第一章 縁切り神社の怪異⑭
内心の興奮を抑えるのに必死な亜寿沙に代わって、今度は阿久津が冷静な声で尋ねる。
「すみませんが、そのとき晴美さんがされていたお仕事の内容を教えてもらえますか?」
はっと木島が顔を上げた。
その顔にはどこか
なんだろう、彼女はまだ何か重大なことを隠している気がした。
阿久津はいつも以上に落ち着いた口調で、諭すように木島に話しかける。
「ここでの話は、決して口外しません。ここだけの話にすると誓います。だから、どうか子細を教えてもらえませんか。あなたが何の仕事をしていたのか。もしかしてその仕事に柳川篤志という男がかかわっていたんじゃないですか?」
木島はぎゅっと唇を
阿久津は彼女を静かに見つめたまま、亜寿沙の手帳の上に手をかざす。
「ここからのことは、記録もしません」
完全なるオフレコ。そこまでして、彼女はようやく重い口を開いた。
「当時、私は……公有不動産の管理の仕事をしてました。公有不動産言うてもいろいろあって。相続人がいなくなった家やマンションは国庫にはいるんです。それを公売して国の収入にするんやけど、私が担当してたんはそういう不動産の管理でした。……その彼とは、公売不動産の内覧会で出会ったんです。彼はそういう不動産の買い付けも担当してましたから」
そこまで言ったところで、彼女の
「付き合い始めは、ホテルとか彼の自宅で会ってたんです。でも一度、彼がたまには趣向を変えて私が
「そのときの家やマンションはもう売れてしまっているんですよね?」
阿久津がそう切り出すと、彼女はゆるゆると首を横に振った。
「全部やないです。旧建築基準法時代に建てられた古い一軒家やと、いまの建築基準法のもとでは
「合鍵の回収は?」
少し迷ってから、木島は首をわずかに横に振った。
「いいえ。彼が合鍵を作ってるとわかった分はさすがに返してもらいましたが、あの男のことやからもしかしてそれ以外にも勝手に複製をつくってたりしてるかもしれません」
人が住まなくなって久しい家。管理しているのは国で、そう頻繁に見回ることもないだろう。
そこの合鍵を柳川篤志は持っているかもしれないという。
そこは、何か秘密のものを隠すのに最適な場所なのではないだろうか。
たとえば、人の身体とか。
「その家のある場所を、教えて、もらえますか」
気が
そして木島に柳川篤志が合鍵を作っていた可能性のある不動産の場所をすべて教えてもらうと、丁重にお礼を告げて別れた。
彼女の後ろ姿が見えなくなるとすぐに、阿久津は捜査本部の風見に電話を一本入れ、令状が必要かどうかを確認した。
風見の判断は、民間人の所有している不動産ではなく現在使用されているものでもないため家宅捜索の令状は必要ない。管理している近畿財務局への照会で足りるとのことだった。
裁判所の令状が必要ないのなら、すぐに不動産の調査に入れる。
阿久津たちはいったん署に戻ると照会文書を作成したあと、覆面パトカーを借りて近畿財務局の丸太町事務所に行き事情を話した。
もちろん、情報提供者である木島晴美のことは話さず、ただ捜査の必要があるという理由で不動産の鍵の貸与を頼むと、幸い残業していた管理職が協力的で鍵を貸してくれ、不動産の中に立ち入る許可も得ることができた。
対象の不動産は十五件。借り受けた鍵は二十二本。一つの不動産につき、門の鍵と家の鍵の二本あるケースもあるため本数が多くなったのだ。亜寿沙のトートバッグが重くなった。
もう日はとっぷりと暮れている。
しかし、このどこかに山際綾子がいる可能性があるのだ。
日が昇るのを待ってはいられなかった。
阿久津と亜寿沙の二人は近場から一つずつ物件をまわっていく。
最初に行ったのは古いアパートの一室で、次に行ったのは古ぼけた今にも崩れそうな一軒家だった。
