第5章 救出

第1話 上陸・野営

「発光信号確認」

 紫苑がリブと呼ばれるゴムボートの舳先で暗視眼鏡を覗いていた。

「一時方向、海岸線まで距離約一キロ」

 そう言うと紫苑はペン型ライトで信号を送り、また暗視眼鏡を覗く。

「符丁は合致。海岸は安全」

 「了解です。駿、微速で接近して下さい」

 駿以外の三人は全員暗視眼鏡を覗いて周囲を警戒していた。メガネのように装着するタイプではなく手持ち式のものだ。戦闘となればピルミリンによって暗視能力も強化される。視界の狭い暗視眼鏡は必要ない。

 駿は生唾を飲んだ。今回の作戦の中で、ある意味最も危険な瞬間だったからだ。

 もし上陸支援をしてくれる工作員から情報が漏れていれば、いきなり撃たれる可能性もある。

 そうなれば、狭いゴムボートの上では身を隠すことも逃げることもできない。

 おまけにスーツはいくら軽量化されていると言っても水に浮くような代物ではない。緊急除装しなければスーツに海底に引きずり込まれることになる。

 駿の目にも海岸線が見えてきた。心臓は早鐘のように鼓動を響かせていた。

 発行信号は岩陰の猫の額ほどしかない砂浜から発せられていた。電動船外機のスロットルをなんとか操舵が出来る程度に落とす。

 くるくると回るペンライトの光に向け、ゆっくりとゴムボートを接近させた。船底から引きずるような音が響くと、舳先が砂の上に乗り上げた。

 駿が船外機を引き上げると三人が浜辺に飛び降りる。駿も急いで舳先に移動して飛び降りると、ロープを引く紫苑と瑠璃を手伝った。

 由宇は出迎えの工作員と話していた。40代半ばと見える無精ヒゲの親父は、スーツを装着した異様ななりに驚いていた。そしてフェイスマスクの下から聞こえた由宇の声に更に驚く。

「特殊部隊とは聞いてましたが、普通の特殊部隊ではないねえ」

「ええ。いろんな意味で特殊です」

 表情は覗えないが、さすがに由宇も笑っているだろう。

 リブを海岸の奥に引き上げ岩陰に隠す。作戦が決行されれば帰路に使用する予定はなかったが、途中で任務中止になった場合は、再度使用して離脱する予定だった。

「ユウ、リブはOKだ」

 由宇は無言で頷くとヒゲの親父に向き直った。

「では、お願いします」

「付いてきて下さい。上に車があります」

 その親父はブッシュの隙間に体を埋めて坂を上って行った。

 駿はスーツをロウワーレッグを畳んだロウモードにすると、屈んで親父の後に続いた。

 後ろに続く由宇を枝が叩かないように押さえながら十メートルほど進む。その先には鮮魚と書かれた小さな冷凍車が止まっていた。

 銃口を下げた警戒姿勢で冷凍車の周囲を確認する。

 何も変哲もない静かな道路だった。路肩に止めた冷凍車の運転席では別の工作員が駿の姿を見て目を丸くしていた。

 車を一周すると車の背後について三人を待った。親父が荷台を開け、紫苑、瑠璃に続いて由宇が乗り込み、最後に駿が乗り込んだ。右側に座る瑠璃の横に膝をかかえて座った。四人がやっと座れるという狭い空間だった。

 親父が無言でドアを閉めると庫内は真っ暗になる。ディーゼルエンジンのゆっくりとしたビートだけが響いていた。

「とりあえず潜入は成功ですね」

 瑠璃がホッとした声でささやいた。

「そうですね。神酒1尉は何か言ってましたか?」

 無線での報告は瑠璃の仕事だ。

「いえ。予定通り行動せよというだけでした」

 エンジンのビートが早くなると、車が動き出した。

「そうですか。では下車地点まで小一時間あるから休んでおきましょう」

 由宇がそう言うと沈黙が訪れた。休むと言っても心臓がやっと落ち着き始めたという程度では、とても眠れる状態とは言えなかった。緊張からか誰かに話しかけたいという衝動が沸き起ってくる。それでも休むことも任務の内となれば静かにしているしかなかった。


