第一章 縁切り神社の怪異⑬

 そして次の日。

 阿久津は出勤するなり朝一で京都市役所へと調査に行ってしまった。

 亜寿沙が昼前までかかって昨日の聞き込み調査の内容を報告書にまとめていると、役所から戻ってきた阿久津が自席にかばんを置くなりすぐに風見管理官のところへ歩いて行く。

 なにか手がかりでもみつけたのだろうか。

 気にはなるが、報告書もあと少しで書き終わる。

「よし。これでおわりっと」

 書き終えたところで、風見管理官と何やら話し込んでいた阿久津が自席に戻ってきた。まだ日が高いというのに、めずらしく早足だ。

「岩槻。木島晴美への任意聴取の許可が出た。すぐにアポを取ろう」

「え、よくすんなり許可出ましたね」

 いまは山際綾子の捜査の真っ最中。特異捜査係も聞き込み調査の分担を振られている。本来なら、山際綾子事件の捜査本部の一員として最優先すべきは聞き込み調査の方だ。

 木島晴美への任意聴取に行くということは一時的に捜査本部の仕事から外れるということになる。

 木島晴美は、いまのところ山際綾子事件とは何の関係もない人物。しかも、彼女に話を聞きたい理由は、縁切り神社のおんりようが彼女の名前が書かれた形代を落としていったからというとんでもないものだ。

 それなのに、よくそんなオカルト成分100%な理由で任意聴取が認められたものだと驚きを隠せず、亜寿沙は思わず風見管理官を振り返る。

 亜寿沙の視線に気づいたのか、風見管理官は小さくこちらに手をふってくれた。

 ついでにいうと、その手前にある強行三係の係長席では、腕組みした徳永係長が苦虫を何匹もかみつぶしたような顔でこちらをいまいましそうににらみ付けていた。

 もしかしたら、阿久津が風見管理官に怨霊だなんだと話して木島晴美への任意聴取の許可をとりつけていたのを聞いていたのかもしれない。

 阿久津たちが半日でも捜査本部の仕事から抜ければ、それだけ捜査本部の業務は多少なりとも遅れがでて事件解決が遠のいてしまう。と、まぁ普通ならそう考えるだろう。

 しかも抜ける理由が、怨霊ときたもんだ。

 いまいましく思いたくなる気持ちはわかる。亜寿沙は心の中でこっそり同情しておいた。

 一方、阿久津はそんな徳永の視線など気づいていないのか、もとより気にもしていないのかわからないが、早速、受話器を取るとどこかへ電話をかけはじめた。

 そして丁寧な言葉で誰かと話したあと、受話器を置くなり声を弾ませて亜寿沙に告げる。

「よしっ、アポ取れた。十八時ならあいてるそうだから、河原かわらまち近くのカフェで会うことにした」

 さすがに、まだ山際綾子事件と何の関係があるともわからない木島晴美を警察署に呼び出すわけにはいかない。だから彼女の職場近くのカフェを待合場所にしたようだ。

 そんなわけで、亜寿沙は阿久津とともにその日の夕方、木島晴美に会うことになった。

 待ち合わせたカフェに時間通りに行ってみると、既に彼女は席について抹茶オレを飲んでいた。

 事前に阿久津から聞いた話によると、彼女はきん財務局のまるまち事務所に勤めているのだという。

 阿久津たちに気づくと、木島は小さく会釈してくる。

「突然呼び出してしまって申し訳ありません。びっくりしたでしょう」

 阿久津がそう言うと、彼女は首を横に振った。

「大丈夫です。今日は何も予定はなかったんで」

 亜寿沙も彼女と当たり障りのないあいさつを交わしながら、内心「あれ?」と思った。

 面影や周りにまとう空気のようなものが、山際綾子と似ているのだ。

 山際綾子のことは、他の人たちから聴取した話や家族から提供してもらった写真からなんとなく雰囲気をつかんでいるだけではあるが、いま目の前で落ち着いた様子で話している木島の印象とどことなく重なる。

