第14話 髭と涙と、ゼリーと乙女③

 地上の非情な同僚ども、を同行どうもなんて浅はか、あからさま、に私ひとりご愁傷さま。隧道の暗闇照らせ浮遊光、ずいぶんなクリークの富裕層、ちょび髭ちょびハゲまじ勘弁ってWho you? そう。Whyこうなった私のライフ。ワークライフの危ういバランス。


「ってあれ? ……空……じゃん」


 出勤して瞬で溜まったフラストレーションを反骨のリリックにのせながら坂の終点に立った私は、保管庫を前に固まった。ダンジョンを降りていったらすでに保管庫の扉は開いていて、おまけに中身は空っぽだった。……Whyこうなった……。


 いやいやいやまだわかんない。天上の何かにひとしきり祈りを捧げ、一回保管庫を閉じ、鍵をかけて深呼吸ののち鍵をひねり扉を開く。うん、当たり前に空っぽだ。


 なんで? なんでないの? 私の不出来なリリックがそんなに不服だったとか? てか誰が不服に思ったわけ? てかてか誰かの機嫌を損ねたら保管庫が空っぽになっちゃうの?


 動揺を抑えて保管庫の扉を凝視する。魔物がこじ開けたような痕跡はないし、もしかしたら探索者が鍵開けスキルでかっ攫っていったとか? いや、かなり強いセキュリティ魔法がかかっているからそんじょそこらの探索者には不可能だ。


 ……どうしたものか。……もうどうしようもないか。私は保管庫の中に入って座り込んでしまった。空になった棚やケースが私に虚無を押しつけてくる。ああ、このままそっと扉を閉めて貝になりたい。


 でも私、なんでこんなことで動揺してるんだろ。たかが仕事じゃん。保管庫の中身が消えた責任なんて私にはないし。実は仕事が好き? ううん、全く。……ただ、自分がいたたまれないだけだ。


 みんなのために残業して感謝ひとつされず、支所長には管理職権限を理不尽に振りかざされて探索を押し付けられ、それでも支所の効率を考えてダンジョンに入ったっていうのに保管庫は空っぽって。……悔しいし、なんて惨めなの。


 膝に顔を埋めてみると瞳からポロポロ何かがこぼれてしまった。どうやら私の心は泣きたいみたい。


 そう認めてしまうと急に涙腺がでしゃばり始める。

 いいんですか? 私思いっきり働きますけどいいんですか? ナイアガラ瀑布のごとく涙を供給しますけどいいんですね?


 ……んーやっぱだめー! 泣きたくない! 仕事ごときのために泣きたくない! 私の貴重な体内水分を搾取してんじゃねー!


 ずびびーっと洟をすすって保管庫の天井を睨みつけた。まだ油断するといろんな思いがこぼれ落ちそうになる。


 はぁ、なんか楽しいこと考えよ。……帰ったらエイルいるよな。昨日はすぐ潰れちゃったけど、今夜は色々話せるといいな。あの子ひとり置いてきて大丈夫だったかしら。防犯上ってことじゃなくて、尋成ひろなりに記憶を奪われる前までは死んだ恋人を追おうとしてたから……。


 もしかして私、今日出勤すべきじゃなかった? こんなとこでいじけてる場合じゃないわ。もういっそのこと有休取って昼から帰ろうかな。

 

「こぽぽぽ」


 立ち上がると同時に、気泡の遊ぶ音が開いた扉の外から聞こえてきた。

 この音、スライムに違いないわ。ついてない、スライム相手にレイピアが役に立つかしら。


「こぽ、こぽぽ」


 やばい、だんだん近づいてくる。この保管庫を狙ってるのかもしれない。大人10人は入れる容量といえど、身を隠す場所は保管庫内には皆無だわ。


 ……くくるしかないストマック。くらわせてやれアタック。よし、こんなときでも即平常運転。


「こっぽ」


 保管庫にゲル状の体が見えるや否や、


「ダーッ!」


 職場での不遇、25歳にして結婚相手候補を失うという非情、温もる地球のせいで狭まる生活圏に翻弄される白熊の悲哀、そうしたこの世の許容不可能な不条理に対する怒りを切っ先に乗せ、光のごとき速さ(当社比)で刺突した。


