第11話

「おはよう、テヘナ」

「おは……よう、ございます」

「なに、その間は」

 変なの、とかたわらで寝そべるシウバが笑う。カーテンや天蓋の紗幕の隙間から朝の陽ざしが差し込み、彼の表情を温かく照らしている。一通り眺めたところで、テヘナは寝起きのぼんやりとした状態から徐々に覚醒していき、ぼっと頬を赤らめた。

 そうだ、今日は久しぶりにシウバと眠ったのだ。結婚初日しか使っていなかった夫婦の寝室で。何をされたかとか、何を言われたかとか、あれこれ思い返して恥ずかしくなってくる。足をばたばたさせながら枕に顔を押し付けていると、男装するために短くした髪をシウバの指に梳かれた。テヘナに口づけて以降、彼の中でなにかが吹っ切れたのか、ずいぶん態度が変わっている。

「……世継ぎはいらないんじゃなかったんですか」

「最初に世継ぎがどうのと言ったのは君だろ」

「それはそうですけど」

 シウバは体を起こし、床に放り出されていた寝間着を羽織ってベッドの縁に腰かける。テヘナも体を起こそうとしたが、無理をしなくていいから寝ていろと額にキスを落とされた。

「別に僕だって子どもが欲しくなかったわけじゃない。そういう気にならなかっただけで。気になることもあったし」

「気になること?」

「生まれてくる子どもはちゃんとした人間なのか、ね。知っての通り僕はもう普通の体じゃないから、そんな奴の血を引く子どもは大丈夫なのかって噂されてるのを僕が把握してないわけがないだろ」

 だったら作らなければいいだけだ、とシウバは反感を抱いたらしい。他国の王と違って老いさらばえないし死なないのだから譲位もしなくていい。後継ぎが絶対的に必要なわけでもないよね、と。

 シウバらしいといえばシウバらしいのだろうが、じゃっかん子どもじみた反発心を感じなくもない。

「譲位しなくてもいいってことはないと思いますよ。同じ人がずっと頂点に立ち続けるのは安定もありますけど、同時に新しい風が吹くこともないから停滞を招くでしょうし」

「ふうん?」

「……なんですか」

「言われてみればその通りかもなって思っただけだよ」

 婚約を破棄されたのには〈核〉を持つ不気味さのほかに、世代交代を望んでいないという点も考慮されたのかも知れない。娘を嫁がせたとしても子どもが生まれないのだから、政治的な部分で将来を見込めないと判断されたのか。残念ながらテヘナはそのあたりの事情に詳しい性質ではないので分からない。

 ――そう考えると、ますます父上が私をシウバさまに嫁がせた理由が分からなくなるんだけど。

「で、どうするテヘナ」

「どうする、とは?」

「君、昨日まで引きこもってただろ。外に出たりしなくていい? ちょっと馬を走らせたところに猟場があるし、僕も付き合ってやれるけど」

 気づかいはありがたいし心は惹かれるが、テヘナは首を横に振った。

「魔獣のこととかでシウバさまはお忙しいでしょう? 私一人だけ遊んでいるわけにはいきません。アタラムさんにも言いましたけど、私にも何か出来ることがあれば仰ってください」

「ああ、君に隠し通路のことを吹き込んだあいつね」チッとシウバは忌々しげに舌打ちをした。「あいつのせいで君との関係がこじれかけたと思うと腹立つな……」

「アタラムさんのせいじゃないです。ほとんどシウバさまのせいです。紛らわしいことをしているのが悪いんです」

「覗き見した奴の台詞とは思えないね」

 ただでさえ寝癖でぐしゃぐしゃになっていた髪を乱暴に撫でまわされ、テヘナは唇を尖らせた。

 確かにシウバは普通にしていただけで、覗き見していたテヘナが勝手に勘違いをしただけだ。どちらかと言えばテヘナの方が悪い気がする。

「……でも、じゃあ『ヴェラがいてくれて本当に良かった』って言ってたのはなんだったんですか」

 あれを聞いたからこそ、テヘナは口づけ――と勘違いした診察――と相まって、シウバはヴェロニカが好きなんだと思ったのだけれど。素直にそう訊ねると、シウバは不満そうに眉間にしわを寄せた。

「昨日の晩、テヘナにさんざん言ったと思うけど。なんならまだ言おうか? 好きだ、愛してる。他にも色々言ったよね」

「わー、わー!」

「照れなくていいよ」

「親以外からは言われ慣れてないんです!」

 それでもなお言い募ろうとするシウバの両頬を思いきりつまみ、左右に引っ張ってやる。テヘナより柔らかいと思われる頬はよく伸びた。

「って、はぐらかさないでください」

「――ヴェラがいなかったら君がずっと苦しんでる姿を見ていなきゃいけなかったから、そんなことにならなくて良かったって意味だったんだよ」

「……そう、ですか」

「なに、不満?」

「いえ、その……嬉しいなって思って……」

 右脚の治療の際に感じた視線も、シウバは間違いなくテヘナを見てくれていたのだろう。まだ一線を引こうとしていた時だったから、不必要に近づくのを避けていたのかも知れない。

「さて、いつまでも喋ってられない。君が言った通り、まだ魔獣の件が片付いていないしね」

 侍女を呼んできてやるから、とシウバは立ち上がり、ついでにカーテンを開けてくれた。

 太陽は見えているのだが、風が強く雲の量が多い。白ばかりではなく黒いものもあって、今後の天候が心配になるような空模様が広がっているせいか、テヘナは妙な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。



 執務室にはシウバのほかにアタラムもいた。テヘナがシウバの側に椅子を運び込み、そこに腰かけて彼の様子を眺めているのを、アタラムは微笑ましそうに見つめてくるものだからなんだか恥ずかしかった。

