第23話 【カナコ視点】深夜の百合

「彼女が木掛さんね。ちょっと冴えない感じだけど、まあまあ可愛いじゃない。見た目は59点ってとこかしら」


「59点って、クワミさん厳しいですね……」

「そう? メイクで化けそうな気もするけど、さしずめ冴えな可愛いってとこね。でも、よかったじゃない」

「何がですか?」

「カナコちゃんは90点。あなたの方が可愛いわよ」

「は、はあ」

「ちなみに私は100点ね。完璧すぎっ。うふふっ」


 はははと苦笑いするしかない。木掛さんって可愛いと思うけど、価値基準は人それぞれだよね。


「まあ、そんなのはいいとして、彼女ってぶっとんでるわね」


 クワミさんが品定めするようにつぶやく。


 エイジさんは木掛さんと合流すると、寄り添うように水族館へと移動した。

 わたしは少し離れた場所で、二人の様子を観察していた。

 時折、二人の楽しそうな笑い声が雑踏にまぎれて聞こえてくる。

 まあ、エイジさんの引き攣った笑い声の割合の方が多いけど、傍から見てもいい雰囲気だ。

「水族館って大人気なのね。ファミリーだけじゃなくて、アベックも多いわ」

「あべっく?」

「ん? ああ、カップルって意味よ。みんなクソ楽しそうね。暗がりに紛れて色んなことするのかしら、うふふ」

 果たして、クワミさんは本当に29歳なのかな……。


 そわそわ。

 半径一メートルにも満たない狭い範囲でくっついたり、離れたり。

 そんな様を見せつけられて、わたしの心は穏やかではない。

 なんだか妙に腹立たしい。

 時は遡り、先週のやりとりを思い出す――。


 ◆◇◆◇


 深夜。

 月がのぼり、里山の夜に涼しい風が吹く。


 エイジさんのデートに合わせて、一緒に水族館についていく計画の真意を確かめようと、隣に黒いテントを張っているクワミさんに声を掛けた。


「クワミさん、ちょっといいですか?」

「いいわよ。こっちにおいで」

 すぐさまお誘いがくる。


 中腰になり、クワミさんのテントの出入口のジッパーを上げた。

 わたしの目に、仄暗いランタンに照らされた、黒のシルクを身に纏ったクワミさんが妖しく映る。わたしと目が合うと、読みかけの黒い背表紙のホラー小説をパタンと閉じて、「眠れないの?」と優しく微笑んでくる。


 妖艶。

 これ以外の言葉が見つからない。


 こ、これが大人のおんなってやつか。

 妙にいやらしい。

 自分が着ているキウイのパジャマをまじまじと見つめて、妙に恥ずかしくなる。

 まあ、ここで勝手に勝負して勝手に負けて、がっくしきても仕方ない。

 クワミさんの手招きに応じてずずずとテントに入った。


「何かしら? カナコちゃんの話って」

「水族館のことです」

「ああ、あれね」

「よくよく考えたら、二人の邪魔しちゃ悪いし」


「あら? カナコちゃんって見た目と違って気にしいね」


 ……とりあえず、この返しはスルーして。


「それに、わたしたちがついていっても別行動するだけで、何にも出来ないし。まあ水族館は興味あるけど。アシカショーも見たいし、あとペンギンも」


 ここまで言うと、わたしは黙ってしまった。

 言葉と本音が心の壁を前にぶつかり合う。そんなわたしの心を見透かすように、クワミさんはわたしの唇に人差し指を近づけて、静かに左右に揺らした。


「邪魔するの」


 それが目的よ。

 彼女は目を妖しく光らせて断言した。


「いい? これから戦うのに、相手を知りもしないなんて、愚かな者がやる行為よ。カナコちゃんは木掛さんを見たことあるかしら? 例えば、スマホの写真でもいいわ」


 言われてみれば無いかも。そのままクワミさんに伝えた。


「まずは実物を見ないと。そうじゃないと作戦も立て辛いわ。見た目って大事よ。人は見た目が九割っていうでしょ? アレ、クソ当たってるから。誰が言ったか知らないけど真理よ」

