第19話 烟る平常、飛び立て乙女①

「……消えちゃった」


 私は光る粒子が染み溶けた胸に手を当てた。一体何がどうなってるんだろう。さっきまでキモ顔で埋め尽くされていたダンジョンも、今は元通りの殺風景な洞窟だ。


 エイルはジャンヌが消えた後も押し黙って何やら考え事をしている。そうね、確かに考えなくちゃいけないことはたくさんある。


 なぜダンジョンが突然あんな風に変化したのか。とっくの昔に死んだはずのジャンヌがなぜ現れたのか。というかそもそもあの子はジャンヌ・ダルクなのか。もっと言うと私の中に消えていったけど、私的にもジャンヌ的にもそれって大丈夫なのか。さらーに遡ると尋成の盗んで行ったオーパーツや記憶を奪われたであろう田中さんのこと……うん、今はとりあえずパスで。


「ほう、あの憤怒渦巻く混沌を収めたか」

 わぁっ!

 突然声をかけられ驚いて背後を振り返ると、

「ひっ!」

 さらに驚く羽目になった。いつの間に現れたのか、混沌と変容の悪魔、オセが不気味な笑みを浮かべて真後ろに立っている。何しに現れたのよ。てかただでさえ豹面が不気味なのに不意打ちなんて勘弁してほしい。


「な、何よ」

「何よとな」

「何しに現れたのよ。……つい昨日、『然るべきときに然るべき形で再び会おう』なんて言っておいて、まさかその翌日に早速再会するなんて普通は思わないでしょ」


 そうなのよ。あの別れからまさかこんな短時間で、再びオセの豹面を拝むことになるなんて。もう会うこともない、くらい思ってたのにさ。


「ならば、今が然るべきときなのだろう」


 オセはステッキの柄頭を撫でながらにやりと笑んだ。こいつ、ただそれっぽいことを適当にほざいてるだけなんじゃないかしら。あ、適当と言えば、


「保管庫の中身、尋成が盗んで行っちゃったんだけど。確か因果律が云々カンヌンで私が運び出す定めだったのよね?」


 全然そんな定めになってないじゃない。やっぱり悪魔なんて信じらんないわ。


「ヘリヤ、我がなんと言ったか覚えているか? キミの手で運び出されるべきもののようだ、と言ったのだ。キミが運び出してさえいれば、事象は然るべき収束を見せたであろう」


 はあ? 私が運び出さなかったのが悪いみたいに聞こえるんですけどー。だいたいそんなふわっとした言い回しをするからいけないんじゃない。私が運び出す運命なんだから、少しくらい放置しても大丈夫って思っても無理からぬことよ。


「絶えず蠢き流転する因果律、その全容を捉えることなど誰にもできぬのだ。……しかし、そうだな。またひとつ、今回の件で世界にカオスが放たれることになるようだ」


 オセは何かを見通すように片目を瞑り、くつくつと笑った。


「ヘリヤ、覚えておくといい。キミもこの世界の混沌、その一片を担っている。キミの言動、選び取る事柄が、この混濁した美麗なうねりをより一層美しいものにするのだ」


 そう言いつつ、黒曜石の爪でつまんだものをひょいと投げて寄越してきた。落とさないよう慌てて受け止めると、ブラックホールに颯爽と消えたほうき星こと、スラチンだった。す、すっかり忘れてたわ、こいつの存在。でも生きてるみたいでひとまず安心ね。


「キミのお供だ。これからの旅のヒントを与えてくれるだろう」

「……それも因果律のお導きってやつ?」


 破廉恥スライムを大事にしたところで、一体私にどういう恩恵があるっていうのかしら。そもそも旅ってなんなのよ。スラチンが案内する旅なんて絶対ロクなもんじゃないわ、魔物なのよ。


 私はね、ドキドキハラハラの冒険なんてしたいわけじゃないの。安定した給料に安定した生活、それに勝るものなんてないわけ。それに大事にするも何も、これから地上に戻る私がスラチンのこと大事にできるはずはない。ここでまたお別れなんだから。


 オセは私の問いかけを無視して、今度はエイルに向き直った。興味深そうにその顔をまじまじと見つめている。


「……ほう、昨日は気づかなかったが……、久しぶりの隣人だ」


 エイルはオセのエメラルドグリーンの瞳に魅入られたように固まった。何かを警戒するように表情が強張っている。


「いや、ここに至って、世界を線引する意味は最早ないな」


 隣人? 世界を線引き? やっぱり悪魔の言うことは意味がわかんないわ。てか私の可愛いエイルにちょっかい出すんじゃないわよ。


「もういいかしら。私、こう見えて仕事中なの」


 オセの言葉遊びに付き合っている暇はないのよ。戻ったら支所長に諸々報告して警察にも連絡しなくちゃならない。田中さんの様子も気がかりだし……。ああ、なんか戻りたくなくなっちゃうわ。


「ヘリヤ、キミはキミの信じる道を迷わず進むといい。今日の出来事は亀裂の兆し。辛うじて均衡を保っていたこの世界が動き出すぞ」


 オセは微笑んだつもりなのか、禍々しい笑みを私とエイルに向けた。そうかと思えば黒い靄が彼を包み、その姿をうやむやにしていく。


「我はいつでもキミたちの旅路を見守っている。ではまたそのときまで」


 なんだったのよほんと。意味不明なことを好き放題並べ立てて、気がすめばあっさり消えちゃうのね。

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