第44話 里山のひょんなこと

「だ、だめっ」

「ああ……消えちゃうね……」

 焦る木掛さんを前に、諦めの色を浮かべるカナコ。


 消える。

 命が消える。

 いや、消えさせはしない。

 心より先に体が動き、俺は彼女たちのもとへ駆け上がった。


「カナコ!」

「エイジさん……」


 傍まで近づくと躊躇することなく、木掛さんの手の上に自分の手を重ねて、カナコの胸をむぎゅっと握った。


「えええええ! ま、また、わたしの胸っ! わたしってば、こ、告白もしなかったのに、いきなり胸まで揉まれちゃうの!? 人間ってそんなに積極的ってこと!?」


 他人事みたいな自分事。そんな毎日だった。


 変わらない毎日は、変わろうとしない毎日。その積み重ねが変わらない毎日を形成していく。小さな勇気と、小さな行動が、全てを変える。つまらない大人になってやっとわかった。言い訳ばかりして、何一つ行動を起こせなかった自分に嫌気がさしていた。


 俺はカナコと出会って、もう一度やり直すチャンスを与えられた。

 だから――


 って。


 て。


 て……。


「てゆうか、おまえ、本当は古賀根 夢衣こがね むいだろ?」

「え……?」

「カナコ、おまえの本当の名前は古賀根 夢衣こがね むいだ」

「え、いや……ちょっと……」

「なに都合よく妖精になってるんだよ!」


 この一言に――宇宙の片隅に浮かぶ、小さな里山が時を止めた。


 カナコの瞳が行き場も無くさまよう。

 怯えたようで、どこか嬉しさも合わせつつ。

 本当の自分がやっとわかったとばかりに――


 と。


 一瞬でも思った俺がばかだった。


「は? はああ? なにそれ。てゆうか、わたしじゃないし!」


「いやいや、じゃなくて、古賀根こがね夢衣むい! あの店でバイトしてたろ? 販促物のなだれ事故で助けてあげたじゃねーか」


「あ、ああ、アレ? てゆうか、あの時わたしを助けてくれたのはエイジさんじゃなくて、古賀根さんだよ。夢衣ちゃんが、つぶされそうになったわたしを咄嗟にかばってくれたのさ。なに勝手に彼女の手柄を横取りしてるのよ!」


「んん。ちょっと混乱してきたぞ。おまえが古賀根さんだろ。自分をカナブンって思い込んでるだけだろ? マンガみたいに強く頭を打った衝撃で」


「いやいや、だから違うって。そんなしょーもないファンタジーあるわけないじゃない。こんだけわたしから色々とお世話になってるのに、まだわたしをカナブンの妖精だって信じてないわけ!? ほんとに鈍感、てゆうかサイテー最悪だよね」


「ああ、もうよくわからん。じゃあ、なにかカナコは本物のカナブンの妖精だから、もうすぐ死ぬってやつか!?」


「違うってば、体は夢衣ちゃんだけど、心はわたしなわけさ。だから、もう言わなくてもわかるでしょ?」


「じゃ、じゃあ、死ぬのはカナコの意識だけが死ぬってやつか」


「そ、そうだよ……。それが運命ってやつさ。今のやりとりで残りの体力使い果たしちゃったし……」

「おい! じゃあ、どうすればいいんだよ。古賀根さんとカナコが一緒に生きる道はないのかよ」

「な、ないよ。たぶん、わたしは消えるだけよ……」


 なああああ! 


 濁音でしかもう叫べない。

 それなら、全っ然、話がちがってくるだろっ。


「ああもう、難しい話はなしだ! とりあえず、カナコはカナコのまま古賀根さんのなかにいろよ!」

「でも、夢衣ちゃんはどうするのさ、いつまでもこのままじゃ」

「俺がなんとかしてやる! 俺も、俺なんかも、もしかして何かが変えられるかもしれないだろ!? 俺だって何回も、それこそ100万回もカナコを助けてあげたんだろ? ひっくり返ったら助けてあげてたし、ひっくり返らなくても、これからも助けてあげるよっ!」

