第13話 厄介な客

「荷物をお持ちします」


 ベルボーイの代わりに手を差し出したところ、「自分で持つ」と断られた。なかなか用心深い人物のようだ。

 

 ならば、と吉田は用意していたカートを押しながら吹き抜けのエントランスを通り抜け、部屋へと先導する。


 スイートルームは、元は応接室として使われていた部屋だ。入室した客は思わず、「ほぉ」と感嘆の息を漏らす。


 部屋は緑を基調とした壁紙で統一されており、部屋の中心には暖炉があり、今の季節には火が入っていないが、焚き口であるマントルピースは大理石のレリーフで、ろうそく台を置く飾り棚が設けられている。

 暖炉の熱を避けるファイヤー・スクリーンには花瓶に生けられた華やかな花々が描かれている。蛇足であるが、この絵の作者はヨシュアである。絵画でなく壁に描かれた絵ならば泥棒できまい。

 調度品も一流のもので、寄木細工の書き物机、脚を休めるための革張りのカウチがバランスよく置かれている。絨毯は幾何学模様が美しい異国のものだ。壁際には着替えや身繕いが行えるよう、ピカピカに磨かれた大きな鏡もある。

 因みにこれらはインテリアのことがさっぱりわからない吉田に代わり、未亡人のセンスによるものだ。


 このスイートルームは幾つかの部屋がついており、寝室には四柱式の天蓋がついた立派なベッドがある。もちろん布団にはふかふかの羽毛、絹のシーツがかけられている。貴重品はこちらに、と吉田が示したのは、一見すると部屋に調和した家具であるが、金庫である。

 広い窓の向こうには庭師に頼んで即席で整えた庭が一望できるテラス席もあり、ティーテーブルも置かれている。吉田はカートから茶器を取り出し、アイスティーを淹れた。


「日没には夕焼けが差し込み、庭が茜色に染まってそれはそれは見事ですよ」


 しかし振り返ればテラスに客の姿はなかった。慌てて室内に戻ると、彼の興味は別の部屋にあるらしかった。


「浴槽があるのか。ありがたい」


 スイートルームには専用のバスルームがついている。大きな浴槽と陶器でできたトイレだ。まだ下水が完備されておらず、おまるだが。


「はい。入浴も出来ますよ。ご希望されます?」


 吉田はおや?と思った。この国で入浴は敬遠されている。準備が大変で贅沢と言うのもあるが、貴族令息であるヨシュアですら二週間に一回程度しか入浴しない。入浴すると頭は鈍く身体は脆弱になり、病の素が皮膚から浸透するというとんでもない法螺話がまかり通っているそうだ。風呂文化のある日本人としては許容し難い。


「ああ。日の出後に準備してくれ。一日一回は入らないと教義に反すからな」

「素晴らしい教えですね!」


 思わずにっこりしてしまった。この国の住人は風呂に入らないせいで体臭がキツイ。香水で誤魔化しているので余計に頭が痛くなる。

 従業員には、自身を清潔に保つよう徹底しているが、常識との戦いだったので説得に苦労した。しかしこの世界には清潔な人間もいるのかと、吉田は嬉しくなった。

 勿論、水道が通ってないので入浴準備は全て人力。ホテルスタッフとしては辛い重労働になるのだが。


「入浴のお手伝いは必要ですか?」

「いい。自分でできる。しかし、これは何だ? 石鹸か? 三種類あるようだが」


 浴槽近くの大理石の机、そこに置かれたガラスの器に乗っていたのは固形石鹸。残りは、ハンスの旦那に作ってもらった小瓶が二つ。


「残りはシャンプーとリンス、えっと、髪用の石鹸です。勿論髭にも使えます」


 簡単に使い方を教えると客は目を丸くしていた。


 石鹸も含め、吉田が自作したハーブ入りのものである。夏休みの自由研究で自家製石鹸等を作成したことがあり、ありがたいことに作り方を覚えていた。オープンには間に合わなかったが今度は女性向けに化粧水等も揃えておこうと吉田は企んでいた。



