第一章 縁切り神社の怪異⑪

 参考人たちの任意聴取がすべて終了すると、全体報告のために捜査本部へ再び刑事たちが集められることになった。

 集まった顔には、もれなく疲れがにじんでいた。

 総力をあげて山際綾子捜索と犯人の検挙に取り組んでいるが、彼女の足取りも居場所もようとしてつかめてはいない。

 参考人として任意聴取に呼び出された山際綾子の関係者たちは誰もが、彼女は控えめで大人しく穏やかな性格で、誰かに恨まれるような人間ではない、きっと、何かの事件にたまたま巻き込まれたに違いない、早く助けてあげて欲しいと訴えていた。

 刑事たち捜査員もみな、同じ気持ちだっただろう。

 しかし鑑識係長から科捜研よりあがってきた検査結果が報告されると、本部内を重い空気が満たした。

 手首の内部に残存していた血液の状態などから、山際綾子の手首は発見当時すでに死後一週間程度が経っていたのではないかとの見解が示される。

 その報告を聞いたとたん、みな表情にどこか「やっぱり……」という気持ちが滲んだ。

 捜査員たちからの報告がすべてすむと、本部長である風見管理官から今後の捜査方針が示され各班に指示が出されたが、いまはまだこれといった決め手もないまま広範囲に捜査を続けるしかないようで、いつもにこやかな彼の表情も始終硬いままだった。

