第10話 ティラミスのかす

 翌週、月曜の正午。


 俺と木掛さんは、サンサン薬局本社近くの喫茶店、パナマコーヒーを訪れた。先週、カナコから普通に誘えばいいんじゃないと投げやりに言われてから、ストレートにお昼休みに合わせてお茶に誘ったのだ。


 結果はOK。


 少し困惑されたのだが、「わ、私でよかったら」と躓くことなく外に誘いだすことに成功。

 今まで何度も訪問して、名前と顔を覚えてもらって、親近感もってもらう作戦が功を奏したみたいだ。回りくどく、最初は『飲み会しませんか?』といった、気楽に受け入れやすい提案をする必要もなくなった。

 今度、カナコに会ったら改めてお礼を言おう。


 しかし、カナコは普段はどこで何をやっているんだろう?


 先週の金曜日以降、彼女は俺の前に姿を現さなくなった。いつもは、平日休日、何時だろうがお構いなしにどんどんドアを叩いてやってくる。おかげで、ドアを叩く=カナコと頭に刷り込まれてしまい、カナコかと思ってドアを開けたら宗教の勧誘で、えらく粘られて追い返すのに随分苦労したこともあった。


「あ、今日も暑いですね」涼しい顔で微笑みかけてくる木掛さん。


 おっといけない。せっかく木掛さんと二人きりになれたのにカナコのことばかり考えてしまった。

 木掛さんのパスを受けて脳みそをフル稼働。こちらも今日の気温や、異常気象の報道、熱中症に関する知見などなど、ほぼ天気の話題を続け、あまりの展開力の無さにはっとする。


「受付されているから、喋りっぱなしで喉も疲れていませんか」


 あははとわざとらしく場を和ませて、どうぞどうぞと季節限定のティラミスフラペチーノをすすめた。そんな俺のあたふたぶりに彼女はくすりと笑う。


「営業さんって大変ですよね。こんな暑い中でもスーツを着て歩き回るんですし。いつも、うちの商品バイヤーにパンフレット持ってきますよね? あまりにも頻繁に来て頂いてるから、大変だなって思っていたんですよ。私の方から商品バイヤーに、『今後はメールで情報提供します』ってお伝えしましょうか?」

「いや、大丈夫です。木掛さんにお手を煩わせてしまうのもなんなんで」

「いえいえ気にしないでください。こんな暑い中、パンフレットだけ持ってくる方が面倒です。『今後はメールで情報提供します』って、商品バイヤーに伝えておきますね」

「その、直接持参させて頂く方が熱意が伝わるかと思っていますので、ははは……」


 木掛さんに会いに行く大義名分を失ってしまうのは、どうしても避けなくてはならない。それに、メールで情報提供したところで、今までも何のレスポンスはなかった。

 恋も数字も未達に終わることは間違いない。


「そうですか、ならいいんですけど」

「気を使って頂いてすみません」

 ごまかすようにぽりぽりと頭を掻いた。


 その言葉を最後に、彼女から先ほどまでの朗らかな笑みは消えて、物憂げな顔が表れた。

 そして一言――。




「労災認定って、なかなか下りないみたいですからね」




 予想だにしない、漢字四文字が飛び出す。


「ろう……さい……ですか?」


 ど、どういうこと?


 ぽかんと口を半開きにした俺に気付いた木掛さんは「はっ!」と、遥か遠くの国から意識を取り戻す。大きく目を見開き、慌ててティラミスフラペチーノを喉に流し込んだ。だが、ティラミスフラペチーノは勢いよく飲むために開発されたわけではない。彼女がごくごく飲みだした途端に喉に詰まり、「ぶはっ」と勢いよく噴き出した。その拍子に、木掛さんの口から飛び出したティラミスのかすが放物線を描き、俺のワイシャツにぴちょんと着地。


「ああっ、すみません」


 木掛さんは顔を真っ赤にして、急いでハンカチを取り出した。


「自分より木掛さんの方こそ大丈夫ですか? すごいむせてましたが……」

「やや、私は大丈夫ですから。ああどうしよう、営治さんのワイシャツにティラミスのかすを付けてしまって。汚しちゃってすみません」


 ごほごほ咳き込みながら申し訳なさそうに頭を下げた。

 こちらも彼女に向かって、何度も顔を上げるようにお願いした。


「す、すみません。私ったら、いきなりこんな感じになっちゃって」

「ゆっくり飲んでくださいね。なんかすみません、ぼくが変なこと言っちゃったせいで」

「や、あの、私の方こそ」


 なんかよくわからないが、俺の直感が正しければきっとこうなんだろう。


「あの、木掛さんって、毎回ぼくを心配してくれているんですよね?」


 その一言に、どこか夢見心地な彼女が、雷に打たれたようにばちばちと音を立てて目を瞬かせた。


「木掛さんって……」照れを隠すようにうなじを掻く。「優しいですよね」

「ほ、ほんとですか?」

「なんていうか間違っていたらすみません。木掛さんって、すごい気遣いができる方なんで、きっと……」








「最低ですね」







 はい? 

 今なんて?


 全てをぶった切るその一言。

 最低。

 えっと、聞き間違いじゃないよな? 

 とりあえず周囲をきょろきょろ見回すが、皆、和やかな時を過ごしている。近くのお客さんが見知らぬ誰かに突き付けたセリフではないのか? 

 となると、やっぱり声の主は……。

 恐る恐る、探るような目を彼女に向ける。そこには仏像のように冷めたご尊顔があった。澄んでいて、怒っているようで。


 ザ・無表情。

 以上、終了だ。

 間違いない。このセリフの主は木掛優さん20代前半(可愛い)だ。


「ど、どういう意味ですか?」


 木掛さんは一瞬だけ俺に冷たい視線を向けたあと、すぐに目を伏せて、すくっと立ち上がる。再びちらりと俺を見下ろしたあと、振り返ることなく足早に店を後にした。

 ちーんと鐘が鳴り、ぽかんとひとり取り残された。

 意味がわからず鯉のように口をぱくぱくさせている俺のワイシャツには、木掛さんのマーキング(ティラミスのかす)が染みとなってこびりついていた。


 ……どういうことよ? カナコ先生。



 物語は第三章へ――

 謎が深まる木掛にはまっていく営治。

 果たしてデートに誘えるのか。

 さあ、どうなる?


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