 

 さて。無事に客をスイートルームに案内した後、吉田は厨房へ走っていた。ホテリエとして褒めらたことではないが、他に客もいないし緊急事態だったのだ。


 厨房には料理長の他に何人かの人間がいた。ホテルの調理部門だって、焼く、煮ると言った料理を作るホットセクション、サラダ等の冷たい料理を作るコールドセクション、肉、魚などの下ごしらえを行うブッチャー、パンを焼くベーカリー、デザート担当のペストリーに分かれている。料理長にはこのままブッチャーを担当してもらうことにし、他の役割や使用人たちの配置換えや新しく雇って人数を増やした。


 それはさておき、厨房へ駆け込んだ吉田は開口一番に叫んだ。


「料理長、メニュー変更です! 今日は肉を使いません!」




 実は先ほど客に、「何か食べられないものはありますか?」と尋ねたのだが。


「主に豚だな」


 吉田は仰天した。本日は豚肉の香草焼きの予定だったからだ。


「後の肉は食べられないことはないが、特別な手順が必要だ」

「どんな手順ですか? 焼き方とか?」


 メモをとろうとする吉田に客はきまり悪そうな顔をする。


「あー、すぐに用意できるものではない。肉は使わないようにしてくれ」

「食べられないのは肉だけですか? 魚や卵は?」

「魚や貝も駄目だ。卵については規定があるところもあるが、俺は大丈夫だ」




「はぁ? もう豚絞めちまったぞ」


 話を聞いた料理長は不機嫌そうだ。吉田は壁際にある生物の成れの果てをできるだけ見ないようにした。


「どうすんだよ、これ」

「煮込み料理にすれば明日まで持つでしょう。悪くなりそうな部分は賄で出しましょう。今日はオープン記念ってことで、賄も多少豪華でも良いでしょう」


 他に客が来れば別だが、もう夕暮れが迫っている。どうやら初日の宿泊客は一人だけのようだ。


「しかし、豚肉を食べない人間なんているか?」

「アレルギーの人だっていますよ」

「あれるぎ? なんだそりゃ」

「特定の食べ物を食べると湿疹が出たり体が痒くなったり、酷いと喉が腫れて呼吸困難になったりします」

「なんて気の毒な病なんだ!」


 肉を何より愛す料理長は大げさに十字を切る。


「でも今回は手順とか規定とか仰ってましたので、ヴィーガンの方かもしれませんね」

「ヴィーガンって菜食主義者だろ? そんな奴らの気が知れないな」

「……」


 吉田は言葉を呑む。実は豚の解体を見せられた後、ヴィーガンに目覚めそうになったのだった。


「何はともあれ、お客様の要望が第一です」

「でもお前、肉がなければ無いのに晩飯どうすんだ?」

「なんとかします」


 吉田はまかないのスープに目をやった。豆のスープのようだ。


「クヴァス君、スープの大豆を全部取り出して十分に水切りした後、潰しといて。それと、この前作ったソース覚えてる?」

「は、はい」


 クヴァスと呼んだ線の細い十代の青年は、吉田が特に期待している人材だ。小間使いをしていたを引き抜いた。コップ一杯の水に砂糖、塩、酢といった僅かな調味料を溶かし、何の味か当てるという某調味料会社の試験を行ったところ、見事に正解した神の舌の持ち主だった。

 因みに料理長は当然良い顔をしなかったが、「肉を捌く料理長は男らしくて、憧れです」とキラキラした眼差しで言われ、機嫌を直していた。


「あれ、作っておいて。それから……」


 吉田は矢継ぎ早に指示を飛ばす。厨房は俄かに活気づく。


「俺は何すりゃ良い?」


 料理長が意気込んで言った。申し出は有難いのだが、正直、今回はブッチャーの彼に出番はない。


「料理長は鶏舎に行って卵を拾ってください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る