第11話 出会いは尊し、杯乾せ乙女③

「エイル、荷物は尋成ひろなりんチ?」


 車を走らせながら助手席のエイルに声を掛けた。もしそうならあいつが戻ってこない今のうちに取りに行こう。鍵はないけど、うっかり持って来てしまった社血狗しゃちくがある。


「いえ、荷物はいつも持ち歩いているので大丈夫です」


 彼女は小ぶりのがま口ポーチを取り出して振ってみせた。探索者がよく使う、オーパーツ仕様の四次元ポーチだ。がま口を開けると中は拡張空間に繋がっていて、見た目よりもずっと収納できる優れもの。サイズから推測するに、エイルの持っているものは50リットルくらい容量がありそうだ。


「あの……本当にいいんですか?」

「いいって言ってるでしょ。泣いてるファンタジー級美女を放っておくなんてお天道様が許しても私が許さないわ」


 今日出会ったばかりとは言え、あまつさえ最悪な出会いだったとは言え、肩を震わせて泣く彼女をそのままにしてはおけなかった。行くあてがないなら私の部屋においでよ、そう誘ったのだ。


 それに私たちは「尋成被害者の会」という絆ですでに結ばれている。今日はあいつの悪口を肴に飲み語るわよ! 明日も昼番? 知ったことか。


 というか私としたことがぬかったな。今さらだけど尋成のしてきたことを考えると、股間を潰すくらいじゃぬるかったわ。戻って社血狗でとどめを刺して来ようかしら。これから先、被害者の会が大きくならないようにするためにもそれがいい気がしてきた。


 それに騙し取られた100万円、どうしてくれよう。あいつのことだ、すでに100万円は溶けてしまったと考えた方がいい。甲斐性なしの尋成に100万円作らせて返させることができるか否か。


 ……それはちょっと無理ゲーすぎる気がするな。警察? いや、別に刑事罰を喰らわせてやりたいわけわけじゃなくて、金を取り返したいわけで。それなら弁護士に相談か。


「ありがとうございます」


 尋成への制裁と私の財産に悶々と思いを巡らせていると、エイルが顔をくしゃくしゃにして頭を下げた。


「だからいいって」

 そうよ、今はそれどころじゃない。やっぱり今日は大人しくこの子と一緒にいることにしよう。その方が絶対いい。


「とりあえず風呂ね。それからご飯。スッキリしておなかが膨れりゃ、大抵のことはどうにかなるもんよ」


 私は車のアクセルを踏み抜き、家路を急いだ。


◆◆◆


 やばい、部屋の中、結構とっ散らかってたはず。傷心のエイルをほったらかして爪楊枝も飛び交う大掃除を敢行するのは現実的じゃないわ。……でもせめて風呂場の排水溝だけは隙を見て掃除しとかなきゃ。


「ちょっと散らかってるけど、気にしないでね」


 初めて恋人を家に招き入れるような緊張感に苛まれつつ、エイルを振り返って苦笑いした。


「全然全然。こちらこそ転がり込ませていただきます」

 エイルは畏まっているのかいないのか、よくわからないことを言って会釈した。


「……わあ」

 1LDK自称乙女かっこ25歳かっことじの部屋を見て、感嘆(?)の声をもらすファンタジー級美女。……ごめんね、ほんとにいつもはもう少し片付いてるのよ。最近尋成のための金策に奔放したり、職場の人間関係の煩わしさがマックスに達したりと荒れてたから。


「いつもはこんなんじゃないのよ」

「い、いえいえ。落ち着く猥雑さというか、居心地よさそうだなぁと」


 気を遣って部屋に招待したはずなのに、逆に気を遣わせてしまっているわ。しっかりするのよ、ヘリヤ。とにかく、排水溝をきれいにしなきゃ。


「お風呂ためてくるから、そこら辺に座ってて」


 ソファベッドの衣類を押入れに名称の通り押し入れてエイルを座らせる。


「なんだかすみません」

「いいのよ。あ、鎧も脱いじゃいなさい。着替え持ってんでしょ」


 私は風呂のお湯をためながら、無事排水溝の掃除を完遂した。エイルは私を待ってる間に軽装の鎧を脱ぎ、リラックスできる服装になっていた。シルクのようにテラテラとした水色のパジャマが、エイルのワインレッドの髪によくあっている。


 きゃ、きゃんわいいー! 剣士姿のときはちょっとビターな感じだったけど、布、やばいわね。たまらずハグしたい衝動に駆らる自分を抑えるの、ギリギリだったわ。頑張った私。


「私、一番風呂いただいてしまっていいんですかね」

「入って入って。あんなゲスとダンジョン探索なんて疲れたでしょ。タオル出しとくから。あ、クレンジングとか使いたかったらお風呂場の勝手に使って」


 エイルを風呂に送り出した後、今度は部屋の掃除に取り掛かる。がっつり綺麗は無理。というかすでに部屋の惨状は見られちゃってるから、今さら取り繕っても意味なし。最低限、快適に過ごせるように片付けるのよ。


 ローテーブルの上で領地争うを繰り広げている化粧道具や大量の空ペットボトル、雑誌なんかを仲裁し、彼らが収まるべきそれぞれの国へ送り返す。床に散らばる洗濯物や弁当のゴミ、アコースティックギターも然り。


 落ち着いて飯を食って寝る、この2つを満たすために猛烈かつ果断に掃除を展開する。時間はそう多くない、急げー!