 車は峠道を左右に揺れながら上っていった。

 やがて車が停止すると乗車席のドアを開ける音がした。エンジンはかかったままだ。

 暗闇の中、由宇が腕時計のライトを付けて時間を確認していた。

 「着いたみたいですね」

 駿は鹿山が準備してくれたスパス15ショットガンを握りしめた。なかなか冷凍庫のドアは開かなかった。おそらく周囲を確認しているのだろうが、駿にとっては恐ろしく長い時間だった。

 ガチャリと金属音が響きドアが静かに開く。ドアの隙間から月明かりが差し込んだ。

「予定の場所だ。問題ない」

 名乗ることも無かった工作員の親父に軽く頭を下げると、静かに車外に降り立った。

 スーツをハイモードに切り替えると親父が指し示した藪の方に歩みを進める。

 全員が降り立った事を確認するとすぐ後ろに続く由宇を見た。由宇は軽く頷いた。

 視界の隅に表示されるマップを見ながら待機ポイントに向かった。山のほぼ中央部、道路からわずか三百メートルほどの地点だ。

 周囲を警戒しながらゆっくりと進んだ。三分ほどで到着する。周囲の確認が終了すると由宇が命令を下す。

「ミニー、報告を。みんなスーツをスタンバイにして除装して下さい」

 由宇はそう言うとスーツをロウモードにして斜面に腰掛けた。駿もそれに続く。

「報告完了。拘置支所にも動きは無いそうです。全て予定通り」

 延岡拘置支所には別の工作員が張り付いて情報を流してくれる手はずになっていた。もし予定外の時間に動き出したとしても延岡から九六位峠までは一時間半ほどかかる。その間に準備を整える予定だった。

 もし情報通りなら延岡出発は午前九時のはずだった。あと六時間は時間がある。

「では予定通り交代で休みましょう。シュン、お願いしますね」

「了解」

 最初の不寝番は駿だった。

 斜面に腰掛けたまま暗視眼鏡で周囲を見回す。微かな風に揺らぐ木の葉以外は動く物もない。聞こえる音は枝葉のずれる音とさほど賑やかでもない虫の声だけ。気になるモノがあるとすれば、ムッとするような緑の匂いだけだった。

 不寝番と言えばつらいモノの代名詞のようなものだったが、駿にはありがたかった。とても眠れるような気はしない。

 自分が思った以上にデリケートなことを思い知らされた。

 そして頭の中でリズムを刻む。そうでもしないと、明日の作戦の事で頭がいっぱいになり不安が押し寄せて来る。

 今度の相手は前回とは違う。日本人なのか中国人なのかは分からないが、襲撃を警戒していることは間違いない。装備も小銃のみと言うことはあり得ない。情報では機関銃を装備しているという。

 一瞬で仕留めなければ、反撃するいとまを与えてしまえば、こちらがやられるだろう。


 駿の視界は灰色一色だった。赤外線を可視化する暗視眼鏡はわずかな差の熱源でも容易に発見させる。駿の周りには小動物さえ居ないと言うことだった。下草と生い茂る樹木はほとんどコントラストもない。

 駿は灰色の視界をぐるりと一周させると暗視眼鏡を下ろし、月明かりで腕のタグホイヤーを見た。随分と時間が経ったような気がしたが、実際にはまだ三十分ほどしか経過していなかった。

