第23話  日本分割統治

 そして仏歯寺の後ろにあるのが仏教博物館。チケット代は500ルピー。ここは仏教伝来の歴史を伝える建物で、日本だけでなく韓国、中国、インド、タイなど仏教が伝来した国々の補助金で維持されている。1階は伝来の歴史とかスリランカでの仏教の扱いなどが展示されており、2階フロアは各国の仏教文化、教育がそれぞれの国の責任で展示されていて非常に面白かった。要は解釈も違うのから仏教建築にも違いが出てくる。その点が一番ツボだなと感じた。

 仏歯寺周辺にはナータ寺院、パッティエ寺院がある。せっかくなので寺院群を通ってキャンディの街へ戻ろうと思う。見ごたえのある寺院群ではないけど、熱心に祈っている地元民の表情から学ぶものも多い。


 自分の利益だけ祈っている表情に見えないから。


 寺院群を出ると露店が立ち並ぶ通りにぶつかる。すぐ壊れそうなお土産品が雑に並べられている。大したもんは売っていないから冷やかし程度に観察する。

 屋台通りを抜けたところにあるのがこの町で一番風格があるクイーンズホテル。

 コロニアル建築が大変美しく、保存状態も良いため、記念撮影をしている観光客も多く見かけた。私はここでトイレ休憩をとることにした。スリランカ旅行中、きれいなトイレと出会うのは、本当に至難の業である。高級ホテルのトイレだからクオリティには問題ないでしょう。私はここの宿泊客ですよ、と言った表情を作り、堂々と正面玄関をくぐる。

 ロビーにはアンティーク調の調度品が何点も置かれており、イギリス統治時代の面影もかなり濃く残している。

 ロビー奥にトイレにあった。扉からして歴史を感じさせる風格が漂っていた。

 博物館のようになっているロビーをうろうろして涼んだ後、外に出た。


 天気は素晴らしく良かった。クイーンズホテルの目の前には、真っ白な波頭が点在するキャンディ湖が広がっている。湖に映る仏歯寺の姿は特に美しく、敬虔な仏教徒ではない私も、安らぎを覚えずにはいられなかった。

 湖のほとりはちょっとした公園になっており、地元のカップルを何組も見かけた。木陰ベンチに腰掛け、湖を眺めながら、しばし感じの良い湖風にあたることにした。

ふと、ある人物の顔が浮かんできた。


 高校教師になる前は、特別支援学級の担任として、中学校で3年ほど勤めていた。2年目の時に出会った社会科の教師の話が面白く、日ごろは職員室の空気が好きになれず、放課後も教室に引きこもっていたのだが、その2年目の時は自分でも意外なほど職員室に顔を出していた。

 先輩教師は放課後、部活指導に行くわけでもなく、たいてい事務室に入り浸り、お茶を入れてもらいながら、事務スタッフ相手に無駄知識を披露していた。

 その無駄知識があまりにも魅力的で、さっさと職員室で雑務処理を終えると、事務室へ顔を出し、先輩教師の無駄知識に耳を傾けた。

 マツコ・デラックスのような体型で、深く椅子に腰掛けながら、落語家のような語り口調で、毎度、様々な国の歴史や情景、文化を雄弁に語ってくれた。

 その中の一つに、今回旅をすることになったスリランカがあった。

「なぁ、スリランカって昔、何という国やったか知っとるか?」

「あぁ、確か、セイロン島だったような気がしますが。」

「ほや。その国のおかげで、今の日本の平和があるって、知っとるか?」

 私の困惑する顔を嬉しそうに眺めながら、先輩教師はうまそうに熱いほうじ茶を啜る。放課後学習のスタートだ。


 時代は太平洋戦争末期。敗戦後の日本占領方法について、アメリカ軍の内部組織で、さまざまな検討の結果、最終的に以下のような分割統治案が固まった。北海道・東北地方はソ連統治、関東・中部地方はアメリカ統治、東京はアメリカ・ソ連・中国・イギリスの共同管理、関西地区はアメリカ・中国の共同管理、四国は中国統治、九州・中国地方はイギリス統治と言う風に。

 この計画を廃案の方へ導いてくださったのが、その昔、セイロン島と呼ばれた国の大蔵大臣を務めていたジャヤワルダナだった。

 1951年、サンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席した際、 会議演説で彼は、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」、と述べ、また、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、セイロンは日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行なって各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作ったのだ。

 主席全権、吉田茂以下、日本の随行員らは彼の演説に感動し、その場で泣き崩れたという。

 もし講和会議の席で、あのようなスピーチがなかったら、日本分割統治案は遂行されたかもしれない。

 今の日本に根本的な平和があるのは、ジャヤワルダナ氏のあの名演説があったからなのだ、と先輩教師は湯のみを置く。

 先輩から聞いた教科書にも書かれていない話に深い興味を抱いた私は、スリランカと言う国に関心を寄せるようになり、その後スリランカと言う国について書かれた文献を読み漁るようになっていった。


 今日はちょうど旅の折り返し地点に来ている。


 どこまでも優しいスリランカの人たち。日本は過去この国の人物によって救われ、そして国際社会に復帰後、日本はその演説のお礼をするかのように、この国のインフラを整え、この国の近代化に貢献してきた。国民はその貢献に対する感謝を学校で改めて習い、日本人旅行者には特に親切にするようにと教わり、実行して下さっている。折り返し地点に到達するまで気分よく旅を続けられているのは、日本の貢献がいまだ続いているからだろう。



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