いつの世でも怪人は敵将のたしなみ

「シューッ!」


 異様な雄叫びを上げ、蝙蝠卿を名乗りし奇人が、蘭学荒野の夜空を駆け下りてくる。あまりの速さに、鎧武者は一手遅れた。一瞬弓を掲げたのが、命取りになったのだ。


「っ!」

「任された! 破邪顕正!」


 視線と言葉で後を託された僧侶が姫君を守り、結界を構築。これには蝙蝠卿もたまらず上空へととんぼ返りした。


「なるほど、法力僧ですか……。つまりあの空間を構築したのも貴方……っとぉ!?」


 推察の弁を走らせる蝙蝠卿。しかしすぐさま鎧武者の矢が割って入った。それも一発ではない。二発、三発と、強弓が飛ぶ。かわしはするものの、先ほどのような攻勢には移れない。しかし鎧武者にもそれ以上の攻め手はない。空に駆け上れるわけでもない。つまるところ、互いに決め手を欠いた状態だった。


「とはいえど、でございます。吾輩はそもそも姫君、聖女様を連れ帰ればよいのであって、貴方がたの撃破など二の次でございます。そもそも、聖女様をあの集落から逃がしてしまった時点で我々の落ち度。此度はすすがせていただきます!」


 蝙蝠卿が両腕を、蝙蝠羽を大きく広げる。すると羽の端々に雷電が踊った。その姿に、今度は姫君が声を上げた。


「あなたは! あの日村に現れた……」

「ええ、ええ。三賢者を名乗り、貴女さまの村を騙し討ちにした張本人でございます。アレで決着がつけられれば良かったのですが、機転の利く殿方が貴女さまを逃がしてしまわれたので、それはもう大変でございました」


 蝙蝠卿が慇懃な声を上げると、今度は姫君が激昂した。僧侶の結界に守られながらも、怒りの声を伝えていく。


「許さない! わたくしはあなたを……あなたがたを……!」

「ああ、それはありがたい。我々はこれより大望を為す者。望みを果たさんとするならば、多少の恨み程度、この身に受け止めねばなりませんからな! 恨んでいただいて結構! 飲み干して進まん!」


 いよいよいや増す稲光。夜空を照らし、互いの姿を映し出す。鎧武者が盾に立ち、十文字槍を構える。僧侶と視線を交わし、攻撃に備えていた。


「行きなさいっ!」

「っ!」


 稲光が放たれる。鎧武者が、槍を大上段に振り上げた。蝙蝠卿は見る。雷光の着弾した瞬間、土塊つちくれが弾けた。それに紛れて、僧侶が姫君を連れ去っていく。


「チイイッ!」


 蝙蝠卿は、右手の五指から雷光を放った。なんとしても、あの姫君だけは回収せねば。しかし僧侶が体躯でかばう。舌を打つ。その一瞬が、鎧武者に隙を与えていた。


「オオオッ!」

「なにいっ!?」


 大具足にはあるまじき渾身の跳躍が、鎧武者の身体を蝙蝠卿の高さにまで跳ね上げていた。駆け上れはせずとも、一度だけなら追い付くことはできる! さながら義経の八艘飛びじみた軽快さで、鎧武者は蝙蝠卿を地面へと叩きつけた!


「チェエエエッ!」

「ッ!」


 しかし蝙蝠卿は落ちない。叩き伏せられてもなお健在。左の五指を突き出し、着地せんとした鎧武者を掴み、直で電撃を浴びせに掛かる。そして同時に奥の手――彼は外つ国の某所、吸血鬼と謳われた者の一族だった――犬歯を首筋に食らわせんとした。だが。


「ぎえっ!? そなた、は」

「ハッ!」


 蝙蝠卿は見た。見てしまった。面頬と兜の間、常ならば決して見えることのない鎧武者の顔。それはさながら、しゃれこうべが、肉をまとったような――


 ザシュッ。


 そこまで思考したところで、彼は身体と寸断された。故国で蔑まれ、はるか東に渡り、邪教と蘭学改造に身を投じてなお。胴と首が分かたれれば死ぬという現実からは、逃れられなかった。


「きこう、は、ひと、なら……」


 途切れ途切れに、最期の言葉がかすれてこぼれる。されど、それは誰にも聞こえることはなかった。落ちた首の見開いた目を、鎧武者は、手のひらでそっと閉じてやる。その表情はやはり、誰からもうかがい知ることはできなかった。


「……やりましたな」


 僧侶の言葉に、鎧武者はうなずいた。かばわれた姫君は、呆然と二人を見ていた。しかしその身体に傷があるとみるや、両の手を二人に向けて差し出した。


「あの……もしよろしければ」


 手をかざす姫君。そのたなごころには、心なしか、温かな光が灯っているように見えた。


「やあやあ。これはかたじけない」


 僧侶は悠々とそれを受けた。すると不可思議なことに、傷がみるみると治っていくではないか!


「おお、これは……」

「……後でお話いたします。ここに至るまでの、全てとともに」


 一旦言葉を濁す姫君に、僧侶はうなずいた。もう片方の手を見る。鎧武者は、そこに触れようとはしなかった。


「武者どの?」

「……」


 僧侶が視線を合わせると、鎧武者は顔を伏せ、首を横に振った。僧侶は耳をそばだてる。鎧武者の、声なき声を聞き取っていた。


「ああ、なるほど……。姫様、相済みませぬが、武者どのにはお手元の光、少々ようでございます。最悪、己が己でなくなってしまうとのこと」

「そうでございますか……」


 姫君は伏し目がちに手を下げ、光を消した。いつしかそのかたわらに、馬が寄り添っていた。よく見れば、鎧武者のそれであった。


「武者どのいわく、『乗れ』とのこと。いずれにせよ、少々駆けねばなりませんからなぁ」


 僧侶は空を見上げる。未だ月が煌々と光り、空には星が満ち満ちていた。未だ夜は始まったばかり。彼らの先行きはほの暗かった。

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