そういう方向の力がある者は鎧武者とも会話ができるとかなんとか

 蘭学荒野を、カラスが飛んでいる。それ自体は、大いに有り得る光景だった。彼らは時に死体をついばみ、時に集落の塵芥を喰らって生きている。決して違和感のある光景ではない。

 しかしカラスをよく見て欲しい。蘭学知識に造詣の深い者であれば、一瞬で気付くはずだ。そう。このカラスには、蘭学改造が施されているのだ。限りなく普通のカラスに偽装されているが、片目が蘭学映写機カメラに改造され、いずこかに映像を送り届けているのだ。

 事実、飛び方もどこかおかしい。同じ箇所を、幾重もぐるぐると回っている。おそらくは脳改造を施され、映像の受け手から指示を受けているのだろう。しかしその飛び方からは、不出来が窺えた。目的の事物が、見当たっていないのだろう。カラスはしばらく飛び回った後、高度を上げて飛び去っていった。


「……カラス四号、九号、十三号。いずれもを発見ならず。おかしいですね。乗車車両撃破の報告から数刻。予想される行動範囲は、すべてくまなく探したはずなのですが」

「やはり蘭学改造したところで、畜生には限界があるか……」


 いずことも知れぬ地。洞窟を改造した根拠地にて、黒いローブをかぶった男どもが話をしていた。口ぶりからすると先のカラスの主であり、女性を追っていた者どもの上位に当たる存在のようである。


「……」

「どうした。まだまだ打てる手はあるぞ。状況は生き物だ。刻々と変わる。立ち止まってはならぬ」

「主任。どうにも気がかりなのです」


 主任と呼ばれた男は、部下の物言いに立ち止まった。一瞬考えた後、彼は話を手短に留めることを条件に抵抗を許した。ここで部下の気がかりを無視するほど、彼は狭量でも視野狭窄でもなかった。


「今回の作戦ですが、少々嫌な気配が漂っている気がしてならぬのです。『暗号よ』、すなわち【荒野の鎧武者】出現の可能性といい、現時点での対象喪失といい、いささか我々は急ぎすぎたのではないのでしょうか?」

「……それについては無理だ。どうしようもない。ときが迫っているのだ」

「占星術師の言う、日食ですか」


 うむ、と主任はうなずいた。


「我々に残された時間は後五日。その間に姫君――聖女をこの手に収める。さもなくば、我々の望みは遠く、時の彼方へと去るであろう」

「……」

「よって、立ち止まることは許されない。夜になったら蝙蝠卿に出張っていただく。もはや昼の雑兵に任せていられる段階ではない」

「承知しました」


 部下が引き下がるのを見送りながら、主任は大きく息を吐いた。【教団】の夜の軍勢を引き出す意味を、彼はよく知っている。昼の軍勢は、彼の同志たちは大きくそしられ、その勢力を落とすことになるだろう。だが、聖女さえ手に入れられれば。


「我々の、闇の、【でいもん様】の治める御世が到来する。その時こそ江戸を粉砕せしめるのだ」


 主任の目が、炯々けいけいと光る。自分たちを追い落とした江戸に、蘭学に復讐できる。そう信じたからこそ、【黒十字】の教えに身を投じたのだ。


「行こう。【でいもん様】の御世のため。なんとしても、聖女を……」


 主任は作戦室を去り、洞窟のさらに奥深くへと向かう。すべては、夜の軍勢に助力を請うためであった。


 ***


 その地は、蘭学荒野にあるまじき幽玄の森であった。川のせせらぎに、虫の声までもこだまする。そんな森の中の、少々開けた場所に、僧侶、鎧武者、女性の三人はいた。

 無論、蘭学荒野において天然の森など存在はしない。すべては僧侶が法力にて生み出した、幻の森であった。


「なるほどなるほど。武者どのは多対一の襲撃を目撃してそれを妨害せしめ、のち現地に到達して今際いまわの際にあった運転手どのと語り、懐剣を手にした、と」

「……」


 聞き取りをまとめた僧侶の言葉に、鎧武者の首が縦へと動いた。それを見て取った僧侶は、さらに問い掛けを続けた。


「貴殿が請け負ったのは姫君――こちらの女性どの――を守り、江戸へと送り届けること。で、あれば。我々は相争う必要が皆無だったのでは?」

「……」

「ふむ、相すまぬと。つまりそれがしを敵と誤認したと見てよろしいか?」


 逃げを許さぬ問い掛けに、鎧武者は観念したのか頭を下げた。しかし不可思議な光景である。見るからに、鎧武者と僧侶の間では会話が成立しているではないか。事実、姫君と呼ばれる女性はあからさまに困惑していた。僧侶のかたわらに寝かされながらも、怪訝な顔を隠していない。


「あの……」

「どうされた。眠らぬと力を蓄えられませぬぞ?」

「ええと。お坊様は、どのようにしてお武家様とお話を?」


 僧侶はわずかの間無言だった。しかし直後、したりと額を叩いた。これは確かに、説明の必要な問題であった。


「いいですか姫君。先ほどお見せした通り、それがしにはわずかながら法力というものがございます」

「法力」


 おうむ返しにされた言葉に、僧侶はしっかとうなずいた。信じ難いことが続いているであろうこの姫君に、さらなる負荷を与えはしないか。気を遣いつつも、彼は話を続けた。


「まあさっくりと申せば。こちらの武者どの、実のところ半分は幽世かくりよの者でしてな。それゆえに現世うつしよの者との会話が成り立たぬのです」

「はあ」


 姫君の反応はやはり鈍い。僧侶はさもありなんと思い、同時に己の力不足を疎ましくも思った。己に今少し力があれば、姫君にも鎧武者の声を聞かせることができるのだが。


「ですが。それがしには法力がございますゆえ、完全にとは言い難くも、大意を拾うくらいは可能なのです」

「……」


 姫君は考え込んだ。僧侶にもその意図は読めた。己の言葉が、信ずるに値するものであるか否か。疲れ、揺らぐ頭の中で必死に考えているのだ。そのいじらしさを思い、僧侶は手を合わせた。御仏に、彼女への功徳を願ったのだ。

 しかしそのささやかな願いは直後、悪夢へと変わる。びしりと空間が、割れたような音が響いたのだ。否、実際に割れた。僧侶たちはたちまち実際の座標――蘭学荒野の一角に引き戻されてしまった。そんな彼らの上空には、蝙蝠羽を付けた紳士然たる男が一人!


「雑兵どもがどうにも見つからぬとせがむので、この吾輩が来てみれば……。やはり詐術の手合いでしたか。ごきげんよう。吾輩、【黒十字会】の蝙蝠卿と申します。どうか、お見知りおきを」


 空中にて直立し、そして一礼。直後、紳士は姫君めがけて急降下を開始した!

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