第二章 距離と勇気は比例する

第6話 いざ出陣!

 カナコと出会って一週間後――


 俺は木掛さんが働くサンサン薬局へと訪問することになった。


「何の用もないから木掛さんに会いに行けないって、そんなの簡単じゃない。用事を作れば会いにいけるってわけさ」


 確かにカナコの言う通り。仕事なんて、作ろうと思えばいくらでも作れるのが仕事ってもんだ。裏を返せば、意志を持って制御しないと、無限に残業が押し寄せるってことにも繋がるわけだが、それはさておき。なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。


 それに、これはある意味良い機会かもしれない。俺はグローブ製薬のいち営業マンとして、大手中小含めて様々な企業を担当している。その中で売上構成比も高く、最も攻めあぐねていたのがサンサン薬局だ。商談アポが取れず嘆く前に、些細なことでも、アピールできることは何でもしないといけない。


 カナコの助言通りに、俺は出社すると上司のデスクへ一直線に向かった。

 びしっと背筋を伸ばして開口一番こう宣言する。


「サンサン薬局でどうしても実現したい企画があるので、今から先方へお伺いします!」


 俺の気迫に押された上司から「そ、そうか。アポは取っているのか?」と問われたが。


「古臭いかもしれませんが、資料だけでも持っていこうと思います」

「資料だけ? メールじゃだめなのか?」

「今まで新商品の情報をメールしたところで何の返信もないですし、まずは商品の前に自分の存在だけでもアピールしようと思っています」

「でも、向こうだって忙しいんじゃ……」

「大丈夫です。熱意だけでも相手に届けたいんです!」

「お、おう」


 勢いでこう言ってしまったが、なにも間違っちゃいない。残念ながらグローブ製薬は二番煎じの栄養ドリンクが主力の弱小メーカー。マスコミを使った派手な販促を武器に新商品を発売する大手とはちがい、新しいドリンクを発売しましたでは、企画書すら読まれず門前払いで終了だ。


 そんな俺の熱意に押されたのか、上司から「まあ上手い手とは思わないが頑張れよ」とだけ言われた。その言葉を激励ととらえると、事務所の資材倉庫から適当なパンフレットを見繕って、足早に会社を後にした。


 都営地下鉄を乗り継ぎ、狭いホームにぶしゅっと吐き出される。地上に出るとあまりの暑さに立ち眩み。汗だくになりながら、彼女が働くサンサン薬局本社へと辿り着く。


 自動ドア越しに木掛さんの姿が見えた。彼女は小柄であるため、台座から小さな顔だけがにょきっと生えているように見える。ぼんやりとしたその表情。どこか不思議の国にいるような、瞼が半分閉じかけたその瞳に吸い込まれそうになる。

 ああ、やっぱり俺は彼女と仲良くなりたい。なんともいえない可愛さがあるんだよな。よし、今日こそやるぞ。

 ぐっと握りこぶしを作り決意を固めて、彼女の待つ受付へと一歩を踏み出した。


「いらっしゃいませ」

 彼女はいつものようにすくっと立ち上がり、軽くお辞儀をした。


「いつもお世話になります。グローブ製薬の営治です」

「本日は、どなたに御用でしょうか?」


 ここまではいつもの事務対応。

 得意先の俺と受付嬢の木掛さんとの一連の様式美になる。

 ここだ。次が重要なのだ。素早く首を左右に動かして周囲の状況を窺う。今のところ、自分以外に訪問客はいない。つまり、天が二人だけに与えた密室空間。ミステリーならば殺人事件でも起きそうなもんだ。もたもたしているとすぐに別の営業マンがやってきて、彼女はその者の対応をしなくてはならない。


「あの、今日は特にアポイントは取っていなくて……」

「そうですか。えっと、でしたら本日はどういった御用件でしょうか?」

 彼女は笑みを絶やさず、そう尋ねてくる。


 そんな俺の今日の御用件はもちろん――



 ――――――



 あなたに会いにきましたっ!


 えええっ! 私にですか?


 はい! あなたとお話しがしたくて御社に来てしまいました。


 私とですか?


 はい! あなたとです。あなたに会うのが今日の御用件です。


 わ、わかりました。


 この後、お茶でもいかがでしょうか?


 だ、大丈夫ですけど。


 じゃあ、御社の目の前にあるパナマコーヒー(喫茶店)で待っています。


 は、はい。じゃあ、あとで。


 優さん、Bye-bye……


 と微かな笑みを浮かべ、周りに気付かれないように小さく手を振るのであった。


 …………


 ……


 ………以上、脳内シミュレーション完了。世知辛い現実世界に舞い戻る。


 ここまでのイメトレは体感時間にして十分程度。実際は一分もかかってないけど。こんなことストレートに言えたらどんなに楽だろうか。いつだって直球なことほど難しいものはない。みんな簡単な玉虫色を求めてさまよい、ごまかしごまかし流れていくものだ。


 もし、想像したみたいなやりとりが成功すれば、それはそれで御の字なのだが、仮に失敗して怪訝な顔でもされたら最悪だ。すぐさま木掛さんの上司に後で一報入れられて、『グローブ製薬の営治は出禁』と、問答無用で太鼓判を押されてしまうに違いない。

 

 てゆうか、成功確率が限りなく0に近いのは火を見るより明らか。


 どうする。俺は与えられたわずかな持ち時間を有効活用すべく、カナコの助言を猛スピードで思い出す――。



 ◆◇◆◇



「女の子はね、まわりくどいのがイヤよ。なんか、あんまりはっきりしない態度を取られると、は? んで、結局のところ何がいいたいわけって感じになると思うな。一番ダメなやつよ」


「ふんふん。じゃあ、ストレートに連絡先教えてくださいって言えばいいの?」

「うーん、ちょっと違うな。だって、興味もない相手から、いきなりそんなこと言われても、なんかウザいって思われるのがオチってやつよ」

「確かにそうだよな。正直、彼女から好かれている嫌われている云々の前に、ただの得意先ってだけだからなあ」

「木掛さんの会社には行ってるんでしょ?」

「一応、お得意先様だからね。月に一回は必ず訪問しているな。前までは月二回は訪問していたけど。なんか最近少なくなってしまった」


 訪問頻度が減少した理由――それは、俺の企画がなかなか通らないからだろう。

 最近、不景気のあおりを受けて、市場シェアが高い商品、つまり売れる商品しか採用されず、マイナーな商品は端から相手にされない傾向がある。うちの新商品であるマムシドリンクなんて二番煎じもいいところで、見向きもされない。商談アポを取るのも難しく、量販店とメーカーをつなぐ代理店の商談の枠にすら入れてもらえない。詰みかけてるくせして、数字の上積みはできそうもない、という三重苦だ。


「少ない」


 カナコは目を閉じて、ばっさり切り捨てる。


「会う回数が少なすぎる」


 だよね。


「月一回なんかじゃ、なーんにも相手の印象に残ってないよ。多分わたしだったら、特にって感じになるかな。その他大勢のザ・営業マンって感じ」


「そうだよな」はあ、とため息を吐いて飲みかけのビールを一飲みする。

「でも、そんなに落ち込むことないかな」

「そうなの?」

「そうそう、だって印象がマイナスじゃなければプラスになるのは簡単よ」


 カナコは悪戯っぽくウィンクをして、砂糖水のおかわりを要求。


 なんだかんだで、彼女は結構深いことを言ってくる。なんか、本当に指南役っぽいから不思議だ。



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