹴り飛ばされる。いかに
「四十三番」
「二十二番」
「五十七番」
三分身に対して二人では無理と見たのだろう。八十四番の
忍者は押さえ込んでいた方の蘭学女中を蹴飛ばして応戦するが、逆に確保され、活を入れられてしまった。これにて四対一。三分身は未だ生きているが、精神力の消費が激しくなる。その上、敵はまだまだ戦力を残している。すなわち、このまま戦ってもじわじわと削られていくばかりである。事実、鎧武者もいつしか取り囲まれていた。分断は、あまりにも滑らかに行われていた。
「これが、『おもてなし』でござるかよ……」
布の中で口角を引きつらせ、忍者は軽口を叩いた。脳内では今も、打ち手を幾つも探っている。ヤケを起こせば終わりだと、己を戒めていた。
「敵に対する『おもてなし』とは、封殺。そして殲滅であると愚考いたします」
八十四番が、平坦な声で返してきた。二度の激突時に見えた快活さは、今はどこにも見られない。
「ならば、全ての蘭学女中を叩き込めばいいと思うでござるよ。拙者なら、そうするでござるな」
「なるほど。戦力の逐次投入を批判されるわけですね。道理はありますが、却下します。【ご主人さま】より頂戴いたしました戦力を、無碍にすり減らすのは不忠にあたりますので」
忍者の挑発を、柳のように受け流す八十四番。忍者はいよいよ、苦笑を深める。二の矢三の矢がいる以上、大技には打って出にくい。全弾振り切ってくれた方が、まだやりようがあった。これはいよいよかと思った、その時だった。
ドクン!
心臓が跳ねる。脳裏の思考を蹴散らして、強烈な波動と凄惨な心象風景が飛び込んでくる。背中では、熱を感じていた。振り向きたいという、強烈な衝動が内側から沸き起こっていた。
「鎧武者どの?」
「……あくぎゃく……ほろぶべし」
衝動を抑え込みながら、声をかける。脳裏の風景が、未だに忍者をさいなんでいた。【心通し】を切ればどうにでもなるが、今それを行うのは下策だと、直感が訴えていた。
「おんっ!」
うなされるような言葉の直後、鎧武者が陽炎を噴き上げた。幽鬼じみた陽炎が爆発し、忍者も蘭学女中も吹き飛ばされる。その隙に、鎧武者は大太刀を振るった。武者の前面を占めていた二人の蘭学女中が、いともあっさりと胴を斬られた。
「断」
鎧武者から、声のある言葉が続く。次は陽炎にたじろいだ女中が死んだ。脳天を唐竹に砕かれ、胸元までパックリと割られたのだ。
「ぐあああっ!」
忍者が叫び、膝をついた。脳を焼く怒りの波動に、耐え切れなくなってしまったのだ。そこに蘭学女中どもが飛び掛かる。
「殺!」
三度、鎧武者から意味のある言葉。いつの間に手にしていたのか、十文字槍が忍者の頭上で薙ぎ払われる。忍者を仕留めんとした蘭学女中どもが暴威に晒され、薙ぎ倒された。
「ぐっ!」
忍者は【心通し】を切断する。反動で血がこみ上げるが、強引に飲み下した。頭が痛む。今わかることは、鎧武者の怒りが沸点に達していること。それによって、蘭学女中の集団が遠巻きになったこと。この二点だけだ。状況が好転したのかさえ、忍者にはわかり得なかった。
「オオオッ!」
鎧武者が、一気呵成に蘭学女中の集団へ飛び込もうとした。しかし直後、武具ごと空中に吊られ、動けなくされていた。
犯人は、八十四番。再び髪を伸ばし、鎧武者を拘束せしめたのだ。武者は目を光らせ、陽炎を噴き上げて焼き切ろうとしている。しかしその髪は、異様なまでに強靭だった。
「……不確定要素の出現を視認。当方の損害を鑑み、一時退避します。お客様。これ以上踏み込まれるのであれば、次は相応の対処をさせていただきます」
「……」
忍者は黙したまま答えない。しかし目の光も消えてはいない。蘭学女中たちが下がっていくと、八十四番も鎧武者を解放した。武者は地面に落とされ、鈍い音を立てた。
「鎧武者どの!」
忍者が慌てて駆け寄る。今はあの噴き上げるような陽炎は消え、抜け殻のように遠くを見ていた。
「それでは、ごきげんよう」
八十四番の放つ平板な声が、忍者の耳にいつまでもこびりついた。
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