第14話 肉のない晩餐

 ラッパの音が鳴る。殆どの人間が太陽で時刻を知るこの世界には、スマホも無ければ腕時計もない。だから「食事は6時です」と伝える代わりにこうして食事の時間を知らせるのだ。


 そう、晩餐の時間がやって来た。吉田は部屋を出た客の前に立って先導する。客はたった一人なので、当初使う予定だった大人数用の食堂ではなく、館の主人が家族で食べるための部屋に通した。


 ガライ家の先祖や血族の肖像画が飾られた室内を、客は興味深げに見回す。テーブルクロスは純白、絹でできた紋章入りのテーブルランナーがかけられている。銀食器は輝くばかりに入念に磨かれ、花瓶には見栄えは良いが、香りは食事の邪魔にならないくらい控えめな花々が活けられている。


「お食事のご用意をお手伝いさせていただきます」


 吉田は一言断って、客の襟元に布を巻いた。

 

「ナフキンでございます。お召し物が汚れないようにと思いまして」


 この国のテーブルマナーの中にはテーブルクロスやランナーで汚れた手や口を拭くことが一般的らしい。しかしそうなると洗う際に面倒なので、こうしてナフキンをしてもらい、さらにはテーブルの上に小さなテーブルリネンを置いている。


 客は戸惑ったようだが、これが王侯貴族のおもてなしですと澄まし顔の吉田に何も言えないようだった。さらにフィンガーポールの説明をして、指先を洗ってもらう。コロナ禍にホテリエだった吉田は食事の前にアルコール消毒して欲しいところだが、せいぜい蒸したタオルを差し出しその手を拭う程度にとどめた。


 客の準備が完了し、早速、事前に用意していた食事を並べた。

 トマトのガスパチョ、ジュレでいただくカクテルサラダ、ズッキーニに巻かれたキャロットラぺ、カプレーゼのピンチョス、スモークしたサルシフィ(西洋ゴボウ)とチーズのカナッペ。盛り付けにもこだわり、カップケーキのように綺麗だ。本来ならスモークサーモン等も使いたかったが、全て野菜になっている。


「すごい凝っているが……これだけか?」


 客はあからさまに物足りなさそうな顔をした。


「いいえ。これは前菜オードブルといって、メインの前に食欲をそそるために出すおつまみのようなものです。本日はコース料理となってます。この後、メインの料理がありますので楽しみにしてください」


 そう言って吉田は食前酒となる白ワインをグラスに注いだ。


 次に登場したのはカボチャのポタージュ。ポタージュの素材はシンプルだが、その分出来が味付けや素材の味に左右される。カボチャは色の濃い、よく熟れたものを使い、牛乳は搾りたて、ミキサーはないので細かい金網で丁寧に裏ごしをしてある。


 その後、パンの給仕を他の使用人に任せ、吉田は調理場に立った。

 因みにパンは小麦だけで作られた白くふっくらしたパンだ。こうしたパンは王侯貴族や豪商などしか食べ足れないのだと言う。焼ける人も少なく、ホテルの開業にあたり、パン職人を新たに雇ったほどだった。それらをバター、数多のジャムといったお好みの調味料でいただく。


 この次は魚料理なのだが、客が食べられない可能性があるので変更しなければならなかった。

 吉田はよく熱したフライパンにバターを溶かし、白身がわからなくなるまで溶いてザルで越した卵を落とす。巧みにフライパンを捌き作ったのは、具なしのプレーンオムレツだ。それに葉物野菜と自家製のトマトケチャップを添え、食卓へと運んだ。


 訝しげな様子だった客だが、一口食べて気に入ったらしい。かつての同僚、シェフ直伝のレシピは、表面はなめらかで美しく、中はトロトロ。上手くできたようだと、吉田はほっと胸を撫でおろす。


 この後、フレンチなどではソルベが運ばれてきて口直しをするのだが、氷が手に入らないので省く。その代わり、メインが出来上がるまで井戸水にミントを浸し檸檬を絞ったミント水を出した。


 さて、お待ちかねのメインディッシュだ。吉田が運んできた料理はデミグラスソースのハンバーグだった。客は俄かに顔色を変えた。


「おい、私は肉料理は……」

「はい。ですので大豆でできた代用肉になります」


 客は半信半疑と言ったようにハンバーグもどきの匂いを嗅ぎ、恐々口に運ぶ。焼き色は肉そのもの、食感は近く、仄かに豆の香りがする。


「言われてみれば確かに豆だ。だが、どうやって」

「それは企業秘密です」


 吉田は苦笑した。賄に出すはずだった大豆を捏ねて焼いてそれっぽく仕上げたなんて、言えないのであった。

 クヴァスが作ったデミグラスソースの味が余程気に入ったのか、客はマスタードとマヨネーズを塗ってオーブンで焼いたポテトを初めとする付け合わせもぺろりと食べ、ソースは殆ど残っていなかった。


 最後はデザートである。


「もう食べれないと思ったが、案外入るものだな」


 タルトタタン、何層にも重ねたクラシュゼリー、果物の飾られたフラン。一口サイズのケーキを三つぺろりと平らげ、客は膨れたお腹を押さえた。


「ご満足いただけましたか?」


 吉田が食後のコーヒー……は無かったので紅茶を出しながら尋ねると、ちょっとだけ悔しそうな顔をして「少なくとも食事代分は返却不要だ」と言った。


「このレシピを考案したのは……」

「えっと、厨房の皆で協力して」


 言葉を濁して誤魔化そうとしたが。


「君だろ? 私のような者が来るとは知らなかったはず。準備の時間はなかったはずだ。だと言うのに君は全ての料理について熟知していたな」


 真実を追求しようとする鋭い視線に射抜かれる。嘘はつけないと判断した吉田は、「はい。僭越ながら」と認めた。


「と言っても私が考案したものでなく、教えていただいたものですが」

「どこでそんな知識を身につけるんだ?」


 吉田は悪戯っぽく笑った。


「それも、企業秘密です」

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