第4話 カナコの設定は受け入れられない

「どうよ、理解しましたか?」


 カナコと名乗った子は少し大人びた声で、えっへんと子供を諭すように口角を上げた。


 ……すまん。正直なんにも理解できない。


 絶対に馬鹿にされているか、怪しい宗教か、その二択以外ありえない。

 鶴ならまだしも、カナブンって。

 見た目は某有名な妖精みたいな格好して、自分のことをカナブンの妖精って名乗っちゃうあたり、ますますお近づきになりたくない子。厨二病を通り越した、ただのファンタジー女子。


「わたしと会えて嬉しいからって、そんなにまじまじと見つめないでよ。わかり易すぎっ」

 ぽっと頬を桃色に染めて、体をくねらせる疑義妖精。


 だめだ、俺の怪訝な顔に全然気づいてくれない。


「あのさ、ここじゃなんだから家に上げてよ。暑いから喉も渇いちゃっ……」


 バタム――

 彼女の話を最後まで聞かずに、勢いよくドアを閉めて鍵をかけた。


「ちょちょ、閉めないでよ」

 ドア越しに彼女の声がくもぐって聞こえる。


 これ以上関わってはいけない。


 これが虫の知らせってやつか。俺の危険アラームがそう告げている。きっと、彼女は何重にもこじらせすぎて、現実と妄想の区別がつかないんだ。残念ながら、俺には彼女を救う手立てはない。彼女にふさわしい素敵な男性、もしくは夜回り先生的な大人の女性がきっと彼女を真人間にしてくれるだろう。


「おーい、ちょっと聞いてる? 開けてよー!」


 どんどんとドアを叩く音は止まない。

 正直うるさいし、お隣さんに迷惑っちゃ迷惑だ。


「おーい、聞いてますかあ?」


 どんどんどんどん。先ほどより音は激しくなる。

 すると――


「うわっ!?」と先ほどまでと打って変わり、疑義妖精の叫び声が聞こえた。


 んんん? どうしたどうした、と心配になり慌ててドアを開けた。


「た、たすけてえ」

 そこには、ひっくり返って仰向けに倒れている彼女の姿があった。

「大丈夫……?」

「だだだ、だいじょうぶじゃない」懸命に起き上がろうと手足をじたばたさせている。

「もしかして起き上がれないの?」

「う、うん。ドアノブ引っ張りすぎたら勢いあまってさ。たた、たすけてくれ~」涙目になりながら、救いの手を求めてきた。


 ひっくり返った(仰向けに寝ているだけの)状態から、顔を真っ赤にして必死にうつ伏せになろうとする、自称カナブンの妖精。もしかして、本当に彼女の言った通り、この子はカナブンの妖精なのかも。そんな気がしてくるから不思議だ。

 俺は彼女の手をとり、よっこいしょと上半身を起こす。

「大丈夫?」と、真っ赤な顔を覗き込んだ。


 彼女はぜえはあと息を切らして、「たすかった~」と安堵の表情を浮かべた。


「ああ、びっくりした。人間の姿になっても、やっぱり起き上がれないもんだよね~。もう、かなり焦っちゃった。まさかこんな姿になっても、あなたに助けてもらうなんて思わなかったよ」

「なんか、本当にカナブンみたいだね。じたばたする仕草も似てたし」

「いやいや、カナブンみたいじゃなくて、本当に元カナブンなのよ。わたしはカナブンの妖精なんだってば。さっきからも言ってるじゃない」


 うーん。って、ちゃっかり盛られているが、やっぱりその設定は未だ俺には受け入れられない。

 しかし、彼女はこちらがその不思議設定を受け入れるのを気長に待つ気はなさそうだ。やれやれと言った風に肩をすくめて舌をだす。


「ふう、ありがとう。もうね、あなたに助けてもらったのは、100回目ぐらいかな。わたしね、しょっちゅうひっくり返っちゃうわけさ」

「そ、そうなの?」

「そうそう。まあ、100回はウソだけど、たくさんって意味よ。ドジだよね、わたしってばさ。たはは」

「お、おう……」


 ちょいちょい盛ったり嘘ついたり。


「でも、あなたって良い人だよね。普通、カナブンがひっくり返っても、大抵の人は無視して通り過ぎるだけだよ。なかには面白がって力尽きるまで、助けるでもなく、ただ見てるだけの傍観者や偽善者がいるからね。こっちは必死なのにねー。ひどいと思わない? なかにはわたしたちが害虫とかいって、殺虫剤とか撒かれちゃうし。コガネムシと勘違いしてるんじゃないかしら。別に草花は食べないのよ。まあ、どっちにしたって、勝手に人間が決めた線引きだからね。サイテー、サイアクよ」


 なんとなく彼女のぼやきはわかる気がする。確かに、ひっくり返った虫を見つけても、すすんで助けるやつなんて元々虫が好きなやつ以外いなそうだ。


 特に俺はこれといって虫が大好きってわけではなかったが、無益な殺生は嫌いだ。

 それに、カナブンは愛らしい。よく夏場にひっくり返っているし、自力で起き上がれなくてもがいている。妙に親心をくすぐられて、毎回見かけた時には必ず助けてあげた記憶がある。そういえば、なんか俺の周りでしょっちゅうひっくり返ったカナブンがいたような気もする。


 人間社会で弱い者を助けてあげる勇気はなかったが、少なくとも自分の手で完結できる手助けってやつは、子供の頃からやっていたのかもしれない。まあ、虫相手に大げさだが。


「女の子ってね顔とかじゃないのよ。結局は優しい人が好きなわけさ」


 にんまりと頬を上げる愛らしい笑顔に、またしても胸をむぎゅっと掴まれてしまう。


「だからね、こうして人間の姿になって会いにきたってわけよ。だから、そんなに邪見に扱わないでよ。別に怪しいやつじゃないから」

「わ、わかったよ」


 まあ、なんだ。怪しさ全開は当初から1ミリも変わらないが、今までの短いやりとりで、なんとなく悪い子じゃないのは伝わってきた。とりあえず外は暑いし、こんな場所じゃなんだから――


「部屋、散らかってるけど、うちで何か飲む?」

「ほんと? やっと家にあげてくれるのね。疑り深いのも大概にしないとノリが悪いって思われちゃうよ」

「……麦茶しかないけど、それでよかったら」

「麦茶か~。コーラとかある?」

「ない、かな」

「じゃあ砂糖水でもいいかな」


 甘いやつが好きよとウィンクされる。

 当然だが、現実社会ではアニメのようにきらりーんと音はしない。


 うーん。

 本当に彼女はカナブンの妖精なのだろうか。




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