 駿はすぐそばで横になる三つの影を見た。カモフラージュを兼ねたシートの上に月光に照らされた小さな白い顔が並んでいる。

 一番遠くにいる由宇は時折もそもそと動いていたが、紫苑と瑠璃は微動だにせずに横たわっている。

 その顔を見つめ、駿は大したものだと思った。すると横にいた紫苑の目が突然ぱちりと開いた。

 駿は思わず身を引いた。紫苑の目はまっすくに夜空を見ていたが、やがてゆっくりと駿の方を向いた。

「起きてたのか」

「眠れるわけ無いだろ」

 紫苑は視線を夜空に戻すと小声で答えた。

「そりゃそうだ」

 駿は紫苑に向けてと言うより、自分に向けてつぶやいた。紫苑は相変わらず夜空を見つめている。駿は気になっていた質問を投げかけた。

「まだ気乗りしないか?」

 紫苑は弓が引きたくて入隊したと言っていた。駿のように積極的に戦いたい理由はないのだろう。

「そんなことないさ。あれだけしごかれたんだ。今更止めるとか言われたらかえって腹が立つね」

「そうか」

 駿は少し肩の荷が下りたような気がした。気乗りのしない紫苑を引っ張り出してしまったような気がして気になっていたのだ。

 駿が安堵の笑顔を浮かべて紫苑を見ると、その奥でムックリと起き上がる影が見えた。

「うっさい」

 月影のシルエットしか見えないので表情はうかがい知れなかったが、珍しく不機嫌そうな瑠璃の声だった。

「ゴメン。起こしちゃったか」

「寝てはいなかったけどね」

 瑠璃は頭をかきながらゆっくりと首を回し、端で転がる由宇を見た。

「寝てられるのはユウだけみたい」

「こんな時にね。一体今までにどんな経験をしてきたんだろうね」

 紫苑はため息混じりだった。そして意外なことを聞いてきた。

「ユウは分かるんだけどさ。あんたは何でこの作戦に入れ込んでるのさ」

「俺が?」

 頷いたのは影だけでも分かる。

「そうか二人とも知らないんだな」

 駿は一呼吸置いて続けた。

「俺自身が入れ込んでるってのはちょっと違うかな。ちょっとダブったんだよ。王3佐はユウにとって同じ工作員として戦った戦友っていうだけじゃないんだ。彼女にとっては本当の家族も同然なんだよ」

 駿の方を向く二つの影の向こうで由宇がちょっとだけ身じろぎした。

 しばらく声を潜めていたが、起きたわけではなさそうだった。駿は声を一段小さくして言葉を継いだ。

「ユウは……なんて言ったかな……、そう児童養護施設、いわゆる孤児院で育ったんだそうだ。で、彼女にとってはその養護施設が家で、そこの職員が親、他の入所者が兄弟だったらしい。でも……みんな沖縄で死んだって言ってた。だから、という訳じゃないのかもしれないけど、彼女にとっては王3佐は本当の親と同じなんだって言ってたよ」

 そこまで喋ると駿は落としていた視線を上げて雲間から覗く星空を見た。

「俺も姉が沖縄で行方不明になった時、本当に死んだんだって分かるまで、戦争が続いていようが何だろうが駆けつけて出来ることがあれば何だってやりたかった。今の由宇はそれと同じ思いなんだ。だから手助けしてやりたいと思ったんだよ」

「家族……か。なるほどね」

 紫苑は身を起こすと膝を抱えてそこに顎を乗せた。

「ま、いいわ。私も気合い入れてやってやるさ」

「うん」

 駿はなんだか緩んでしまう頬を引き締め、再び暗視眼鏡を覗いた。

「私は最初から気合い入ってますよ」

 駿は周囲を見回しながら聞いてみた。

「ミニーは何で気合い入ってるんだよ。あっさり賛成してくれたから、ちょっと以外だったんだけどな」

 瑠璃はすぐさま答えをよこした。

「この作戦に成功すれば多分賞詞が貰えますよ」

「そうかな?」

「だって来る反攻作戦の鍵となる重要人物ですよ。絶対貰えるはずです。で、賞詞が貰えると防衛記念章が貰えます」

「防衛記念章って、グリコのおまけの事か?」

 防衛記念章、制服の左胸に着けるカラフルな棒は通称グリコのおまけと呼ばれている。

「そうです」

「で、何でそんなもん欲しいんだ?」

「はい?」

 ミニーは元々ハスキーな声を裏返して素っ頓狂な声を上げた。

「貰えたら嬉しいに決まってるじゃないですか」

「いや。もちろん嫌なわけ無いけど、そんなに嬉しいモンか?」

「あたりまえでしょ。防衛記念章は名誉の徴です。軍人は名誉に生きて名誉に死ぬんです」

 思わず「似合わねえ」と言いそうになったが踏みとどまった。口に出したら怒られそうだ。

 駿が無言でいると瑠璃はそっぽを向いて言った。

「ふん。どうせ似合わないとか思ってるんでしょ」

「そんなことはないよ」

 と言ったものの、本心を隠し通せたとは思えない。

「あんたも結構変ってるねえ」

 紫苑は素直に感想を言っていた。

「何にせよ、夜が明ければ敵が来る。俺にとっては仇だ。やってやるさ」

 駿は右の拳を左の手のひらに打ち付けた。

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