「そうなんですか」

「ええ。それにね、敵の見た目を知ることで自信や対策も生まれるわ」クワミさんは両手を伸ばすと、わたしの頬を優しく包み込む。「カナコちゃんは可愛いわよ。私が男だったら絶対にほっとかないわ。私が付き合って色々なことしたいぐらい。楽しいことや、クソ楽しいことも」


「あ、ありがとうございます」

 なんか少しだけ怖い……。


「いい? 木掛さんが大して可愛くなかったら自信を持ちなさい。木掛さんが自分より可愛かったら女の武器で優ればいいの。簡単でしょ?」


「は、はい」


 よろしいと頷き、クワミさんはわたしから少し離れて、ゆったりと座る。クワミさんが動くたびに、黒いシルクが誘うようにはだけた。

「次に、木掛さんの性格はどんな感じなのかしら?」


 わたしは彼から聞いていた木掛さんの情報を洗いざらい吐き出す。


「カナコちゃんの説明じゃ、さっぱりわからないわね」


 厳しいご指摘。


「まあでも、なかなか手強そうね」

「クワミさんでも木掛さんって難しい相手なんですか?」

「正直、掴みどころがないわね。何で『最低ですね』って言うのに、エイジさんとデートするのかしら? あと、何の脈絡もないのに『高血圧』とか意味分からないこと言うし、出会ったことないタイプね」


 そう。木掛さんはよく分からないタイプ。

 それだけにエイジさんを引き付けてしまうんだろう。

 何故だか、わたしは分かる。

 木掛さんの気持ちが。

 多分、彼女はすごい素直。

 素直なんだけど、それが行き過ぎて傍からみて素直に見られない。

 そんな損な性格。

 それに、きっと彼女はエイジさんに気がある。

 それは間違いない。

 だからこそ、余計に――。


 気が付くと、クワミさんがわたしの顔を深く見つめていた。わたしは顔を真っ赤にして、いらぬ汗をかいてしまう。


「まあいいわ。まずは水族館で彼女を観察しましょう」クワミさんは深くは詮索せずにこう続ける。「それに、木掛さんが働くサンサン薬局って、私たちの敵じゃない」


「えっ! そうなんですか?」


「確か、殺虫剤を沢山売ってるわよ。この前、お店に入ったら大きなPOPで大量に陳列されてたわ。びっくりしちゃって、思わず殺虫剤を隠すようにスナック菓子を置いちゃった。彼女はあらゆる虫を殺す気よ。掴みどころがないタイプが一番怖いわよ。ますます、あの小娘には負けられないわね。彼女、裏表がクソ激しいタイプよ」


 クワミさんの目が熱く煮えたぎる。わたしの応援をしてくれて嬉しいんだけど、なんか怖く感じちゃうのって贅沢ってやつ?


「じゃあ、夜も遅いし、もう寝ましょうか。夜更かしはお肌の大敵よ」

「すいません、夜も遅いのに付き合ってもらっちゃって。また、色々相談に乗ってもらえますか?」

「もちろんよ。友達じゃない。なんなら今日は私と一緒に寝る?」

「えっと……、だいじょうぶです」

「そう? 残念。私、本当はね、夜行性だから夜の方が激しいのよ。あんなとこやこんなとこまで、たくさん広げちゃうの。カナコちゃんはどちらかと言えば昼よね。男も女も人も虫も、みーんな夜が好きよ。恥ずかしいぐらい、いっぱい

「えっと……ぬれる?」

「樹液って意味よ。また変な想像しちゃった? だめよ、うふふ」


 クワミさんはランタンを消すと、口を半開きにして顔を近づけてきた。

 ちらりと目に入る、読みかけのホラー小説のタイトル。

 それは――『闇と快楽の彼方に』


 わ、わたしってば、初めての相手がクワミさんになっちゃうの!?


「おやすみなさいっ」


 なんか身の危険を感じて一目散にテントをあとにする。出入口のジッパーを閉める際に、闇に潜む彼女の顔が見えた。


 クワミさんは舌なめずりしながらうふふっと笑い、

「クソ可愛いわね」とつぶやいた。


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