本作、結構ノープラン

 翌日。僧侶の予見はやはり的中した。どこから監視しているのか、移動開始からものの一刻程度で蘭学武装車の襲撃に晒されたのだ。そのうえ巧みなことに、江戸へ向かう道に対しては重点を置いて部隊を配置せしめていたのである。これには僧侶も、手をこまねくほかなかった。


「敵手は、完全に嫌がらせに徹しておりますな。そして江戸に向かわれるのは完全に困る、と」

「参りましたね……。夜も襲撃があり得るというのに……」


 鎧武者から借りた馬の上で、姫君は疲れを隠せずにいた。さもありなんと、僧侶は思う。ここまで逃げるだけでも一苦労だったろうに、昼夜問うこともなく襲われるともなれば、疲労の蓄積はいよいよ色濃くなるだろう。と、なれば如何にするのが最善か。


「小屋か集落の一つでもあれば、姫君だけでも休ませられるのだが……。どう思う、武者どの……やはりそう思われるか」


 鎧武者に聞けば、やはり苛立っていた。盛大に襲撃されるのならば対抗のしようもあるが、遠間からちらちらと顔をのぞかせる程度では、やはり打てる手は少ない。敵手は、鎧武者の弓の範囲まで計算していると思われた。


「うむ、うむ。なるほど。弓の届かぬように……。たしかに、それは面倒ですなあ」


 声なき言葉を交わす、鎧武者と僧侶。いつしか蘭学荒野の日は傾き、夕暮れ時が近付きつつあった。


「あ……」


 疲れから口を閉ざしていた姫君が、不意に声を上げた。彼女の視点は、馬の分だけ高い。なにか見つけたのかと、僧侶が目を見開いた。


「小屋です。一晩程度なら身を隠せるやもしれません」

「おおっ! 武者どの。急ぎましょう」

「……」


 鎧武者の首が、縦に動く。一行は足を早め、彼方に見ゆる小屋へと向かった。


 ***


「おお、おお。旅人どのか。よく来なすった。大したもてなしもできないが、ゆっくりしていくといい」

「かたじけない」

「ささ、茶でも飲むと良いですじゃ。武者どのもぜひ」

「……」


 四半刻ほど掛けてたどり着いた小屋には、住人がいた。しかし気の良い老婆であり、優しく僧侶たちを出迎えてくれた。ただし鎧武者は、外を見張ると出迎えを固辞した。さもありなん。外からの襲撃はいつでも起こり得る。


「とりあえず茶を入れますので、しばしお待ち下さいですじゃ」


 老婆が茶を用意しに別室へ向かう。その視界の端では、姫君と僧侶が緊張を緩めていた。老婆――否、雌狐御前の化け姿――は密かにほくそ笑んだ。


「くく……わらわの化けにかかれば、この通り……」


 御前は湯呑に薬を仕込み、茶を点てる。薬は遅効性の痺れ薬。効き目が出る頃には、時すでに遅しとなるだろう。鎧武者が表に居残ったのは痛手だったが、そちらにはもうすぐ白狼王が襲い掛かる手筈だ。


「後は姫君をさらうのみ……」


 手早く茶と薬を混ぜ、御前は優しい老婆の顔へと戻る。客間へとつながる扉を開ければ、作戦の成就は目の前へと迫っていた。


「茶が出来ましたぞい」

「かたじけない」

「ありがとうございます」


 老婆に出された茶を、僧侶と姫君は警戒することなく飲み干した。小屋に入って気が緩み、疲れと喉の乾きを自覚したことが、そうさせてしまった。


「美味しい……」

「そうじゃろうそうじゃろう。ゆっくりしなされ」

「本当にありがとうございます」


 悪がほくそ笑んでいるとも知らず、姫君は老婆に頭を下げた。花咲く年頃の姫君の所作は、本当に美しい。しかし魔の手は、気付かぬ内に牙を剥く。


「ほれ、これも食べなされ」


 老婆が今度は鍋を出す。これは教団から持って来た材料で作った、本物の鍋だ。策略というのは、ほんの少しだけ仕込むだけでよい。この場合は、変装と薬がそれにあたった。


「外のお武家さんは良いのかえ? あのお方も疲れてるじゃろうに」

「武者どのは言い出したら聞きませんからな。おそらく、ご自分でどうにかなさるでしょう。おお、これは美味い!」


 老婆の問いをかわしながら、僧侶は鍋を頬張った。姫君もつられて頬張る。二人の警戒は、完全に緩んでいた。そしておかわりを老婆に要求せんとした時――


「っ……!?」

「お坊様!? っ!」


 ついに二人を、強烈な痺れが襲った。両者ともに椀を取り落とし、身体が崩折れ、ヒクヒクと床に這いつくばる。その惨状を見て、老婆――否、雌狐御前は正体を現し、高らかに笑った!


「オッホッホッホッホ! わらわの罠、そのお味はいかがかしら? さあ姫君よ。わらわとともに、霊峰富士へと参りましょう」

「お、おのれ……あなたは……あの時の……」

「今頃気付いてももう遅い。さあ、降りてくるのよ!」


 頭巾で顔を隠した雑兵ども――雌狐御前の忠実な手下が屋根裏から降りて来る。僧侶は抵抗せんと這いつくばったが、角材で殴られ、気を失った。


「お、のれ……」

「はな、し、なさ、い……」


 強烈な痺れが、二人から言葉を奪う。姫君は手下に担がれ、裏口から連れ去られていく。しかし不思議である。これほど騒げば、表から鎧武者が現れるのではないか? しかし鎧武者は、すでに危地に陥っていた。


「フッフッフ。三戦士最速最強の味はどうだぁ?」

「……っ」


 小屋の外、わずかに離れた場所。白狼王が鎧武者を翻弄し、振り回される大太刀を俊敏にかわしていた!

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