 木島はアイボリー色のニットのトップに、黒いフレアスカート姿だった。耳に揺れる小さな真珠のイヤリングが唯一のアクセサリーだ。

 穏やかそうで丁寧で、大人しい印象だった。

 それに阿久津たちが席につくとすぐにメニューを差し出してくれ、注文をとってくれるマメさに、やわらかな京都弁の響き。

 役所勤めだというのも、その様子から納得した。

 きっと普段も、市民に丁寧に対応しているのだろう。

 ひととおり挨拶が済んだところで木島の向かいに腰を下ろした阿久津が鞄から一枚の白い形代を彼女の目の前にすっと差し出した。

 それを見た彼女の表情が硬くなるのが亜寿沙にもわかる。

「私たちはいま、とある事件の捜査をしています。その事件では、被害者が安井金比羅宮、通称縁切り神社の形代を持っていたため、いま形代のことを調べているんです。この形代を書いたのはあなたですね」

 木島はじっと形代を見たまま数秒固まっていたが、しばらくして小刻みにがくがくと震えながら、緊張した面持ちでうなずいた。

「できれば、この形代を書いたときのことを教えていただきたいんです。もしかすると、そこに我々が追っている事件の手がかりがあるかもしれない」

 阿久津は木島の目を見ながら、しんな口調で頼む。

 隣に座る亜寿沙は、阿久津の話し方はずるいと内心思っていた。

 事件を追っているのは確かだ。被害者が形代を持っていたことも本当のこと。

 でも、そのことと、木島が形代を書いて縁切り縁結び碑に貼っていたことは何の関係もない。

 彼女の形代はあそこに貼られていた何百という無関係の形代と何ら違いはない。

 それでも、目の前にかつて自分が書いた形代を差し出され、事件の手がかりになるかもしれないから形代について話して欲しいと刑事を名乗る相手に言われれば、自分が何かとんでもないことをしでかしたのかもしれない、素直に話さなければ警察に捕まってしまうんじゃないかと心配になるだろう。

 それがわかっていてこういう聞き方をしているのだから、阿久津という男は見た目の駄目さと裏腹に、なかなか食えない人間なのかもしれないなと亜寿沙は思い直した。

 亜寿沙がそんな考えを巡らせている間にも木島はじっと睨み付けるように形代を眺めていたが、やがて小さく震える指で形代を自分の許に引き寄せて手に取ると、小さな嘆息を漏らした。

「たしかに、これは私が書いたものです。いまから、二年位前やったかな。そのころ、付き合ってた彼氏と別れたくて仕方なくて……」

「その彼って、ここに書かれている『鹿沢ホームズの彼』のことですよね」

 亜寿沙が手に手帳をもって尋ねると、木島はこくんと潤んだ目で頷いた。

「はい。……半年くらいやったかな。その人と付きうてたんです。そやけど、最初は優しかった彼が段々本性を現して、私をお手伝いさんのように使うようになって……彼の思い通りに料理や掃除をせえへんとぶたれることもあったんです」

「DVにあっていた、ということですね」

 手帳に聞き取った内容を書きつづりながら確認する亜寿沙の言葉に、彼女は「はい」とはっきり答える。

「それで別れたくなって、縁切り神社にお願いに行ったんです。そのおかげなのか、そのあとすぐに彼はどこか別の会社に転職したとかで、会うことはなくなってほっとしました。そやから、この形代を見て心臓飛び出そうなくらいびっくりしました。なんで、二年も前に書いた形代がまだ残ってるんやろう……」

 彼女は不思議そうにしていたが、亜寿沙はそれよりも聞きたいことがあった。

 それは、その『鹿沢ホームズの彼』の名前だ。

「それで、その鹿沢ホームズに勤めていた彼はなんてお名前なんでしょうか」

「柳川篤志、っていいます。忘れたくてもなかなか忘れられへんくて」

 苦しげに木島が吐き出した名前に、思わず亜寿沙は阿久津を見る。阿久津も亜寿沙に視線を合わせて、小さく頷いた。

 つながった。

 あの山際綾子の事件と、いま繫がったのだ。

 柳川篤志は山際綾子の元上司であり、あの事件の参考人の一人だった。

 そして、亜寿沙たちが聴取をした一人でもある。

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