第39話 あなたを知りたい

 目の前に山城駅が迫る。

 ここは商店街もなければ降りる乗客もまばらな、都心の喧騒から遠ざかった小さな駅だ。そんな小ぢんまりとした駅の入り口に、同じぐらい小ぢんまりとした彼女が静かに佇んでいた。羽虫が飛び交う夜の街灯に照らされた、憂いを帯びた小さな姿。 


 こんな場所でも、何の変哲もない小さな駅でも、彼女はどこにいたって素敵だ。


 木掛さんは俺に気付くと、少し恥ずかしそうに下を向いた。


「はあ、はあ、どうしたんですか、こんな夜遅くに」

「……」


 どうしたっていうんだ。急にこんな場所まで。俺に伝えたいことって――。


 木掛さんは口をつぐんだままだ。上目遣いにじっと見つめられた。その半分閉じた瞳に、何か強い意志が宿っていた。真摯な眼差しと、その熱量に心が射抜かれそうになる。




「大丈夫です。私はコーヒー好きですから」



「コーヒー……?」


 木掛節は健在であった。だからと言ってはなんだが、俺は妙に安心してしまった。彼女は変わっていない。何も変わっていない。だからこそいい。いいんだ。木掛さんはそこがいいんだ。


「俺に伝えたいことって何ですか。実は、俺も木掛さんにお伝えしたいことがあるんです」

「ど、どうぞ」

「うえっ、とっ」


 先に木掛さんの話を聞いてから、こちらの気持ちを伝えようかと思っていた体だったので、予想外の先振りに情けない呻きが出てしまった。


「どうぞどうぞ」


 木掛さんは下を向きながら、ジェスチャーを交えて、最初にどうぞと促す。


 まて。いきなりすぎて、未だ心の準備ができてない。

 それに、色んなことがあり過ぎて頭が真っ白になっている。


 そちらがお先に、いや、あなたこそ。

 そんな行ったり来たりが何往復かすると、なぜか目の前の木掛さんのことよりカナコの行方が気になった。


 カナコは今どうしているんだ。いやいや、今はカナコじゃないだろう。

 だが、まだ俺の胸にカナコのぬくもりが残っている。

 木掛さんへの胸の鼓動をカナコのぬくもりが優しく包み込んでいる。

 どうでもいいけど、雑念だらけだ。こんなんで彼女に気持ちが伝えられるのか。

 あの水族館で木掛さんは諦めたようにこう告げた。


――私がこんな性格なんで、きっとうまくいきません。


 違いますよ。俺だってこんな性格なんです。あなたに気持ちを伝える時に、カナコがよぎっているような馬鹿な男なんです。

 でも――あなたのことが好きなんです。

 だから……



「ありがとうございますっ! お、俺もコーヒーが好きです! これからも仲良くしてくださいっ!」



 俺は力の限り叫んで、きれいに九十度に頭を下げた。


 下げた……

 下げた……

 下げた………………って。


 なに言ってるんだ、俺はあああああ――――っ! 


 これじゃさっぱり意味がわかんないだろっ!


 顔面を硬直させて絶望を露わにする俺に、「ぷっ」と木掛さんが噴き出した。目に涙を浮かべて、くすくすと笑いだす。


「営治さんは、嫌じゃないんですか?」


「嫌? 何をですか?」

「その……、私と全く話がかみ合わないってことです」

「そんなこと……」

「私、こんな性格なんで、きっと今より深い関係になっていくと、話がかみ合わないことが段々嫌になってくると思うんです」

「木掛さん、気にしすぎです」

「ううん」ぶるんぶるんと激しく髪を振り乱す。「きっと、そうなります。例えば、もっと仲良くなって、それこそ友達やご家族の前に引き合わせることになったとしたら、きっと営治さんが変な目で見られます」

「見られませんよ。それに……」




「エナジードリンクでは必要な栄養素は補えないですからっ」




「なんで、そんなの決めつけるんですか。俺は一度もそんなこと思ったことはありませんっ」



 何故か奇妙に話の流れが一致して、一歩前に踏み出していた。

 木掛さんはびくっと肩を震わせて一歩後ずさる。


「ほ、ほら、やっぱりかみ合ってないじゃないですか」

「今のがかみ合ってないって、そんなこと言ったら……」




「営治さんが思ってるほど、そんな簡単に自己破産できる世の中じゃないんですっ」




「やってみないとわからないじゃないですかっ」


 再び絶妙な一致をみせる二人。


「ほ、ほら、全然伝えられてない。今のは、私が本当に言いたいことじゃないから」

「う? どういうこと?」

「私、こんな性格なんで、いつも人からよくわからないとか、変な目で見られてました。情けない話ですが、今まで異性はおろか友達すらいたことがありません」


 彼女は絞り出すように自らの過去を語りだす。

 今まで誰からも相手にされなかったこと。

 それは現在も同じ状況で、自分が情けないと思っていること。

 彼女が勇気を振り絞り語りだす過去は、さざ波のように静かに心を揺さぶっていく。

 その声に、その感情に、俺は気付いてしまった。


「自分でもわかってるんです。それじゃダメだって。仕事ならマニュアル通りだし、簡単な事務対応や、お天気とか適当な会話ならどうってことないんです。でも、自分の経験外から飛んでくる質問や、意識した人を前にしたり、自分の気持ちが高ぶったりしてしまうと、突然色んなことが心配になって先の先まで読んで、わけがわからなくなってしまうんです」


 もしかして、この人は――。


「こんな私の、自分でも気づいている突飛な会話に、『ありがとう、俺のこと心配してくれてるんだよね』なんて、感謝の言葉なんか言ってくれてありがとうございます。私のこと理解しようと何度も会いにきてくれて、奇異の目で見なかったのはあなただけです」


 ああ、この人はそうだったんだ。もうはっきりわかった。


「私っ!」


 意を決したように、彼女は両手をぐっと握りしめた。そして、秘めたる想いが激流となってその唇から溢れていく。








「立ち寝をマスターしてますからっ!!!!」







 木掛さんは唇を震わせて、力強くそう言い切った。


 彼女の潤んだ瞳を見つめたまま全身の力が抜けていく。

 なぜだ。

 何だよ、立ち寝って。

 さっぱり意味わかんねーよ。

 でも、どうして。

 なぜ、こんなにも意味不明なのに、胸が熱くなるんだ。

 なんで、さっきから鼓動が止まらないんだ。

 ああもう、正解がわかった。

 俺はその想いに応えるように、感情を決壊させて大きく口を開いた。


「木掛さんのことをもっと教えてください」


 そうだ。

 そうなんだ。

 俺が木掛さんに伝えたかったことは、これなんだ。

 俺は奥歯を噛みしめて、もう一度、力強く繰り返した。


「木掛さんは、今のままの木掛さんが一番素敵です。出会った時からずっとそう思ってました。何も変わりません。だから、俺は――」


 あの日、高校一年生の初恋の後悔。彼女に伝えられなかった想いが、やっと果たされたように思えた。ヘタレだった自分の人生にやっとリベンジ出来た気がした。

 自分の心に素直になって、ありのままの相手を理解しようとして、その想いを飾りっ気なく相手にわかるように伝えないと、何も始まらない。


 だから――。



「あなたのことをもっと知りたい」



 伝えたいのは、これ以外ない。


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