それらをひとつひとつ丁寧に見て回ったが、山際綾子の姿は見当たらない。
もちろん、既に身体を解体されて隠されているもしくは埋められている可能性も考えて捜索しなければならないのだが、電気の通っていない暗い建物の中で捜すのは想像以上に大変だった。
一刻も早く山際綾子を捜し出してあげたいという気持ちと、できれば
そんなわけで内心びくびくしながら、亜寿沙は懐中電灯を片手に押し入れや、キッチンの棚、タンスなどを開けて捜していく。
一方、夜目が利くという阿久津は光源がなくても昼間と同じように見えているそうで、懐中電灯をもたずに平気な様子で家の中を探っていた。
亜寿沙が一部屋を捜索する間に阿久津は三部屋は捜索してしまうくらいにスピードが違う。視界の問題だけでなく、彼にとっては日が暮れた今の方が昼間よりも動きやすいせいもあるのだろう。
一通り家の中を見終わってリビングで阿久津と合流した亜寿沙は、
「何もないですね」
「そうだな。もうずいぶん遅いから岩槻は先に帰ってもらって、あとは俺一人でも」
そう言いかけた阿久津の言葉を、亜寿沙は言葉で遮った。
「いいえ。私もやります。もしどこかに山際さんがいるなら、早く見つけてあげたいですから」
きっぱりと答える亜寿沙。本当は怖くて仕方なくて早く帰りたかったが、怖いから帰りますなんて刑事としてあるまじき態度だ。だから、自分のそんな軟弱な心を奮い立たせるためにも、はっきりと口にした。
そんな亜寿沙の気持ちを知ってか知らずか、暗くて顔は見えないけれど、阿久津からは小さく笑った気配が返ってくる。
「そうだな。次はえっと、ああ、ここから近いな。歩いてすぐいけそうだ」
阿久津は
改めて思うが、窓から入ってくるわずかな外の明かりくらいしかない真っ暗闇の中で書類の文字なんてよく読めるものだ。
鬼だかなんだか知らないが、夜目が利くのは便利かもしれないとちらっと亜寿沙は思った。とはいえその代償として、日中あんなに眠くてだるそうになるのは割に合わないのですぐにその考えを振り払う。
しっかり戸締まりを確認して家を出ると、次の不動産へと移った。
次の不動産は、二階建ての大きなお屋敷だった。
家の周りをぐるっと背の高い塀に囲われており、さらにその内側に高い木が何本も生えているのが道路からも見えていた。
亜寿沙が門扉にかけられた
ゆっくりと門を開くと、ギィィィィと苦しそうな音があたりに響く。
今はもう深夜一時をまわっている。道路には通行人の姿はひとつもない。
ときおり、少し離れた大通りから車が通る音が聞こえるだけで辺りは静まりかえっている。だから余計に、門扉を開ける音が大きく聞こえた。
阿久津が前を歩き、それに亜寿沙が続く。
庭は雑草に覆われているようで、歩くたびに足に草があたった。
まだ春だというのに、敷地の中は濃い草の香りがたちこめている。
門から玄関まで三メートルほど。懐中電灯で足下を照らしながら歩いていたのだが、亜寿沙の足下をヌルッと何かが通り過ぎていく感触に思わず声が出た。
「きゃっ、な、なにっ!?」
慌てたあまり、後ろに倒れ込んで
足下を通り過ぎていったモノの方へ懐中電灯を向けると、小さな二つの丸が光を跳ね返す。ついで、「にゃーん」と可愛らしい声が返ってきた。
「な、なんだ。猫かぁ……」
どこかの猫がここの庭に遊びに来ていたようだ。猫は、すぐに草の中を走ってどこかへ行ってしまった。
「大丈夫か?」
先を歩いていた阿久津が戻ってきて手を差し出してくれたので、ありがたく支えにさせてもらう。
「ありがとうございますっ」
「こっちへ」
阿久津はそのまま亜寿沙の手を引いて、玄関の三段ほどある段差のところまで連れて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます