第16話

 意識を失っているらしく、抵抗する様子はない。男はやれやれと言いたげに肩を竦め、テヘナの顎を掴んで無理やり上向かせると、シウバに顔を見せつけてきた。

「驚きましたよ。神殿に入り込んだ侵入者を捕らえたら、まさか王妃さまだったとは」

「彼女に触れるな。手を放せ」

「なぜ王妃さまが侵入なさったのかは不明ですが、神殿に女人が立ち入ることは禁じられている。いかに高貴なお方とはいえ罪は罪。我々は正当な対処をしたまでです」

「テヘナに何をした」

「気を失っていただきました。本来ならば捕らえた場で首を刎ねられてもおかしくないものを、こうして拘束するだけで済ませているのですよ」

 王妃と聞いてベッドの横に隠れるアタラムの顔色も変わる。彼はテヘナが港町に来ていたことを知らないのだから当然だ。シウバはだらりと下げた両手の拳を力強く握り、「シカム」と神官に呼びかけた。

「今すぐにテヘナから手を放せ」

 自分でもぞっとするほど冷めた声が出た。けれど男――シカムに動じた様子はなく、「お断りいたします」と神官の手からテヘナを強奪する。

「王妃さまにはレチアさまの器になっていただくのです」

「レチア……〝レチア教〟か。最高位の神官が異教の神を信じているとは笑わせる」

「いるかどうかも分からない神を敬い続けられるほど、私は信心深くないものでして」

 とても全ての神官の頂点に立つ者の言葉とは思えない。

「レチアさまは世界をより良いものとするために、この国での依り代をお求めだ。王妃さまには最適な依り代が見つかるまでの一時的な受け皿となっていただく」

「……受け皿となった、そのあとは?」

「抜け殻のようになるでしょうね」

 海神の器と同じです、と続けたシカムからは表情の一切が消え去っていた。彼の足元からどろどろと靄が広がっていき、瞬く間に床を覆い尽くす。

 レチア教、魔力マナ、魔獣。以前から噂されていた言葉がつながりそうで、まだ何かが足りない気がする。シウバは無言で魔力を放ち続けるシカムを見すえ、次いでまぶたを閉じたままのテヘナに視線を移し、シカムに気付かれない程度に目を丸くした。

「――なぜ魔獣が私の〈核〉を狙ったのかという疑問に、まだ答えていないが」

「陛下を魔力に染め上げるためには〈核〉が不完全である必要があるのでしょう? でしたら傷つけなければいけない。そのために魔獣を放ちましたが、まさかすべて返り討ちにされるとは。さすがに予想外でした」

「私を魔力に汚染させる必要は?」

「陛下には魔力に侵された過去がおありだ。今回、各地に魔力や魔獣が発生したのは陛下が原因でないかと疑る民もいることをご存知でしょうか。私はそれが真だと証明したいのですよ」

 疑うよう仕向けたのは間違いなくシカムだろう。不安を訴えてきた民に国王が原因なのだと説けばいいだけなのだから。

 魔力発生の原因をシウバになすりつけ、王位から退かせようとしていた目的はなんなのか。短刀を片手に動こうとするアタラムを手の動きで制し、シウバは努めて冷静に言葉をつむぎ続けた。

「お前の目的はなんだ。私だけでなく宰相まで追いやろうとする熱意はどこからくる? 国の乗っ取りでも考えているのか」

「国を治めるべきはレチアさまであり、民が信ずるべき神はレチアさま以外にない」

 ――レチアさま、レチアさまと。

 まるで母の名前を覚えたばかりの子どものようだ。

「魔術師を排除しようとするのは、魔力を浄化されては面倒だからか」

 シカムは微笑むだけで答えない。沈黙は肯定に他ならないだろう。

「陛下。陛下は先ほど王妃さまから手を放せと仰いましたね。一つの条件と引き換えにならば、王妃さまをお返しいたしましょう」

「なに?」

「〈核〉を不完全なものとしていただきたい。陛下には魔獣となって国中を暴れ回り、己が魔力の原因だったのだと示していただきたいのです。やはり国王は〝化け物〟だったのだと、そしてそれを王として認めた光の神や闇の神を信じるわけにはいかないと民に信じ込ませるのです」

