第3章 アレクサンドラ

 妙に両親のことを思い出すようになった。昨日会ったアレクサンドラという女とその話をしたからかもしれない。忘れていた思い出が次々と蘇り、感傷に浸りながら屋上で干していたナツメヤシの実を次々に掴んで袋に入れていく。

 ローラーはまだ遠くを転がっており、俺を押し潰すにはあと二日ほどはかかりそうだ。とはいえ、何かの拍子にものすごく深い眠りについてしまえば追い付かれる可能性もある。そのため俺は前に進むことにした。

 梯子を下り袋を移動小屋に放り込むと、そのまま支木を握り小屋を引っ張った。

 歩きながら些細な思い出を巡っていると、壊れた時計のことを思い出した。15年ほど前のことで、雨の日だった。平坦な砂漠だが、雨は地面に溜まらずどこかへ行ってしまう。多少の雨水が地面を流れるが、全てローラーのほうに流れていくので、もしかしたらアレが吸っているんじゃないかと勝手に思っている。そのため洪水の恐れはないが、この環境で雨に濡れて風邪を引くと死に直結するので、ローラーが真後ろに迫っていない限りは足を止めて雨宿りをするのが基本だ。

 あの日も家族三人で雨宿りをしていた。俺はまだ時間を刻み続けていた壁掛け時計を眺めていた。何かの金属でできているらしく、フレームも針も黒ずんだ金色で、古びてはいたが特有の光沢を帯びていた。そんな見た目をしたものは移動小屋の中には他になく、しかも機械仕掛けということもあって、美しさとともに珍しさに誘発された好奇心をその時計に感じていた。

 眺めているうちに好奇心が背景に向いた俺は「ねえ、この時計はどこから来たの?」と草を編んで絨毯を作っていた母親に訊いた。母親は「お父さんが誰かと交換したんじゃなかったっけ」と、その横で葉をすり潰して薬を作っていた父親に話しかけた。父親は「そうだな、すごく不思議な人だったよ。交換に出したものがほとんど呪術の道具だったんだ。詳しいことは知らないけどね。」と答えた。

 その中で唯一実用的だった機械仕掛けの壁掛け時計を食糧と交換してもらったらしい。しかし、父親はこう続けた。

「その人いわく、この時計も不思議な力があるらしい。何かの鍵になるとか言っていた。」そこで母親に草を編むのを手伝うよう頼まれ、時計についての会話は終わった。

 二人とも数年前に病死してしまったのでこれ以上のことはわからないし、数か月経つとそれに続くように時計も動かなくなった。

 その時の会話は親子三人の思い出であるとともに、大きな謎として俺の頭に残り続けている。何かの鍵と言っていたが、ローラーがあらゆるものを潰すこの砂漠で、はたして鍵穴が残っているのだろうか。

 しかし、もしかすると鍵穴の持ち主は扉や宝箱の類ではなく、自律移動する何かなのかもしれない。その何かの正体は一切不明だ。しかし、その可能性があると思うと、壊れて時計としての機能を失っても簡単に捨てることができない。二度と会えない両親との思い出もあるとなれば猶更である。

 思い出に浸りながら歩いていると、前方に見慣れた移動小屋が見えた。数十メートル離れていたが、「お~い、アレクサンドラ!いるのか!?」と声をかけた。すると、それに反応したアレクサンドラが小屋から降りてこちらへ歩いてきた。人間がローラーの方向に歩く貴重な例だろう。無駄な体力を使わせることを申し訳なく思った。

 少しずつ姿が大きくなる彼女を見てなんとなく嬉しさがこみ上げた。

「イスカンダル!また会えて嬉しい!」数秒で俺までたどり着くと、彼女は笑顔でそう言った。

 彼女は今までに会った人間の中で明らかに特別だった。遭遇した旅人と交易以外の会話をすることは稀で、しかも名前まで教えあうなど初めてだ。

 進む方向がほぼ同一であるが故に、同じ人間と別れた直後に再会することはある。しかし、彼女ほど再び顔を見ることができて嬉しかったことはない。

「さすがにもう交換できるものはないわ」と笑いながら言う彼女に、「俺もだよ」と可能な限りの笑顔で答えた。

 いつの間にか俺と彼女は並んで歩いていた。それぞれ移動小屋を引きながら、横に並んで。

 親がいなくなってから人と話す機会が激減した。その分を取り返すように話したいことが堰を切って流れ出す。彼女も同じようで、次々に新しい話題を出す。

 好きな食べ物、これまで会った旅人、してきた苦労など、数年分の会話が短い時間に交わされた。歩きながら前を向いたり左を向いたりするのは初めてだった。

 太陽が真上に昇る頃には、二人とも疲れて歩くのをやめた。アレクサンドラは車輪止めを持っていなかったので、木材を取り出し斧で割って三角柱を4つ作った。屋上で大豆が緑色の豆を実らせていたので1株分だけ収穫する。彼女は俺が交換で渡した本を見て作ったという、ナツメヤシの実のジュースが入った陶器の瓶を小屋の外に出した。それらを囲んで座り込み、二人で食事をした。

 小屋から思い出の時計を取り出し、知っていることがないか聞いてみたが、やはり彼女も全く知らないようだ。

 そろそろ日射しを避けるべくどちらかの小屋に入ろうかと思ったが、珍しく空が雲に覆われたためそうしなかった。

 座り込んで話しているうちに、ふと眠気が沸きだす。時計を抱えたままその場に寝転ぶと、アレクサンドラも俺の左側に寝転んだ。ローラーに追いつかれるまでは4日ほどはあると思われたし、動物に寝込みを襲われたとしてもこちらは二人なので、昼寝をしても死ぬことはないという安心感があった。

 アレクサンドラが先に寝た。俺もすぐに寝た。両親が死んでからすっかり忘れていた、幸福感に満ちた入眠だった。

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