3 偽装双子まだまだ続けます。

 結局、わたしは進路調査票に『高校進学 普通科希望』と書いて志望校欄は空けたまま提出した。

 東京の高校なんて全然わからないし。

 と思っていたら、りつがインターネットでいろいろと調べてくれていた。


りんと同じ高校に行きたいなって思って、都内で食品科と普通科の両方がある高校をいくつかピックアップしてみた。電車で通う場合、あんまり遠いのはどうかなって思って、とりあえず片道三十分以内。あ、でもうちから駅までの時間は入れてないし、駅から高校まで歩かないといけないから、実際は片道四十分はかかるかな」


 律はこういう調べ物が得意らしい。


「律は、わたしと一緒の高校に行こうと思ってくれてるの?」

「そう。だって俺、稟と一緒じゃないと毎日学校に行く自信がない」


 紙に印刷した学校案内を食卓の上に並べながら律はきっぱりと言う。

 昨日になって知ったのだけど、律は小学三年生から中学一年生まであまり学校に行ってなかったそうだ。

 学校でいじめられていたわけではないけれど、登校する意欲が湧かず、わざわざ学校に行って勉強する意義がわからず、朝目覚めても布団から出られない日が続くことも珍しくなかった、と律は告白した。

 でも今は毎日わたしと一緒に学校に通ってる。

 別に新しい中学校が楽しいわけではなく、わたしが学校に行こうと起こしにくるから起きて着替えて朝ご飯を作って食べて、わたしと並んで歩いているうちに学校に到着しているだけだそうだ。


「稟が大学に行くなら、稟と一緒に通える大学を探さないと」

「んー。それは律がわたしのレベルに合わせて大学を選ぶことになるんだと思うけど」

「それは別に問題ない」

「問題ないことはないと思うけどなぁ」


 そうは言っても、大学進学なんてずっと先の話だ。

 高校受験の心配の前に、まずは中間テストのことを考えなければならない。

 中1と中2では学校が違うので単純にテストの点数や学年順位だけで成績の上がり下がりは判断できないとは思うけれど、あまりにもわたしのテストの点数が悪ければ、母は塾に行くようにと言うだろう。


「……稟は、運動ができる奴と勉強ができる奴、どっちが格好いいと思う?」


 わたしが印刷用紙の片隅に赤ペンで手書きの「電車片道二十分」や「駅から徒歩五分」といったメモが几帳面に書かれているのを読んでいると、律が神妙な顔で尋ねてきた。

 これはきっと、今日の放課後にグラウンドでサッカー部が練習しているのを見たわたしが何気なく「うわ、格好いい」と呟いたからだろう。

 あれは、男子部員のひとりがボールを蹴ったら他の部員の足の間をすり抜けてゴールポストに入ったので、そのプレイが「凄い」の意味の「格好いい」なのだけど、律にはボールを蹴った部員個人に対してわたしが「格好いい」と言ったと思ったようだ。

 わたしは、あのサッカー部員の顔なんてまったく見ていないのに。


「どっちもできる人が一番格好いい」


 とりあえずわたしは適当に答えた。

 律は多分、普通に頑張ったら『勉強ができる奴』にはなれるだろう。

 運動はどうなのかはわからないけれど、一昨日の体育の授業でバスケをしたときに顔面でボールを受けて鼻血が出たというから、きっと『運動ができる奴』の道は険しいと思われる。


「どっちもは、なし」

「えぇ? なにそれ。恋バナ?」

「別に、そういうんじゃないけど」


 律はふてくされたような顔をした。


「わたしね、前の中学校でさ。三月の卒業式のときに、友達の代わりに卒業する先輩の制服のボタンを貰いに行ったの」

「え? あ、そうなんだ」


 急にわたしが語り出したら、律は戸惑ったように背筋を伸ばして聞く姿勢になった。


「男子は学ランだったから、卒業式の後に三年生の教室まで行って制服の第二ボタンをくださいって貰ったの。その先輩はまだ誰にもボタンをあげてなかったから、わたしは無事に第二ボタンを貰えて、それを友達に渡しておしまい。それだけのはずだったの」


 そう。

 わたしは本当にただ三年生から制服の第二ボタンを貰っただけだ。

 その先輩の名前と顔はよく知らなかった。

 その先輩のところに行く際、声をかける人を間違えないようにクラスメイトに付いてきて貰ったくらいだ。


「なのに、卒業式の翌日になったら、なぜかわたしがその先輩を好きだって話になっていたの。わたしが友達を口実にして第二ボタンを貰いに行ったんじゃないかって言われるし、渡した友達からは『本当にこれは先輩のボタンか』って疑われるし、卒業した先輩も高校の合格発表の日に中学校に合格報告に来たついでにわたしを呼び出して『オレのこと好き?』って聞いてくるし、なんかもうこんなことならボタン貰いに行ったりしなきゃ良かったってすっごく後悔した」

「へ、へぇ。それは災難だったね」


 わたしの剣幕に気圧された様子で律の顔が引き攣る。


「あんなお節介、二度としないって心に決めたの。あと、人の恋愛に関わるのはもうこりごり。恋バナも聞きたくない」


 あの卒業式の出来事があったせいか、転校することが決まってほっとしたくらいだ。

 前の中学校のクラスメイトたちとのメッセンジャーアプリのグループはとっくにブロックしている。

 一番親しかった友達からのメッセージで、四月になってからわたしが転校したことを知って驚いている子がたくさんいる、とか、あの先輩ってまどちゃんより稟ちゃんの方が好きみたいよ、とか教えてくれるけれど、おざなりなスタンプを送るだけにしている。

 どうもわたしと母が東京に引っ越したことは知っているようだけど、母が再婚したことは知らないようだ。


「えっと、ごめん」


 律はぴょこんと頭を下げた。

 その動きが可愛らしくて、わたしはそのときになって律に八つ当たりをしていたことに気づいた。

 三月の出来事は仲の良い友達にも喋れる話ではなかった。

 どこでどんな風に話がこじれて他のクラスメイトたちに伝わるかわからなかったからだ。


「わたしの方こそ、ごめん。あと、話を聞いてくれて、ありがとう」

「あ……うん」


 今の話は、律がまったく知らない中学校で起きた出来事だ。

 律はわたしの前の中学校の同級生誰一人とも繋がっていない。

 だからこそ、わたしは律に洗いざらい喋ることができたのだ。


「俺が、最初に変なこと聞いたりしたもんだから……えっと、昨日焼いたチーズケーキがそろそろ良い感じに冷えてると思うから、食べる? あの、泣くほど嫌だったこと思い出させて……ごめん……本当に、ごめん」


 なんで律はそんなに謝るのだろう、と思ったところで、頬を涙が伝う感触に気づいた。

 泣くつもりなんか全然なかったのに、なぜか泣いていた。


「チーズケーキ……食べたい……」


 鼻声になったので、テーブルの上に置いてあったボックスティッシュに手を伸ばしながらわたしは言った。

 昨夜、律が「このチーズケーキは冷蔵庫で一晩冷やしておくから、食べるのは明日学校から帰ってきてから」と言っていたので、今日は朝から楽しみにしていたのだ。

 泣いていても、食欲はある。


「うん。今すぐ切るからちょっと待ってて」


 律はいそいそと椅子から立ち上がる。

 ティッシュで涙と鼻水を拭いたわたしは、冷蔵庫の扉を開ける律の背中に向かって、声は出さずに口だけ動かした。


 ――わたしは、運動ができる奴や勉強ができる奴よりも、料理ができる奴が好きだよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽装双子はじめました。 紫藤市 @shidoichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