第18話 目覚める力、震えよ乙女④
「私、あなたのこと知ってるわ」
ジャンヌに駆け寄り、息を弾ませながらそう伝えた。エイルはジャンヌを抑え込んだまま、戸惑いの表情でこちらに向ける。私が頷くとゆっくり剣を引いた。
「どういうつもり?」
険を孕んだ目でジャンヌが睨みつけてくる。でも怖くない。だって、どういう理屈かまるでわからないけど私の憧れたジャンヌが目の前にいるんだもの。
「私ね、あなたに憧れていたの」
「私に憧れる? はっ、火刑になる前は誰しもそう口にしたわ。だけどどうだ、祖国に見捨てられ、異端の烙印を押された私を顧みる者なんて誰ひとりいなかった。……天の主すら……私から死を遠ざけることは……しなかった」
誇り高いジャンヌは最期の瞬間まで主を信じ、民衆のために祈ったんだろう。でもほんとは怖かったんだ。魔女として皆に蔑まれながらこの世を去ること、主がついに救いの手を差し伸べてくれず、自分の命が終わることが。信じていたものが足元から崩れ落ちてしまったのよ、自分の死を前にして。
その恐怖、わかるわジャンヌ。私も小学生の頃、皆のためにと校長室を強襲した後の周囲の棘棘した視線は今でも覚えてる。それに職場での私の扱いだってそうよ。みんなのことを思ってやってることが評価されず、むしろバリキャリなんて揶揄されて……って、ジャンヌの悲劇と比べるべくもないけどね。
とにかくジャンヌに伝えなくちゃ。今、世の中であなたがどう呼ばれているのか。
「ねえ、知ってる? ここはね、あなたが生まれた時代から600年以上あとの世界なの」
「……何を言ってる? そうか、私を騙るつもりだな」
ジャンヌの目には相変わらず険が光り、私の言うことなんて全然信じていない。でも、伝えるしかないわ。
「これ見て」
私が
「あなたの時代に、こんなものあった?」
「……」
「それにこんなのも」
ジャンヌが恐る恐る目を開けるのを見計らって、今度は通信用の小型タブレットを取り出した。
「この機械はね、どんなに離れた人とも会話ができる魔法の板なの。電波入ってないからここじゃ使えないけど」
「……」
ジャンヌは見慣れない文明の利器を前に少しは信じる気になったのか、それ以上私を非難してはこない。
「信じてくれなくてもいい。でも揺るがない事実よ」
私はジャンヌの目をのぞき込んでそう伝えた。今ならちゃんと届くかもしれないわ。
「今のあなたはね、カトリック協会の聖人なの」
「……っ! 私が聖人? やっぱりあなた、私を騙して面白がっているだけ――」
「違うっ! 私があなたにそんなことするはずないっ!」
ジャンヌは私の剣幕に圧倒されたのか、目を見開いて押し黙った。そう、それでいいの、黙って聞きなさい。私はかつての憧れを救うの、絶対に。
「あなたが死んだ25年後にね、ローマ教皇カリストゥス3世って人の命令であなたの復権裁判が行われたの。そこであなたの無実と殉教が宣言された。つまり異端は取り消されたの」
ジャンヌは険しい顔で、でも聞き入るように私の声に耳を傾けている。
「それから約500年後にあなたは列聖されて、フランスの守護聖人のひとりになったのよ。わかる? あなたの生涯は英雄的で、福音に満ちていた。あなたは祖国に、神に、いえそれだけじゃない、世界に認められたの。……とても長い時間がかかっちゃったけどね」
19歳で死んだジャンヌは今、顔を伏せて何を思っているんだろう。今さら何を言っても無駄なのかな。でも伝えずにはいられなかった。
「私なんてジャンヌ・ダルクに憧れすぎて、あなたの声が聞こえるようになったくらいよ。・・・・・・まあ、多分ちょっと残念な幻聴なんだけど」
ジャンヌはゆっくり顔を上げた。まだ整理がついてないようで、その表情は困惑している。
「私はもう、異端じゃないのか?」
「言ったじゃない。今じゃ聖人よ」