 会議が終わり、再び捜査員たちはそれぞれの分担に従って京都の街に散らばっていく。

 阿久津たち特異捜査係も、任意聴取したイニシャルAをもつ参考人たちのアリバイや証言の裏付けをするために聞き込み調査にまわることになった。

 その日も、そして翌日も、その次も。

 あちこち歩き回り、足を棒にして聞いてまわる日々が続く。日が暮れるころにはヘトヘトになっていた。

 だけど、足を止めるわけにはいかない。

 いまもまだ見つかっていない山際綾子のことを思うと、きゅっと胃が摑まれるように痛くなった。

 亜寿沙とさほど年齢も違わない彼女は、あの日も同じこの京都で働いていたのだ。

 三月二十五日の夜。

 亜寿沙がいつものように仕事を終えて自宅に帰ったのと同じように、彼女もいつものように会社をあとにしたのだろう。

 それなのにゴミ収集車で手首だけをゴミと一緒に運ばれるようなせいさんな事件に巻き込まれてしまった。

 もし自分がそんなことになっていたらと思うと、とても他人ひとごととは思えなかった。

 彼女の命がもうこの世にないのなら、せめてなんとしても彼女の無念を晴らしてあげたい。

 そんな残虐な目に遭わせた犯人を見つけだして、罪をつぐなわせたい。

 そもそもそんな非道なことができる人間がいまもこの京都で普通に生活しているかもしれないと思うと、不安で仕方がなくなってくる。

 それはきっと亜寿沙だけの思いではない。ニュース報道などでこの事件を知った市民みんなが感じている不安だ。早くこの不安から解放されたい。

 その気持ちが、疲れて重くなった足を前へ前へと進めさせていた。

 それでも、やっぱり一日中歩き回ると疲れがまって、ずしんと重たくなる。パンプスの中はもうマメだらけだ。

 一方、朝方はいつも眠そうでだるそうにしている阿久津は、日が暮れ始めるころから急にしゃっきりとしだす。

 夕暮れ迫る今の時分にはもう、昼間は猫背ぎみな背中も幾分伸びて疲れも見せずに元気に歩いていた。

 鬼にまれたうんぬんの話を信じたわけではないが、彼が朝に弱く、夜に強い体質なのは間違いないようだ。

 その元気を少しわけてほしいなんて思いながらつい彼の背中をじっと見て歩いていたら、視線に気づいたわけでもないだろうが急に阿久津が足を止めて腕時計を眺めた。

「予定してたとこはあらかたまわったし、今日はもう署に戻るか」

「そうですね。いったん署に帰って報告書を書きたいです」

 今から帰っても、これから今日一日で見聞きした情報を報告書におこすとなると残業は間違いない。

 明日あしたに持ち越してもいいが、できれば記憶の新しいうちに書き記しておきたい。

「それにしても、なかなか思うように進まないですね。彼女が縁を切りたかったAさんって、本当は一体誰なんでしょう。いっそ、犯人が自首してくれればいいのに」

 亜寿沙の口から、ついそんな愚痴が漏れてしまう。

「さあな。今のところ、神のみぞ知るってとこだな……って、そうか……」

 阿久津はそうつぶやくと、地面を見つめてじっと黙り込む。何かを考えているようだ。

「阿久津さん。どうしたんですか?」

 あまりに長く考え込んでいるため、げんそうに亜寿沙が尋ねると阿久津はようやく思索の海から戻ってきて亜寿沙に視線を戻す。

「いや、ちょっと思い出した人がいたんだけど、ダメ元でもう一人これから事情聴取してみてもいいかな」

「それは別に構いませんが、どなたですか?」

 関係者、参考人の連絡先一覧なら亜寿沙がトートバッグに入れて持っている。

 その中の誰かかと思ってトートバッグから取りだそうとするのを、阿久津が手で止めた。

「いままでピックアップされてる人物じゃないんだ。ちょうどここからもそう遠くないし、時間帯としてもぴったりだろう」

 阿久津は空を見上げる。

 京都の市街地は東京と違って、建物の規制が厳しいため背の高いビルやタワマンは建てることができない。

 大きく広がった空は夕日が差して赤く染まりつつあった。

「その人って誰なんですか?」

「来ればわかるさ」

 それだけ言うと、阿久津はスタスタと早足で歩き出す。亜寿沙は疲れた足に活を入れると、阿久津のあとを小走りについていった。

 十分ほど歩いてついたところは、見覚えのある場所だった。

「ここって……」

「そう、安井金比羅宮だ。通称、縁切り神社」

 境内に足を踏み入れると、平日の夕方とあって学生らしき制服姿の女の子たちもちらほらみかける。

 手水ちようずで手を清めると、阿久津は本殿の前まで行って深く頭を下げた。

「阿久津さん。会いたい人って、この辺りにいらっしゃるんですか?」

「そう。ここにまつられている崇徳上皇だ」

 亜寿沙は狐につままれたような顔になる。

 何を言い出すかと思えば、成果を焦って神頼みならまだ理解もできるというものだが、神様に事情聴取がしたいだなんて頭がおかしくなっているとしか思えない。

 言葉の出ない亜寿沙に、阿久津は苦笑気味に笑った。

「山際綾子は、この神社で誰かと縁を切りたいと願った。ここの神様は彼女が縁を切りたかった相手の名前を知っているに違いないんだ。形代に書くときは、他の人に見られても構わないようにイニシャルを書いたんだろうが、縁切り縁結び碑をくぐるときには頭の中でソイツの名前を唱えたはずなんだよ」

 そう言うと、阿久津はかしわを二回打ち、手を合わせて目を閉じた。

 亜寿沙は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、大きく嘆息を一つついて同じように手を合わせて目を閉じる。

 ここで拝んだからといって、頭の中に神様の声が響いてきて人捜しの答えを教えてくれる、なんて都合のいいことは当然起きなかった。

 亜寿沙たちの後ろからは、ごにょごにょと人の話し声が聞こえてくる。

 きっと本殿でお祈りするのを待っている人たちの声だろう。

 亜寿沙が目を開けてもまだ、阿久津はじっと目を閉じたまま拝んでいた。

「そろそろいきましょう」

 あまり長く拝んでいると、次に待っている人に申し訳なくて亜寿沙はそう声を掛けるが阿久津はまだ拝んでいる。

「次の人が待ってますから、もういきましょう。阿久津さん」

 言葉にいらだちをにじませて亜寿沙が言うと、ようやく阿久津も目を開いた。

「次の人って?」

「だからほら、次に待っている人が」

 そう言って振り返った亜寿沙だったが、自分たちの後ろには誰も待ってなどいなかった。それどころか、そこそこにぎわっていたはずの境内から人の姿が消えている。人っこ一人、誰もいない。

 境内の石畳の通路を、赤々と夕日が静かに照らしているだけだった。

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