第5話 叶えてあげる!

「ああ、おいしい。やっぱり夏は砂糖水だよね~」


 カナコはちゃぶ台の前に胡坐をかき、グラスいっぱいに注がれた砂糖水を一気に飲み干した。彼女がお望みのコーラはなかったので、水道水に砂糖をたっぷり入れただけの水を出したが、質素な砂糖水に思いのほか喜んでくれた。


「もう一杯飲みたいなあ」と露骨に催促までされる。


 砂糖水でいいならお安い御用だが、それにしてもよく飲むな。再びカナコの目の前になみなみと注いだ砂糖水を差しだす。

「わーい、ありがとう」

 彼女は慎重にグラスを傾けて、一滴もこぼさないように器用に口に流し込む。


「で? どうしてまた、人間の姿になって俺に会いにきたわけ?」


 ずいっと顔を寄せる。

 とりあえずカナブンの妖精設定は、一旦受け入れないと先に進まないと判断した。それに、さっきからごくごくと美味しそうに喉を鳴らして、砂糖水を飲む姿を見ていると、本当に彼女はカナブンの妖精なのだと錯覚してしまうから不思議だ。


「む、それは……」


 急に口ごもる彼女の顔をじっと見つめる。

 カナコは「ぷはっ」と砂糖水を飲み干して、どんとグラスをちゃぶ台に置くとこう言い放つ。


「えっと……その……あなたの願いを叶えにきたわけよ」

「俺の願い?」


 予想外の回答。


「そうそう。まあなんでも言ってよ。今まであなたに助けてもらったから恩返しにきたわけさ。鶴の恩返し、もとい虫の恩返しってやつ? あはは」

 カナコはどんと自分の胸を叩き、軽くむせる。

「ごほっ、げほっ、まあ何でも言ってよ」


 うーん、願いと言っても。ちらりと彼女に目を向けると、ふと気付く。


 にんまりと得意げに俺を見つめているその容姿――


 似てる。どことなく似てる。全身緑色(金髪以外)の目には優しくないギラギラしたその姿。もしかして彼女は……。


「そういえば、さっき自分のこと妖精って言ってたよね?」

「そうよ。妖精だけど」それが何かって感じで口を尖らせる。

「もしかしてだけど――」

 ふんふんと、彼女の瞳は俺の続きを待つ。

「――魔法みたいなやつって使えたりするわけ?」


「魔法?」


「そう、魔法。だって、妖精とかって何か不思議な力あるよね。それこそ魔法の粉で空が飛べるとか、壊れた金物なんか元通りになるとか。確か、あの有名な妖精の物語ってそんな話だよね? 願いってわけじゃないんだけど、最近テレビの調子が悪くてさ。買い直すか、このまま使い続けるか迷っていたんだ。きみの魔法の力で直してくれると助かるかも」


「うーん」カナコは興奮気味に身を乗り出す俺に対して、冷ややかな目を向けた。「そんな都合のいい話はないかなあ」


 梯子を外された今の心境。「へ?」とか「は?」しか言葉が出ない。


「だって、そんなおとぎ話みたいなことって、普通に考えたらありえないでしょ?」

「ま、まあね」

「それはね、ムリ」


 彼女は冷めた声音できっぱりと言い切った。


 ……とりあえず確認。


「えっと、きみって妖精なんだよね? カナブンの」

「そうよ。さっきからも言ってるじゃない。正真正銘、ウソ偽りのないカナブンの妖精です」

「妖精って魔法みたいなやつって使えるんじゃないっけ?」

「ムリムリ」と首を軽く振る。「そんなおとぎ話みたいな、うまいことあるわけないじゃない。魔法なんて使えたら楽だけどね~」


 やだなーもう、って感じでひらひらと手を振り、あははと笑う。


 うん。まずは深呼吸して心を鎮め…………られない。


 なんか納得いかないんだけど。

 だいたい、その『おとぎ話』みたいな設定の権化たる自分が、『おとぎ話なんて無いよ、あはは』って、普通に冷静に考えても、考えなくてもおかしいだろ。


 彼女は、あははと笑った拍子に後ろにひっくり返りそうになると、おっとっとと持ち直して「だいじょうぶよ」と舌を出した。


 突っ込むことも馬鹿らしくなり、虚しく天(井)を仰ぐ。ああ、日曜の昼間から、酒も飲んでないシラフ状態で何やってんだ、おれ。

 酒でも飲みたくなり、冷蔵庫からキンキンに冷やした缶ビールを取り出す。

 プシュッといい音を出して、ぐびっと一口。乾いた心に染み渡る。


「なんか美味しそうね」カナコがまじまじと見つめてきた。

「カナブンは酒なんて飲まないだろ」

「あららっ。一本取られちゃった」たははと笑うカナコ。「でも、休みの日に真っ昼間からお酒なんて」


 酒を飲ませたくなった原因が自分にあるんだがな、とは言わなかった。


「エイジさんは、なんか暇してるの?」

「別に暇じゃないけど。仕事だって忙しいし、残業も多いし」

「ちがうちがう、プライベートのことよ」

「ああそっちか。まあな、暇っちゃ暇だよ」


「その、なんだ。彼女とかっていないわけ?」


「いないよ」


 俺はぐびっと缶ビールを勢いよく流し込んだ。どうせ、つまんない休日ですよと声には出さずに心の中で毒づく。


「じゃあ、ちょうどよかった……」


「まあ、気になる人はいるんだけど」

 なぜか俺はぽろりと言ってしまった。


「へ、へ~。気になる人がいるんだ」瞬時に反応するカナコ。焦った様子で大きな相槌を打つ。「だれだれ?」と興味津々に訊いてきた。

「得意先の受付の子」


 初対面で自分をカナブンの妖精と名乗ってしまう頭のおかしな彼女だが、なぜかこの子になら素の部分を出してもいいかなと安心を覚えた。出会って間もないが、今の心境や悩みがすらすら出てきてしまう。そんな不思議な包容力というか、気兼ねない身内の子という親近感が感じられた。


「そうなんだ。へ~、なになに? その子の名前は?」

「木掛さん。木掛優きがかり ゆうさん」

「ふーん、木掛さんね。その子、可愛いの?」

「まあ可愛いな」

「どんな風に可愛いの」

「ちょっ、なんでそんなに食いついてくるのよ」


 近づいてくる彼女から少し距離を置いて、訝しんだ目を向けた。


「そりゃあ、なんでも願いを叶えてあげるって言ったわけだし? なんか、わたしがウソついてるみたいになっちゃうし? なんか、うさんくさくなっちゃうし?」


 自分を妖精って言っちゃうあたり、じゅーぶんうさんくさいのだが。


「だから、エイジさんの恋を成就? キューピットになってあげようかと思ったわけさ」

「恋の成就?」


 俺は口をあんぐり開けて、オウム返ししてしまった。


「そうよ! わたしがあなたの願いを叶えてあげるよっ!」


 彼女は緑色の瞳をきらりと輝かせて、力強くそう宣言した。




 物語は第二章へ――

 カナコの助言のもと木掛へアプローチを開始するが……

 当然、彼女は一筋縄ではいかない。

 さあ、どうなる?


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