 埃やら髪の毛やらその他諸々、フローリングに広がるあまねくハウスダストどもをお掃除ワイパーでバニッシュするという奇跡を完遂したところで、髪を濡らしたエイルが脱衣所から現れた。


「ありがとうございます。……久しぶりにゆったりお湯に浸かった気がします。え、すごいきれいになってる」


 濡れて艶めく髪、上気して赤らんだ頬に潤んだオッドアイ、引き締まってはいるが女性的な嫋やかさも兼ね備えた完璧ボディ、そしてそれを天女の羽衣よろしく包む水色のパジャマ。その破壊力たるや! 筆舌に! 尽くし! 難し!


 きゃんわうぃー! 抱きしめてー! 抱きしめてそのテロテロの布越しにエイルの体温を感じながら頭の匂いをスンハスンハしてー! ……どうした私。はじめは同情していただけなのに、ショッキングなことが起きすぎて新たな属性が目覚めてしまったとでも言うのかしら。って待てよ。


「エイル、ほんとに尋成に何もされなかった?」

 私ですら(ですらって私の自制心が一体いかほどのものなのか)この乱れよう。尋成が一度返り討ちにされたくらいで諦めるとは思えない。


「ええ、半殺しって言うんですかね。片玉握り潰してやったらその日以降何もしてこなくなりました。泣きじゃくって、ほんとみっともなかった」


 ……や、やるじゃない。


「それじゃあいつは今日で玉なしね。さて、私もひとっ風呂浴びてこよ」

 色々と動揺が収まらないけど、平静を装って私は風呂に向かった。

「あ、ドライヤーここあるから。我が家だと思って、好きに過ごしててね」

 リビングからすみませんと返ってきた。基本、というか今のところとってもいい子だし、尋成の不運は自業自得。なんなら一生ゴーレムの姿でもいいくらいなんだけど。


(片玉……握り潰すのかぁ)


 私は化粧を落とし、髪を洗いながらさっきのやりとりを反芻した。あんな可愛い顔してるのに、我が身に火の粉が降りかかれば苛烈に反応して乗り越える。


 髪を洗い流して、鏡に映る自分の顔が視界に入った。目は燦々と輝き、知らず口角は上がっている。ああ、私ったらあの子に首ったけね。


 体を洗い、湯舟にどっと浸かる。くぅぅぅー、お湯の温みが全身に沁みるー。


 エイル、行くあてないって言ってたな。でも行くあてないって状況になるほど、彼女自身はスレてないというか、荒れてないと言うか。確かにちょっと暗くはあるけど、そりゃ恋人を亡くせば、ねえ。これまでどんな風に生きてきたのかしら。同棲してた彼氏がいなくなって、家賃払えなくなったとか? それで探索者になったのかな。


 うん、風呂の中で悶々と考えても仕方ない! それにのぼせそう! ここはアルコールを呷りながら親睦を深めるとしよう。


 そうと決まれば、とりゃ!


 風呂から上がって鼠色のスウェットを着(そうよ、私はどうせ寝巻きがスウェットな女子力低めな女ですよ)、リビングに向かうと、すでにテーブルの上にはお皿に盛られた惣菜たちが控えていた。な、なんてこと!


「すみません、お皿勝手に使っちゃって」


 私の驚く様を見てエイルはおずおずと謝ったけど、違うの、そうじゃないの。まさかコンビニで買った適当な惣菜を、しっかりお皿に盛り直してレンチンしてくれるなんて。そんなきちんとした子を我が家に招き入れてよかったのだろうか。ていうか、最初にきったない部屋を見られた時点で私多分アウトだわ。


「違うの、ありがとう。準備させちゃって悪かったわね」

 そう言いつつ冷蔵庫の缶ビールを手に取り、はっとした。

「……ビール、飲む?」


 私は乾杯する気満々だったけど、夜はカモミールティーにミルクを少し垂らしたものをリラックスした気持ちで飲むのがルーティンなんですって顔してるしな。完全に私基準でしか考えてなかったわ。


「いただいていいのなら、飲みたいです」


 エイルは恥ずかしげに目を伏せた。くぅー、その意地らしい様がまた。出合え出合え! エイル様がビールをご所望だ! ビール奉行に申してサーバーごと持って来させよ!


 へい、かしこまりー! 私はルンルンで缶ビールを2缶取り出し、ついでにグラスも2つさらって食卓についた。惣菜を皿に盛りつけ直すエイルちゃんだ。缶から直接グビグビいくよりグラスに注いだ方がいいに決まってる。


 カシュッ。お互いのグラスに注ぎ合ってえー。


「かんぱーい!」

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