第7話

――店の仕事にも慣れ、ドロップタウンの人間たちにもすっかり顔を覚えられた大輝梨だいきりだったが、まだエデン666に戻ることを諦めていなかった。


いつもそのことを口にしているせいか、羅門らもんや店の子供たちからは「はいはい、また言ってる」と呆れられている。


だがシェイクだけは真摯に受け止めているようで、大輝梨がその話をすると口数が減っていた。


「よし、今夜は久しぶりのライブイベントだ。皆、気合い入れてけよ」


羅門が店内にいる全員に声をかけると、子供たちが一斉に「おー!」覇気のある返事をしていた。


いつもなら昼から店を開けて客を入れているのだが、どうやら今日は夜からオープンするようだ。


それは羅門が言ったように、今夜ライブイベントが行われるからである。


「ライブイベントっていったって誰が出るんだよ? このドロップタウンに歌える奴なんていんのか?」


「いるよ。まずシェイクはうちのクラブ歌手みてぇなもんだし、こいつらもバンドやっている」


大輝梨が不可解そうに訊ねると、羅門は説明を始めた。


この店で行われているライブイベントは、子供たちによるバンド演奏で始まり、トリは必ず子供たちの演奏をバックにシェイクがステージに立つようだ。


他にも日によるらしいが、飛び込みで出場するアーティストやバンド、ユニットもいるらしい。


「おまえも出てみるか? 楽器ができなくても、あいつらがバックバンドやってくれるから問題ないぞ」


「いや、いいよ。音楽なんて興味ねぇし。ましてや歌うなんて考えられねぇ。それよりもガキどもがステージ上がってる間はどうしてんだよ? 羅門さんだけじゃ店が回らねぇだろ?」


「ライブ中は注文をドリンクだけにしてもらってたんだが、今回はおまえがいるからな。通常通りできる」


「ちょっと待てよ……。まさか俺ひとりでやれってのか!?」


「大丈夫だよ。オレも手伝うし」


「あんたは料理を作らなきゃいけないから実質俺だけじゃねぇかよ!」


大輝梨が喚いていると、子供たちは苦い顔をしながら彼らに声をかける。


「もう、またワガママ言ってるんだね」


「しょうがないヤツだな、大輝梨は」


「ホント、いつも自分勝手なことばっかり」


まるで害虫でも見るかのような眼差しを向けられた大輝梨は、その身をプルプルと震わせると、子供たちに飛びかかった。


「うるさいぞ、おまえら! いつもバカにしやがって! 今日という今日は許さねぇからな!」


「わーい、みんな逃げろ!」


「逃げろ逃げろ!」


「大輝梨なんかに捕まらないよ!」


男の子も女の子も、まるでクモの子を散らすように大輝梨から距離を取って走り出した。


大輝梨は鬼の形相で追いかけるが、子供たちは上手いことその手から逃れ、からかうような言葉を発している。


突然店内で追いかけっこが始まり、羅門は「またか」と言いたそうに頭を抱えていた。


そんな彼とは違い、シェイクは白い歯を見せながらマイクスタンドを立てている。


「おい、おまえらいい加減にしろ! 準備しないとオープンまでに間に合わないだろうが!」


羅門の一括により、子供たちは素直に「はーい」と答え、大輝梨のほうも渋々従った。


それから皆でドラムセットやスピーカー、ギター、ベースそれぞれのアンプを倉庫から出す。


さらにミキシング·コンソール、マルチボックスなどのPA機器もそろっていた。


店の照明では大した演出はできなさそうだが、しまってあった音響システムは、大輝梨の想像を超えるしっかりとしたものだった。


シェイクと羅門、子供たちが慣れた様子で音響機器をセットしていく横で、大輝梨は言われるがままケーブルを繋ぎ、リハーサルがスタート。


その大きな音に不快感を覚えた大輝梨は、店内を出た。


地下から地上へと向かう階段を上がり、陽が落ち始めた空を眺めていると、持っていた携帯電話が震えた。


「会社から……? いくら連絡しても出なかったくせに、今さらかよ」


画面を見ると、そこには大輝梨が前に働いていた会社からメールが来ていた。


彼は再びエデン666へと戻るために、携帯電話で自分が頼れそうな人間に片っぱしから連絡した。


同僚、上司、学生時代の教師、古い知り合いなどに電話やメールをしたが、誰からも反応がなかった。


それが今になって会社から連絡が来たということは、おそらく上司か同僚が伝えたのだろう。


どんな内容なのだろうと、送られてきたメールを開く。


「ッ!? そうか、俺はヒセイキじゃ……」


――ライブイベントの準備も終わり、夜になってから店はオープンした。


最初に出演する子供たちのバンドのスタート時間が30分後というのもあり、店が開いたのと同時に、ドロップタウンの住民たちが狭い店内になだれ込んでくる。


当然テーブル席、カウンター席は埋まり、立ち見客の姿が見えていた。


「羅門さん、4番テーブルと8番テーブルに『サーモンとアボガドのサラダ』を3人前! あと同じテーブルに『ボロネーゼ』と『鶏もも肉のハーブロースト』と『タリアータ』に、瓶ビール8個!」


「了解。ビールは先に出してやってくれ」


大輝梨が注文を取り、羅門が料理を作る。


忙しなく続く時間だったが、子供たちのバンドが始まる直前にはすべての客の注文は受け終えることができた。


そして、ステージの上に子供たちのバンドが現れ、簡単な挨拶の後に演奏が始まる。

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