第27話 空き家は怖いよ、気張れや乙女③

 あり得ないくらい家がキレイなのは幻覚か何かで、私たち状態異常にかかってるとか?


 慌ててステータスボードを開いた。一度ダンジョン内の魔素に浸ってしまえば、ダンジョンの外でも一定量の擬似現実トロメアがついて回るみたいなの。


 便利っちゃ便利だけど、なんかダンジョンから逃れられないみたいで気持ち悪さもあるのよね。


 ステータスを確認すると、私はいたって平常運転で状態異常になってる感じはない。こうなるとエイルのステータスも確認したいわね。


 私はキッチンに立つエイルに近づいた。体が触れていれば他人のステータスボードも開けるから。


「リュドコールじゃ物足りない? しょうがないわね、味見させたげる」


 エイルは私が腹ペコで仕方ないと勘違いしたんだろう。隣に立った私にエアで何かをつまんで口に運んできた。


「はい、あーん」


 白くて優雅な指が私の口めがけて差し出された。指越しには魅惑の煙水晶と青玉が微笑んでいる。視線がかち合った瞬間、私の脳はとろけ出して桃色ホームドラマの中に誘われた。


 ああ、愛しのエイル。その差し出された無垢な指を、きっと私は吸い尽くす。


「あーん」


 艶めく乳白の爪、滑らかな指の腹の感触を予感して、私の舌がちろりと口から誘い出た。


 早く、さあ早く。手料理をつまんでいるらしい人差し指と中指が私の唇に近づいてくる。


 数センチの距離が地球と月のように焦ったい。


 でもその焦ったさが触れるという行為をより崇高なものに昇華させ、期待と緊張で私の胸はどうにかなりそうだった。


「ふふ、ヨルハンたら赤ちゃんみたい」


 エイルの指を口に含んだ瞬間、私は弾かれたように我に返った。何をしてんだ私。それまでの桃色世界をかき消さんと、慌ててエイルのステータスボードを開く。


 そう、ヨルハン。


 彼女の眼前にいるのは私じゃなくて、きっと亡くした恋人、ヨルハンなのよ。


 その証拠に、口先で指を含んだまま覗いたステータスボードには「混乱」の2文字が。


「どう? 美味しい?」


 エイルの指をゆっくりと離した。ああ、私ったら最低ね。混乱状態のエイルの指をしゃぶるなんて、ゲスにもほどがあるわ。これじゃ尋成ひろなりと一緒じゃない。


「……うん」


 でも嬉しそうに顔を覗き込んでくるエイルを落胆なんてさせられない。私は首肯しつつ、羞恥で視線を逸らした。


「ふふ、よかった」


 そう言うとエイルは私をギュッと抱きしめた。エイルの鍛えられた、でもほどよく柔らかい肉が私を優しく包み込む。触れる箇所から熱が伝播し、私の顔はきっと真っ赤っかだ。


 私の肩口にエイルの顔がうずまる。そして女神のミストもかくありなん、彼女の呼気が首筋や肩にしっとりと振りかかる。


「ヨルハンの匂い、落ち着く」


 ひゃーーーー! 死ねる!


 ああ、でもダメよエイル。私はあなたのヨルハンじゃないし、それどころかエイルが混乱してるのをいいことに指をねぶる妖怪に等しい女なの。


 これ以上卑しい自分を見たくなくて、断腸の思いでエイルの両肩を押しやった。


「ヨルハン、どうしたの?」


 困惑するエイルの声に心が痛む。ごめんね、エイル。……って、んん?


 エイルに視線をやると、その背後に色白の女が浮かんでいる。頭には髪を束ねるためか白い頭巾を被り、灰色のワンピースを着ていた。


 だ、誰よ? てか浮いてない? え、幽霊?


「盗人め、早く私の家から出て行きなさい。さもないと……」


 私がテンパってると突然幽霊が話しかけてきた。わ、私盗人なんかじゃないわよ。ただ宿代浮かせるためにおじいちゃんの家を使わせてもらおうとしてる小市民です。


「力尽くよ」


 幽霊が手を振りかざすと、得体の知れない衝撃波が私を襲う。


「きゃっ!」


 わけもわからず体を吹き飛ばされ、ピカピカの床に這いつくばった。全身を強打されて数瞬の間息が止まった。やばいやばいやばい。ヒステリックな幽霊が家に住みついてた!


 エイルは絶賛混乱中だし、私がどうにかしないと。いや待てよ、頼りになるかはわからないけど、まだあいつがいたわ。


 私は四次元ポーチからタンブラーを取り出し、蓋を開け放った。移動中、セクハラが目に余るスラチンをこの中に閉じ込めていたのだ。そんなやつを頼るのも癪だけど、ここで家から持ってきた社血狗しゃちくをぶっ放すわけにはいかないからね。


 タンブラーの飲み口からずるんとスラチンがまろび出た。


(ああ、もう会えないと思ってたよ。スラーミ。僕がいなくても元気だった?)


 床にぶるんと落ちるや否や、スラチンは目を輝かせて私を見上げる。


(スラーミ、ちょっと大きくなった? いや、女性に体の大きさを聞くなんて野暮だったね。とにかく聞いてよ、大変だったんだ。突然空が裂けたと思ったら変な洞窟に飛ばされてさ――)


 スラーミ? 何を言ってんだこいつは。……もしかしてスラチンも? 私はスラチンのステータスボードを開いて状態を確認した。私とスラチンはコンダクターの鎖で繋がってるから物理的に接触する必要はないみたい。


 そしてボードには「混乱」の二文字が。ああ、やっぱり。てか待てよ、もしかしてスラチン、変身の指輪のときみたいに私の状態異常を引き受けてくれてるの?


 ……むっちゃ便利。じゃなくて、それって私もあの幽霊から混乱させられたってことよね? だとしたらエイルにさっき抱いた劣情もそのせいだったり?


 まあ、いいや。とにかくスラチンはこれ以上あてにできないわ。私がどうにかしなくちゃ。

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ダンジョン乙女~最弱事務職員の私がチート偉人たちを連れ回してダンジョン攻略! 畑中真比古 @mahiko-ha

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