「そこまで聞いて『分かった』とでも言うと思ったのか」

「交渉決裂ですね」

 では、とシカムが指を振ると、床を這っていた魔力がそれに引っ張られたように持ち上がる。ぐるりと宙を舞った魔力はテヘナに向かって飛びかかり、うぞうぞと生き物のようにうごめいた。

「陛下には残念ですが、王妃さまは今この時よりレチアさまの器となる」シカムは懐から女と思しき像を取り出し、テヘナの前にかざした。「間もなくレチアさまが魂を像から移され、王妃さまのお体に宿るのです」

 陛下、とアタラムが声を潜めて焦ったように何度も言う。止めなくていいのかと訴える視線に、シウバは緊迫した状況には似合わない淡い笑みを浮かべることで応えた。

「テヘナが器になる、ね――――どうかな」

「なに?」

 焦ることのないシウバに違和感を覚えたのか、シカムが訝しげに眉根を寄せた。

 魔力はうごめき続けている。時おり沸騰するかのごとくぼこりと泡が湧き、かと思えばぱちぱちと弾ける音が聞こえてくる。絶えず形と音を変える靄になにかおかしいと感じたのか、シカムはテヘナの肩を揺さぶろうと腕を伸ばし、

「がっ…………!」

 彼は突然苦悶の声を上げ、鼻を押さえて後ろによろけた。魔力に包まれたテヘナの姿が大きく傾いだかと思うと、シカムは声にならない叫びをあげて後ずさる。シウバはすかさず体勢を崩したテヘナに駆け寄って引き寄せると、好機とみて立ち上がったアタラムの後ろに身を隠した。

 ずるりと剥がれるようにテヘナの体から靄が離れていく。シカムは周囲の神官に支えられながら無様に股間を押さえ、どういうことだと驚愕に顔を染めていた。シウバは咳きこむテヘナの背中を軽くさすってやりつつ、「無事でよかった」と呟き、アタラムから受け取った短刀で縛られていた手を解放してやった。

「ずいぶん無茶をしたみたいだね」

「すみません」テヘナがしおらしく謝る。「でも魔獣を操ってる犯人が神官かもって思ったら、つい」

「ファリュンは一緒じゃなかったの?」

「一緒です。けど、ここまで連れて来られたのは私一人で」

「な、なぜだ……!」

 痛みが引いてきたのか、シカムが唾を飛ばしながらテヘナを指さした。

「魔力に侵されていてもおかしくなかったのに、なぜ自我を保っている!?」

「捕まえたくせに気付いてなかったのか」

 シウバは彼女の首にぶら下がるネックレスをつまみ上げた。虹を閉じ込めたかのような小さな石が輝く。それだけでシカムは石の正体が分かったのだろう。

「まさか〈核〉……!?」

「作ったのはヴェラかな。これがテヘナを守ったんだ。ヴェラの神力イラはゼクスト家随一の質を誇る。お前の魔力などとうてい及ばない」

 これが無ければテヘナは魔力に侵されていただろう。彼女もそれが分かるのか、大事そうに〈核〉を両手で包み込んだ。

 シカムは気付いていなかったようだが、テヘナは部屋に連れて来られるまでに意識を取り戻していたらしい。反旗を窺うために気絶を装っていると気付いたシウバは、首から〈核〉のネックレスが見えたことも考えて、シカムの気をこちらに向けさせた。その隙にテヘナが頭突きと蹴りをお見舞いしたわけだ。

「うまくいったみたいで良かったよ」

 シウバがテヘナを褒める一方でシカムは悔しげに舌打ちをし、シウバたちを庇うアタラムを見てさらに目を丸くする。

「どうして宰相がここに!」

「隠し通路を伝って来た」とアタラムは淡々と答え、シウバから返された短刀を構えた。

「隠し通路だと!? 通路の存在は私以外知らないはず!」

「王宮に見取り図があったんでな」

 そんな存在は知らなかったのか、シカムは瞳が零れ落ちんばかりに目を見開いた。だがすぐにくっくっと笑みをこぼし、両腕を大きく広げる。

「どうやら通路に潜むこいつらには気付かなかったようですね!」

 ばきっと次々に部屋の壁が壊れ、犬や猫、カラス、イタチなどの動物が飛び込んでくる。何十匹といるだろう。いずれも額に角が生えた魔獣だ。シカムは指先や足元から魔力を放出しながら、壊れたようにけたたましく笑う。