 テヘナが引きこもっていた間も魔獣は確認されず、調査は行き詰ったままだという。

「安全面が確保されなければ他国の要人も招けません。早急に何とかしなければと思っているのですが」

「どなたか招くんですか?」

「国の内外にあなたが私の妻になったと紹介する宴がまだだろう」

 シウバの口調が戻っているのは仕事中だからだ。テヘナは彼の言葉に「そういえばそうでした」と頷いた。

「他所の王侯貴族を招く以上、魔獣や魔力マナといった脅威は排除しておかなければいけない。万が一なにか起これば、わが国の評判にも関わる。面倒ごとは出来るだけ避けたい」

「失礼いたします」

 廊下に控えていた侍従がノックをして入ってくる。シウバやアタラム宛の郵便を届けに来たらしい。うず高く積み上げられたそれらは、国内の貴族から舞踏会に誘うものであったり、各領地で起こっている問題ごとの陳情であったり、他国に嫁いでいった二人の妹たちから近況を知らせるものであったりと様々だ。シウバはそのうちの一つを手に取り、なにやら呆れたように笑っている。

「見ろアタラム、母上からだ」

「王太后からですか?」

「そういえば私、王太后さまにまだご挨拶をしていないような」

「仕方ない。そもそも今、王宮どころかこの国に居ないからな」

 夫である先王の死後、喪が明けるとほぼ同時に王太后は王宮から飛び出したという。世界一周旅行をしてみたいと言い出して、現在はそれを実行中だそうだ。シウバは王として未熟なのだからしばらく留まってくれとアタラムから何度も頼んだものの、聞く耳を持たなかったというのだから、なんとも活動的な王太后である。

「しばらく音沙汰がなかったから倒れていないかと思っていたが、元気そうで何より」

「『ようやくお嫁さんを貰ったんですってね。今度帰ったらぜひお話したいわ』だそうですよ」

「『一年くらいで帰ってくるから』と言いながら全くそんな気配がないような人だぞ。本当に帰ってくる気があるんだか。厄介ごとに首を突っ込むこともあるし」

 テヘナも活動的な方だが、恐らく王太后はそれを上回るだろう。旅先でどんな景色を見かけたとか、美味しいものを食べたとか、便せん十枚にも渡って感想が綴られている。どれも心の底から楽しんでいるのが伝わってきた。

 他の手紙の中には魔獣調査の進捗を知らせるものをあった。各地に派遣された兵からのものだが、どれも報告は芳しくない。

 招待状、陳情、魔獣調査、その他に手紙を分類してほしいというので、テヘナはいそいそと手伝った。

 順調に進んだのだが、一つおかしな封筒があってテヘナは手を止めた。

「シウバさま、これはなんでしょう?」

 ほらこれ、と彼に封筒を差し出す。

 見た目はなんの変哲もない、白い長方形の封筒なのだが、差出人の部分に名前らしい名前が書かれていないのだ。「海」とだけ書かれていて、金の封蝋の印璽には波らしき模様が見てとれる。

 シウバは差出人に心当たりがないようだ。アタラムに訊ねてみると、彼は印璽に見覚えがあると言った。

「神殿からですね」

「神殿? ……ああ、海神マレの?」

「そのようです」

「海神?」とテヘナが呟いたのを聞いて、シウバは「以前神力イラについて話しただろう」とこちらに体を向けた。

 神が泥から人間を作り上げ、その過程で宿ったものが神力だったはずだ。

「人間を作り上げた神と言うのは『陸神テラ』で、海神は陸神の姉とされている。ついでに言えば、さらにその兄に空神エルムがいる」

「……あれ? エストレージャ王国が奉っているのは光の神と闇の神じゃ……」

「その二柱はさっき言った陸・海・空の父母だ。国全体で奉っているのは光と闇だが、地域によっては子どもの三柱を重要視するところもある。港町の方では特に海神を信奉しているが、手紙を寄こしてきたのはその神殿だな」

 港町の近くにある神殿というと、テヘナが船から目撃したあれだろうか。

 読み上げろとシウバに指示され、アタラムは無言で封を開ける。彼は先にざっと文に目を通していたが、なにやら表情が少しずつ険しくなっていった。強く引き結ばれた唇は怒りを堪えようとしているようにも見える。

「どうした、何が書かれている?」

「…………」

「アタラム」

「……認めない、と」

「なにを?」

「陛下が、陛下であることを」

 どういうことだ、とテヘナはシウバと目を見合わせた。

 詳しく説明しろと促され、アタラムは努めて冷静に説明してくれた。

「どうやら港の方でも魔獣が出現していたようです。民が魔獣によって負傷したほか、周囲に振りまかれた魔力の影響を受けた人々も少なからずいた、と。中には神殿に仕える者も」

 神殿に仕える人々の中には、神力を宿す者もいるという。人々のために力を扱う者たちが魔術師と呼ばれるのに対し、神のために力を使う者は神官と称される。

 その神官たちが魔力に汚染されたというのだ。

「幸い被害は最小限に収まったものの、混乱はまだ続いている。早急に事態を収束させよと書かれています。それに……」

 アタラムは少しだけ言い淀み、悔しげに続けた。

「陛下は神力の塊である〈核〉を持つでしょう。つまり魔力に汚染される可能性が少なくない。そのようなものに王たる資格はあるのか、と問うています」

「!」

 カッ、と目も眩むほどの強い光が窓から差し込み、間もなく轟音が響き渡った。雷鳴だ。

 嫌な予感が現実になったと戸惑う不安が、テヘナの胸に去来していた。

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