「こ、こぽーっ!」


 見事眉間のど真ん中を突き刺し、哀れなスライムは悲鳴をあげる。まさか私にフェンシングの才能があったとは。競技人数少ないし、今始めればいいとこいくんじゃないかしら。


 でも勝負は決したと思いきや、ぬるんとスライムは刀身から抜け出した。だめだ、やっぱりスライムに剣は相性が悪い。


「こぽ! こぽぽ!」


 いやー! やめて! 私が悪かったから許してちょうだい! ほんとは出会い頭に脳天突くような野蛮なまねをする女じゃないんです!


「こぽぽ! こぽー!」


 あれ? スライムは何かを主張するように喚くだけで反撃する素振りはない。それにこの可愛らしさの陰に潜んだ破廉恥なあぶくの響き、聞き覚えがあるわ。


「スラチン?」

「こぽ! こぽー!」


 眉間をつんざかれたばかりだというのに、スラチンは嬉しそうに床を何度もぐるぐる回った。ハムスターみたいなやつだな。


「こぽぽ、こぽぽぽ! こぽ!」


 何か私に訴えてるようだけどさっぱりわかんない。やっぱりドタマ突き刺したことに起こってるのかしら。


 無遠慮かつ猛然とこぽこぽを繰り出すスラチンに困っていると、独りでにステータスボードが開いた。スキル欄のタグが押せと主張するように明滅している。なんだろう、えい。


 ばしゅっ。


 私の左胸のポッチリから勢いよく光鎖がほとばしり、スラチンとジョイントした。……なんだよまたかよくそったれ。


(ヘリヤひどいよ。いきなり突き刺すなんて僕傷ついちゃう)


 はいはい、今度はしっかりわかります。傷ついちゃったんですね私のせいで。どうやら一度案内役コンダクターになった魔物とは「一定時間の物理的接触」という条件は免除されるみたい。おかげでまたこうしてスラチンと意思疎通ができてしまっている。


「傷つくも何も、全然効いてないじゃない」

(そりゃまーこんな体ですし? 物理攻撃には割と強めですけど? そういうことじゃないんだよヘリヤ。わかんないかな、何も心までゲル状なわけじゃないんだよね)


 魔物風情が一丁前に心ときたか。じゃあパワハラでけちょんけちょんにされた挙げ句、ち○びから鎖をぶら下げて魔物とおしゃべりするうら若き乙女の心はどう救われるのよ。


(出会い頭に脳天突き刺されるなんて、いくらスライムの僕でもそうそうないよ。しかも契りを交わした女性からそんな仕打ちを受けるなんて)


 やめやがれ魔物め。契りなんて言葉を使ってんじゃないわよ薄ら寒い。


(この傷を癒やすには……ハグだ! ヘリヤの豊満なバストで僕の体をサンドイッチの具よろしく挟み込んでもらうしかない!)


 どこがハグじゃい。


 はぁ。ささくれた心のひだを懇切丁寧に刺激してくるこの流動体をぐっちゃぐちゃに踏みしだいて、二度とセクハラ発言できなくさせてやりたい。あ、コンダクター解除すればいいんだ。


(待って待って! まだ大事なこと伝えてない!)


 ステータスボードの解除タグを探しているとスラチンが慌てて飛び跳ねた。大事なこと? どうせ(またヘリヤと繋がれて嬉しいよ。どうだい、ついでに物理的な繋がりも深めて人型スライムを2人でこさえてみないかい?)なんて頭わいてる台詞を吐くつもりに違いない。


(尋成が保管庫の中身を盗んで行っちゃったんだ!)


 ……はあ?

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