13. 陽光の下

見奈美由紀乃みなみゆきの


 家に帰るなり気絶するかのように眠っていた間も、目を覚ましてからも、ライブの余韻が身体を支配していた。腹の底に響く音たちが、この世で一番好きと言っても過言ではない声が、何をしていても私の中を巡る。


 そして何より、鷹橋たかはしよるが私の小説を読んでいたということ。いまだに信じられなかった。彼の言葉が意識の片鱗に浮かんでは沈み、また浮かんで、その度に心臓が身体の中で迷子になった。


 ——表現とか、言葉の使い方とかが、本当に綺麗で。


 鷹橋たかはしよるの歌詞が好きだった。配信などで見せる穏やかな口調と異なり、激しい言葉で社会の矛盾や違和感を鋭く突く。一方で飴細工のように繊細な愛を紡ぐこともある。複雑すぎる言葉は使わない真っ直ぐな詞は、聴く者の心を強く掴んだ。回りくどくしか書けない私には、彼の歌詞はあまりに眩しかった。私には彼のような才能がないのだと思っていた。


 その鷹橋たかはしよるが、私の表現に心を打たれた。綺麗だと言ってくれた。それは、私にとって容姿や性格や、その他私自身を褒められることよりよっぽど、破壊的とも言える喜びだった。


 昨夜入れなかった風呂から上がり、遅い朝食をとりながらスマホを眺める。窓の外では蝉がやかましく合唱している。


 田端さんからは、


〈ライブ、ほんとによかったですね! 楽しめましたか?〉


 とラインが来ていた。少し考えて、返信をする。


〈めちゃくちゃ楽しめました! 本当に行ってよかったです。ありがとうございます!〉


 見奈美由紀乃みなみゆきのが私だということには気づいたのだろうか。田端さんのことだ、私が言うまで気づかないふりをしてくれているかもしれない。いつか言おう、と思った。田端さんになら言える気がする。沙月のように、大切な相手になってくれる気がする。


 ラインを閉じ、ツイッターを開く。鷹橋たかはしよるの最新の投稿は、昨夜遅くのスタッフとの飲み会の様子だった。


〈ツアー完走です! 見に来てくれた人も、来られなかったけど応援してくれた人も、本当にありがとう〉


 大学生の飲み会か、とツッコミたくなるような雰囲気のセルフィーが三枚と、昨日のホールで撮ったらしい、バンドメンバーの集合写真が一枚。迷いもなくすべての写真を保存し、いいねを押す。写真を「鷹橋たかはしよる」とタイトルをつけたアルバムに移している時、ふと考えた。


 もし私が、「見奈美由紀乃みなみゆきの」のアカウントで鷹橋たかはしよるに連絡をしたら? 彼はどんな反応をするのだろうか。彼に手が届くのだろうか。私たちの間に何かが起こることは、あり得るのだろうか。


 満面の笑みでピースサインを送る鷹橋たかはしよるの写真を、拡大して見つめていた私は、小さくかぶりを振った。ただのファンのひとりでいることしかできないし、そうあるのが一番いい。いまだ私はデビュー作だけの作家だし、こんなにも卑屈な私を知られては、失望しか与えないだろう。


 スマホが震えて、鷹橋たかはしよるの新しいツイートを通知する。すぐにツイッターに移ると、スタッフのコメントと数秒の動画が投稿されていた。


〈今スタジオに帰っているのですが、よるさん、お疲れのようです〉


 車の後部座席で、鷹橋たかはしよるがうつらうつらと船を漕いでいた。昨夜はどこかのホテルに泊まったのだろうか。確かにあの時間まで飲んでいたら、終電もないだろう。


 それにしても、なんともかわいい。思わず頬が緩み、私はもう一度動画を再生する。車窓に街並みが流れていく。前髪が目にかかり、顔はよく見えない。車の揺れに合わせて、鷹橋たかはしよるの頭も揺れた。


 ふっと没入感のようなものを覚える。心地のよい疲労と切なさ、寂寥。鷹橋たかはしよるの三週間の旅の終わりが、私のもののように鮮やかに想像されたのだ。


 彼が昨日、アンコールの最後に流した涙の理由を想う。その涙を、私は知っていた。二年前、新人賞を取ったあの時に、私が流したものだった。


「そっか」


 呟きが零れる。


 私たちは、同じなのだ。


 決して相容れないのだと思っていた。神に愛されているのは鷹橋たかはしよるだけだと思っていた。でも、そんなことはなかった。


 アンコールのMCで話していたじゃないか。一度全てを失ったと。彼だって、悩み苦しみ抜いてあの舞台に立った。彼だって、神に愛されてなどいなかった。


 私たちはどちらも、身一つで創作に挑んでいるのだ。


 私はスマホを置き、カーテンを引く。真夏の陽光は重く、途方もなく眩しい。それを頭から浴び、私は笑うことができた。

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