第43話 過去は未来へと

 複雑な感情が頭を交錯するなか、徐々に二つのテントが見えてきた。一つはクワミさん、もう一つはカナコのだ。


「カナコ!」


 俺は叫んだ。だが、テントからは返事がない。それに、テントの内部に灯もなかった。念のためテントの入り口に近づき、声を掛ける。中にいる様子もない。まさか、カナコは既に人の形から、本来の姿、カナブンの姿へと変わっているのか。考えたくないが、そのまま虫の姿で果てているのか。


 いやいや、そんなことはない。


 だって、カナコは人間なんだから。あいつは、自分をカナブンの妖精だと信じ込んでいるだけなんだから。


 だが、それなら、逆に人間ならば、なおさら都合が悪い時はないか。


 そう――自ら――。


 そんな最悪の結末に震え、祈るような気持ちで入り口のジッパーを開けて中を覗いた。いない。人はおろか虫の姿すら。じゃあどこだ。カナコはどこにいるんだ。

俺は立ち上がり、周囲を見渡した。


「いた!」


 木掛さんが指さす方向にカナコはいた。


 カナコは小高い場所にあるクヌギの木を背にして、俺がプレゼントした抱き枕を抱え込み、ぐったりと座り込んでいた。


 その姿に俺は息を呑んだ。


 彼女の周りにはたくさんのカナブンが舞っていた。月光に照らされて、きらきらと緑色の光を放つ。まるで無数の星がカナコの周囲を乱舞する、幻想的な光景であった。カナコを囲む光はより濃くなり、緑の光のベールに包まれていく。こんなありふれた里山に、宙から銀河が降りてきたのかと目を見張る。


 カナコ……。

 おまえ、本当はどっちなんだよ。

 これじゃ、まるで――

 本当に妖精みたいじゃないか。

 初めから嘘なんてついちゃいなかったのか。

 いつでもカナコは自分の気持ちに正直に、純粋に真っ直ぐに生きていたのか。

 でも……本当に全部が全部そうなのか。

 あの時、カナコは俺に気を遣ってくれたんだよな。

 俺は……。


「カナコさん!」


 その時、木掛さんが俺の脇をすり抜けて猛然と駆け上がった。


「えっ……?」


 カナコがその存在に気付くのとほぼ同時に、木掛さんがカナコに飛びついた。


「き、木掛さん!? どうしてここに」

「大丈夫です! 私、コーヒーは好きですから!」

「ちょ、ちょっと、全っ然、意味がわからないんだけどっ! な、なに? コーヒーって」


 木掛さんは戸惑うカナコにお構いなしに、力強くその身を抱きしめた。


「なな、どういうこと?」

「すいません! 私、意味わからないでしょ? 言ってることもかみ合ってないし、裏目に出ちゃうこともしょっちゅうだし。こんな性格なの。自分でもわかってるんだけど、止められないの。でもね……!」

「で、でも?」木掛さんの気迫にたじろぐカナコ。

「あなたと……、カナコさんと友達になりたいの! 私、あんなこと言われたの初めてだったの。私に真正面からぶつかってきてくれたのはあなただけなの。だから、私はあなたと友達になりたいの!」

「で、でも」

「そういうもありかなって」

「じゃ、ジャンル?」

「そうよ、このままいなくなるなんてダメだから。そんな自分勝手にいなくなるなんて、ゆ、ゆるさないからっ」

「そんなこと言われても。も、もう力が……」


 今にも消えそうに力なく答えるカナコ。

 そんなカナコを叱咤するように木掛さんが叫ぶ。





「私、ノリ突っ込みとかできないからっ!」




「な、なにそれ。ノリ突っ込みとか、意味わから――」

 木掛さんはその勢いのままカナコの胸をぎゅっと掴んだ。

「ええええ! ちょ、ちょっとなに!?」


「昔ね、こうやって動かなくなったカナブンに、私が触ってあげたら息を吹き返したの」


「そうなの?」と虫の息のカナコがつぶやく。


「そうよ」と小さく頷き、優しく微笑んだ。「カナブンだけじゃないのよ。バッタだってオオクワガタだって、ホタルだって。弱っていた昆虫たちに触って包み込んであげたら、すぐに元気になったのよ。昔ね、父親が昆虫をよく捕まえてたの。それで、何匹も死なせちゃった。そんな罪悪感から、ずっと、弱った昆虫たちを見つけるたびに助けてあげたの」


「そっか、木掛さんって本当に虫が好きなんだね」


「ええ、そうよ。子供の頃は昆虫博士って呼ばれてたわ。でもね、虫たちの気持ちがわかるようになったぶん、人の気持ちがよくわからなくなっちゃった。誰とも理解し合えなくなったんだけど、今思えば、今日の日のために過去があったのかなって思ってる。だから、もしかしたら、勝手な思い込みだけど、私に、私なんかが何かできるかもしれないって思うの」


 その時、俺がみた光景。


 俺はその光景を生涯忘れはしないだろう。


 闇を照らすように、木掛さんの左胸が淡く光りだす。

 木掛さんは湧き上がる光に、わあっと感嘆の声を漏らし、カナコと目を瞬かせた。


 その光は木掛さんの胸から彼女の腕、指先を伝い、その先にあるカナコの胸へと続き、一本の光の線が浮かび上がる。その一本の光の線が二人を繋ぐと、光は色を変えてエメラルドグリーンに変化した。


 それは、なんて言い表したらいいんだろう。


 命と命の伝導。


 いや、そんなカッコいいものじゃないな。もっと心が騒ぎだすような、子供の頃に思い描いたもの。わくわく、どきどきするような、あの漢字二文字。でも、その現象を大人の世界で言葉として表すとなると、やっぱりこうなるんじゃないだろうか。







 ひょんなこと。






 これしか表現することができない。命を結ぶ奇跡。


 だが、いつか不思議な現象は夢となり消える。

 おとぎ話には終わりがくる。

 彼女たちを繋ぐ一本の光が徐々にか細くなっていく。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る