エピローグ 楽園帰還

 ポッドは奇しくも、巣立ったのと同じ場所に突き立った。


 ポッドを目の当たりにしたバベルの人々が最初に抱いたのは、希望よりも恐怖だった。


 自分たちが追放した、とっくに死んでいるはずの幽霊からの贈り物。それは人々にとって、糾明と断罪のパンドラの箱に思えた。


 実際、開いた瞬間映し出されたアポロのホログラムを直視できるものはいなかった。


 最初にシートの底に希望が詰まっているのに気がついたのは、若い刑務官だ。


「彼が帰ってきたんだ、俺は約束したんだ!」


 夢中でハッチを開いて、そこにいるはずの人の姿を探す。だけど掌に掴んだのは、ずっと柔らかい花束の感触だった。


 彼は罪人からのメッセージを読んで、その場に崩れ落ちると顔をクシャクシャにして嗚咽をあげた。


「ああ、裏切ったのは俺たちなのに。地上に帰れる、彼は約束を覚えていてくれたんだ」


 それでもバベルの上層部はなかなか動かなかった。そしてポッドの存在を秘匿した。猜疑の種は罪悪感と自己保身だ。愛のないところに芽生えるその種と、刑務官は戦うことを決意した。


 赤毛の青年は刑務官を辞めた。その代わり、人々に真実を伝えた。それは決して楽でも短くもない戦いの始まりだった。


 苦しかった。悲しかった。諦めかけた。それでも挫けなかった。今度こそ、あの優しい人を信じ抜くと決めたのだから。


 ようやく地上を目指すプロジェクトが始まったのは、遥かな地上が色づき始めた頃だ。


 初めは小さな点だった。それがどんどん広がった。いつしかそれは、誰の目にも明らかになった。沈丁花に百合の花。エーデルワイスにヒヤシンス。


「やっぱり彼は天才だ」


 すっかり髭まで蓄えた赤毛の紳士は、地上を見下ろしながら肩を震わせて呟いた。


 その花畑は、天空の塔の人々に地上が蘇ったことを伝えた。人々は慌てて地上に降りてきた。


 天才の計算よりもいくらか時間がかかってしまったけれど、立場と場所は入れ替わってしまったように見えるけれど。それでも確かに、赤毛の青年との約束は果たされたのだ。


 赤白黄色のチューリップに、紫に染まるラベンダー畑。優しく包み込む花の香り。もちろん、ルビーレッドに輝くトマトや、黄金色の髭が波打つトウモロコシ畑なんかもある。


 だけどいちばん目立つのは、黄色いスクールバスを優しく取り囲んで咲き誇るひまわりだ。


 黄色い花畑の真ん中で手を振るのは、もちろんお日様と夜の色。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お日様と夜の植物図鑑 糺乃 樹来 @Fhi763

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