第10話 異世界通貨は複雑怪奇

 水道と料理の問題は全力で脇にぶん投げ、吉田には決めなければならないことがあった。


 価格設定である。


 例えばとある高級ホテルは、一泊十二万円、スイートルームは二百万円を軽く超す。吉田の初任給が二十万前後だったので、一泊で一番安い部屋でも月給の半分以上、高い部屋なら年収が吹っ飛ぶ計算になる。


 たかだか一泊に十万以上払うなんて馬鹿じゃないか、とマンガ喫茶愛好家は思うだろうが、需要があるから供給があるのだ。他では体験できないような最高のサービス、最高の部屋、最高の食事、つまりは最高の時間にいくら払っても良いと考える人がいる。金持ちにとって二百万は端金だし、記念日などに贅沢をしようと財布の紐を緩める人もいる。


 この異世界でどれだけのサービスが提供できるか。客が来なければ料理等は無駄になるので、予約サイトも電話すらないこの世界で、損も含んでコストより高めに価格設定をしなければならない。


 異世界は一泊幾らにするのか。難題である。


「カッツさん、大工のお給料は幾らくらいですか?」


 吉田は市場調査に乗り出した。


「そうだな、一日一バッツェンくらいだな」


 バッツェン? この世界の通貨はドゥカードではなかったか。吉田は首を傾げた。


「マルコさん、本業のお給料は幾らくらいですか?」

「月に三グルテンだな」


 また新しい単位が出てきた。


「ハンスさん、硝子職人のお給料は幾らくらいですか?」

「聞いて驚くなよ。実は俺は、年百フローリンもらったことがある」


 驚きを期待されているようだが、吉田はそれどころではない。


「それってドゥカードでどれくらい?」

「え? だいたい同じじゃないか? 前に百ドゥカードが百二、いや百四フローリンだったって聞いたことがあるぞ」


 どうやらそれぞれの国、または領が、好き勝手に通貨を鋳造し、為替レートが変動している。その中でもドゥカードやフローリンは異教徒も取引で扱う程、国を超えて広く流通しているそうだ。


 家の財産を管理している未亡人はこの手の話題に詳しかった。


 ドゥカード金貨、だいたいイコール、フローリン金貨、或いはグルテン金貨。グルテン金貨イコール15バッツェン銀貨或いは60クロイツァー銀貨で、クロイツァー銀貨一枚は4ペニヒ銅貨、らしい。さらにこの辺ではグルテンが流通しているが、エキュやリラ、マルクも見かける。そんな話を聞きながら、吉田の頭はパンクしそうだ。


 取り敢えず、ドゥカードに軸足を据えて計算することにした。


「とりあえず、最低価格ドゥカード金貨一枚、最高のお部屋で20枚くらいで如何でしょうか」


 一ドゥカードが現代の十万円から十五万円程だと考え、この価格を導き出した。

 相談を受けたヨシュアはマンガ喫茶派らしく、一泊にそんなに払うのか? と首を傾げている。


「でも、20ドゥカードの部屋に毎日泊まってくれれば、一年かかれば6000ドゥカードいくね」

「毎日客がですけどね。それに、売り上げはそのまま利益じゃありませんから。そこからコスト……経費を差し引かないと」


 ホテルには大まかに、四つの部門がある。まずは宿泊部門、ドアマン、フロント、コンシェルジュ、ベルマン、ハウスキーピング(清掃、洗濯)や予約課などからなる仕事。次に料飲部門、ホテル内のレストラン、バーのマネージャー、そのテーブルを担当するキャプテン、テーブルに料理を運ぶウェイトレス、テーブルを整えるバスボーイ、食器の調達、日々の洗浄や管理を担当するスチュアード。それから調理部門はメイン料理の調理は言うまでもなく、下ごしらえを行ったり、パンを焼く仕事もある。後は宴会や婚礼を企画する宴会部門があるところもある。


 これらの人件費、材料費や必要な器具と言ったコストがどれくらいになるかも計算してみたが、何しろ未知のサービスを提供するので、幾らになるかわからない。因みに吉田はフロントだったので、こうした計算はさっぱりだ。


 なるほど、とヨシュアは頷き。


「ところで、前に街で呼び込みしてたけど。あれ、意味ないと思うよ。品もないし」


 声を枯らして頑張ったのに、と吉田は些か腹が立った。


「しかし、宣伝しなければ客も来ませんし」

「客ってどんな人?」

「え?」

「たかだか一泊にドゥカード金貨をぽんと払っちゃう人ってどんな人かな。

まずはお金持ちだよね。それから、この街の人じゃないね。この街の金持ちなら泊まらなくても自分の邸宅を持ってるはずだし。そんな人が、呼び込みをして聞いてくれるかな?」


 吉田は思わず貴族令息をまじまじと見つめた。客層を絞り、客層に合った宣伝をしろと彼は言っている。よく考えれば、彼はこの世界では高度な教育を受けている方なのだが、それでも驚いた。一人では何もできない、自分の意志を持たない人物だと見下していたからだ。


 立場が人を育てる、と言う言葉がある。彼は庇護される立場だった。でも、今まで一人前として扱っていなかっただけなのかもしれない。

 上手く成長すれば、経営者オーナーに化けるかもしれないぞ、と吉田は思うのだった。

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