彼女は死んだ後、どうしていたんだろう。わからない。わからないけど、きっと長い間フランスや神に裏切られたことに苦しんでいたんだろう。見ず知らずの女に名誉を取り戻し列聖されたなんて聞かされても、それが救いになるとは思えない。だから、
「私と一緒に来ない?」
「・・・・・・え?」
私はあなたの生き方に魅せられた、幼少期にその声を聞くほどにね。私の憧れだった人がこんな狭くて暗いダンジョンに身を沈めて、わけのわからないキモ顔どもの王を演じるだなんて許されない。
「想像できないでしょ。一度あなたを裏切った世界が、どんなふうにあなたを受け入れ、どう崇敬しているか」
「・・・・・・世界が、私を崇敬・・・・・・」
自分の意志で突き進んだんだろうけど、祖国のために戦いに明け暮れ、あなたはあなたの人生を楽しめた? 人生100年のこの時代換算だとね、あなたにはまだ81年って長い時間が残されていたはずなんだよ。たくさん戦ってたくさん苦しんだんなら、あとは楽しむしかないんじゃないかな。
「そうよ。だから直接その目で見てみない? 怒ったり閉じこもったりはその後でもいいと思うんだけどな」
いまだ地面に這いつくばるジャンヌに私は手を差し伸べた。ジャンヌは展開についてこれないのか、パチクリさせた目で私の手と顔を交互に見つめている。でも、その瞳からは真っ黒な怒りは消えていた。
「キッシュ、食べたくない?」
ジャンヌの出身地、ドンレミのあるロレーヌ地方はキッシュが好んで食べられている。作ったことなんてないけど、ジャンヌのためならどうにかできる気がするわ。赤、白、スパークリング、合わせるならどのワインがいいかしら。……あっ、ジャンヌは未成年か。
「……豆の入った?」
よし、食いついてきた! 嬉しくてつい笑んでしまう。
「豆だけじゃないわ。ベーコンにサーモン、なんでもござれよ」
「……ベーコンに……サーモンまで入ってるのか」
ジャンヌの顔が心なしか綻んだ。彼女の生まれた時代、百年戦争で荒れ果てた地では満足においしいものが食べられなかったのかもしれない。
「きっと驚くわ。こんなところにいたんじゃ味わえないことがいっぱいある」
私は改めてグイと手を突き出した。
「……なんで私なんかに……」
「聞いてなかった? 英雄なのよ、私にとって」
私は安心させようと、満面の笑みを浮かべて見せた。ほんとなら、生きてるうちにこんな笑顔をもっとたくさんの人から向けられて然るべきだったんだ。
「……ありがとう」
ジャンヌはそう言うと私の手をしずしずと握った。マメが何度も潰れて固くなったごわついた手。
オルレアンの乙女と呼ばれるようになる前は、一体どんな手をしていたんだろう。こんな手になるまでこの人は戦い抜いたんだ。
その感触に思わずうるっときていたら、突然ダンジョン中に貼りついたキモ顔たちが激しく蠢き出した。うねり、ねじれ、渦巻きながらジャンヌめがけて凝縮していき、彼女の体に吸収されていく。
え、え、どゆこと?
ジャンヌはキモ顔を食らいつくすと、私の手を優しく引いて立ち上がった。その体は青白く発光して輪郭がおぼろげだ。
「……もう一度言う、ありがとう。あなたの名は?」
「ヘ、ヘリヤ。阿沙加ヘリヤよ」
ジャンヌはそう、とにっこり笑んだ。
「ヘリヤ。私はジャンヌ・ダルク。神託を受けし救国の旗手。裏切りと謀略によって一度は落としたこの命、未知の世界で、あなたとともに生きるために使おう」
ジャンヌが向ける眼差しはどこまでも真っ直ぐで、凛と張った声を聞くだけで鼓膜を伝って心が震える。
「……キッシュ、楽しみにしてるから」
そう言うとジャンヌの体が青白い粒子になって解けていき、私の胸に溶けていった。
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