「逃げ場のないここでこれだけの魔獣を一度に相手は出来ますまい。陛下の〈核〉に傷をつけられればこちらのものです」

 ただでさえ角を折られたカラスの魔獣が積み上がっていて狭いところに、さらに魔獣が押し寄せたのだ。シカムが勝機を確信し歓喜に笑うのも致し方ない。彼が指を振ると魔獣は鳴き声を上げ、我先にシウバを傷つけんとがむしゃらに襲いかかってくる。

 けれど、どれもテヘナとアタラムが角を折った。一つ残らずだ。

 もちろん二人とも無傷ではなく、シウバもいくつか避けきれずに角や牙を食らった。だが〈核〉は無事だ。シウバが頬に刻まれた傷痕が治るのを指で追う前で、シカムは廊下の壁に背を預けて口をあんぐり開いていた。

「あれだけの、魔獣を、全て……」

「アタラムは魔獣討伐に慣れているし、テヘナも元から狩りに親しんでいるからな。さて、どうする? その様子だと、もう駒はないんだろう?」

「まだ……まだです」

 シカムが腕を振ると、彼のそばに控えていた神官たちが弱体化した魔獣たちを踏みつけながら部屋に入り込んでくる。彼らも魔獣同様、操られているのだろう。手に刃物を持つ者もいる。神官たちは無言でシウバに襲いかかってきたが、すぐさまアタラムが昏倒させてくれた。

 今度こそ操れるものが無くなったのか、シカムは言葉を失くし、ずるずると床に座り込んだ。

「魔力を操るようになったのはレチア教が関連しているのか?」

 シウバはアタラムとテヘナを引き連れて彼に近づき、静かに問うた。シカムは口を閉ざして何も言わない。

「答えろ。レチア教が関わっているのだとしたら、その目的はなんだ? 魔力や魔獣を利用してなにを企んでいる?」

「魔力は……負の感情を源とする。そうレチアさまは教えてくださった。私の中には抑えきれない怒りと絶望が絶えず煮えたぎっている」

 シカムの言葉は答えになっていない。はっきり答えろとアタラムが促すのに関わらず、彼はどこかぼんやりした様子で口を動かした。

「私は確かに神を信じていた。イティスだってそうだ。だから彼女は壊れたんだ」

「イティス?」

 誰だ、それは。アタラムも分からないようで、シウバを見て首を振る。当然テヘナも知らないだろう。

「私は存在しない神を慕い壊れたイティスを解放し、自由にさせてやりたかった。それだけは果たさなければならない!」

「!」

 シカムは急に瞳に光を取り戻し、勢いよく立ち上がったかと思うとシウバに掴みかかった。アタラムが止めようとするが、シカムから発された魔力が行く手を阻む。〈核〉を持つテヘナがなんとか切り開こうとしても、それを上回る速度で靄がごぼごぼと湧き出してきた。

 シウバは首を掴まれ、力強く押される。抵抗してみたものの、魔力によって強化されたと思しきシカムの力は尋常ではなかった。魔獣や気を失った神官に足を取られそうになりながら室内に押し込まれ、やがて背中が壁に着く。

 いや、壁ではない。窓だ。カラスの魔獣に破壊された穴から夜の風が吹き込んでいる。亀裂が入っていたそこに体を強く押し付けられ、脆くなっていた箇所が次々に崩れ落ち、穴は大きく広がった。

「レチアさまが王となるのに、陛下、あなたは邪魔でしかない。ここから落とせば〈核〉を持つ不死身とはいえ、回復の間に隙くらい出来ましょう」

「その隙を見計らって魔力で私を操るつもり、というわけか」

「そこまでお分かりなら大人しく犠牲になってください。王妃さまや宰相どのをそのような目に遭わせたくはないでしょう?」

「…………一つ、気になったことがある」

 シウバはぎちぎちと首を絞めるシカムの腕に手を触れ、くす、と凄絶な笑みを浮かべた。

「魔獣を殺せば呪いが振りかかると言うけれど、魔力を操っている本人を殺せばどうなるんだろうな?」

「……なん、」

 なんですって、とでも言いたかったのだろうか。

「シウバさま!」

 テヘナの声が耳を打つと同時に、シウバはシカムの腕を強く掴んで引き寄せ、叩きつけるような勢いで体を後ろに倒す。驚愕に目を見開く彼の顔におかしさを感じつつ、シウバは背中から地面に落下した。

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