「エイジさん……」

 その緑色の瞳に必死な形相をした俺が映る。俺がカナコを見ているようで、自分自身を見つめているようで。様々な感情がせり上がり、一気に想いが弾け飛ぶ。


「これからも遠慮せず、いつでも俺を困らせろよっ!」


 そう言ってカナコにお構いなしに、胸を掴んだ手の力を強めた。

 ええい! こうなったらやけくそだ。

 この俺ができることなんてカナコの胸を揉んで、心臓マッサージでもするしかない。カナコがいくら妖精でも、心臓マッサージが死にそうな場合に有効なのは、人でも虫でも妖精でも、全生命共通だろ。


 多分。いや、絶対。

 だから――


 どこにも行くな。


「エイジさん、さっきからわたしの胸もみもみしてるけど、体は夢衣ちゃんだから別に死ぬわけじゃないからね」


 しまったああああ!

 冷静に考えたらそうだった。

 単純に俺はさっきから胸をもみもみしているだけだ。


 ああ、頭が混乱してきた。どうすれば、どうすれば、二人を一緒に。

 カナコは何も言わず、頬を上気させて目を閉じた。状況は一向に良い方向に変化することはない。溢れる想いとは裏腹に、何も起こる気配すらなかった。

 カナコの息がゆっくりと消えていく。

 その笑顔は腹が立つぐらいに安らかであった。

 焦りとともに額から汗がぶわっと噴き出す。

 もうすぐカナコが消える。

 姿形はカナコだが、目が覚めたあとは、見た目はカナコのまま中身は別物になるんだ。

 くそっ、どうしたらいいんだ。天に祈るつもりで固く目を閉じた。

 声にもならない叫びが喉を突き上げる。

 その時、そっと俺の耳元に何かがささやかれた。


「……いい考えがありますよ」


 声の主は木掛さんだ。

 火照った熱が伝わるぐらいに顔を真っ赤に染めて、真っ直ぐにこちらを見つめている。最初は彼女が何を伝えようとしているのか理解できなかった。だが、それはすぐに判明した。

 木掛さんはカナコの胸を握っていない、もう一つの手を俺の左胸へと伸ばした。

 俺は彼女が何をやろうとしているのか、瞬時に理解して思わず口に出す。


「三人がひとつになれば、もしかして」


「はい、皆で心の奥にいる古賀根さんに呼び掛けてみましょう。古賀根さんとカナコさんが一緒に生きられるように、暫く命をわけて居候させてもらえませんかって」


 想いを重ねるように、木掛さんと見つめ合い互いに頷く。


 もう、こんなことしても何も起こらないといったネガティブなイメージは微塵もなかった。

 きっと何かが起こる。

 根拠がない確信のような熱が体を突き上げる。

 そして、迷うことなく木掛さんの左胸に手を伸ばした。木掛さんは俺の手が胸に触れる刹那、少しだけ震えて背中を小さく丸めた。


「調子にのってまで触らないでください……。そんなジャンルは聞いてません……」


 その小さな膨らみに熱い鼓動が漲っている。

 それに反応するようにこちらの鼓動も早くなる。

 俺はキッとカナコに顔を向けて、力の限り叫んだ。


「おい、カナコ! がんばって俺たちの胸を触れ! 最後まで諦めるな! 本当は、もっと色々やりたいことがあるんだろ!? あとな、心の奥にいる古賀根さんも、カナコの胸を触れ! 心と心を結んでひとつになるんだ!」


 俺たちの必死な想いが届いたのか、先ほどまで虫の息であったカナコは、えへへと目を瞬かせた。うううと小さく唸り声を上げると、最後の力を振り絞るように、ゆっくりと両手をそれぞれの胸へと伸ばした。


 三人がそれぞれの胸へと手を伸ばして、輪になり一つになっていく。


 その時、再び一本の光の線が現れた。俺とカナコを繋ぎ、木掛さんを結びつける、エメラルドグリーンの光が太く濃く鮮やかになっていく。


 人の目を気にするあまり小さな勇気が持てなかった俺と、

 人とうまく接することができなかった木掛さんと、

 人として生まれ変わり、どこまでも真っ直ぐにぶつかって、勢い余ってひっくり返っちゃう元カナブンのカナコが、


 それぞれの物語を紡いで。

 出会って。

 関係性をもって。

 絡まり合って。


 人との関係性に怖がっていた大人たちと、ありえない存在の女の子。

 そんな俺たちに訪れた、小さな奇跡。


 それは。


 魔法だった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る