第15話 月を探しに
―ああ、そう、わたし、ノリって、どこかで会った子だって思ってたんだ。
なんだ、お父さん、だったのか。―
いつの間にか森の景色も消え失せ、暗闇の中、かすかなめまいに襲われながら、茜はぼんやりそんなことを思っていた。
そこへいきなり、ふっと、目の前に現実感をともなった景色が現れた。
戻ってきたのだ。見覚えのある場所に。
所々に点された外灯の灯り。その灯りに浮かびあがる池。
プレハブ小屋の受付と駐車場への案内板に、「釣堀 ヒョウタン池」の幟。
聞こえてくるのは池に流れ込む小川のせせらぎと、魚のはねる水音だけ。
辺りは、月のない夜に覆われているけれど、間違いなくここは見覚えがあった。
池の端に立ち尽くし、放心したようにふたりはお互いをみつめていた。
「ソファーに、横になって、うとうとして、夢を、見ていたと思ってたのに。
茜、お前、・・・」
「お父さん、わたし、・・・」
父は夢を見ていたのか。その夢の中に茜は入り込んでいたということなのか。
この鍵に導かれて。
茜は握りしめている手に目をやった。
そのとき、「ほうっ、ほっ、ほっ、ほっ、」「ほっ、ほっ、ほっ、」
どこからともなく笑い声が聞こえてきた。
「いつまで、そうしているつもりなのじゃ、おまえさんたち。」
「ほんに、のんきなやつらじゃのう。」
池の上に丸い球体がふわりと浮かんでいた。声はその中からだ。
そしてくるりと回転すると、ふたつの影が地面に降り立った。
「山じじ様、」「な、なんだ、」驚く声が重なった。
「ひさしいのう、」「ほんに、ひさかたぶりじゃのう、」
以前会ったときはちいさな姿かたちだったのに、今、ここにいるふたりは父と同じくらいの背格好になっている。
あれは夢や幻ではなかったのだ、こんなところにまでやって来てくれるなんて。茜は目の前のこの老人たちに驚くよりも懐かしさや嬉しさを感じていた。
「うわあっ、こ、これは、なんだ。いったいどこから、やって、きたんだ。おまえ、た、ちは、いったい・・・」
一瞬のうちに、父は体の自由がきかなくなっていた。このお爺さんたちの仕業だと茜は思った。
体も口もまったく動かせず、ただ目だけが恐怖におののいて、大きく見開かれている。まるで銅像にでもなってしまったようだ。
お爺さんたちは、焦って右往左往するものを嫌うのだと、以前遭遇したときのことを思い出して、茜は口を出さずに見守っていたのだ。
すかさず「ほう、お前さん、だいぶ、わかってきたようだな。」
「ほほう、少しは成長したということか。」と声がした。
「それで、お前さん、探していたものは、見つけたのかのう。」
「探し当てたかのう。」
「それが、まだなんです。でも、だいたいの検討はつきました。」
「それはよかった。じゃが、」「まだ探し当ててはおらんのじゃろう。」
「はい。」
「ところで、こちらの、お前さんはどうじゃ、探すべきものは、わかったかのう。」
「お前さんは、長い間、過去の傷にふたをしておったが、ようやく、何をなすべきかわかってきたところじゃろう。」
父に向けたその言葉は、恐怖しかなかった目の色を変えさせた。父の目には、何か力強い光が宿ったように見えた。
「それはそうと、時間がないといわれなかったかのう。」
「いわれておるじゃろう。」また茜に向き直ったふたりはそういった。
「はい。でも、」
「よいか、足元を見るのじゃ。」「そう、足元じゃ。」
「足、元?それは、やっぱり池の中、ですか?」
茜がそう問いかけたとたん、また笑い声が響いて、お爺さんたちの姿は球体とともに搔き消されていった。
その後を風が吹きぬけていった。
「ふっー。今のは、いったいなんだったんだ。」
身体の縛りが解けて自由になった父は、地面に座り込んだ。そして、
「何をなすべきか。か、」さっきいわれた言葉を繰返した。
「お父さん、山じじ様たち、覚えてないの?」
「山じじ様?なんだそれ。さっきの爺さんたちのことか?」
「覚えてないんだったらいいわ。そんなことより、探さなくっちゃ。今はあれを探すのが先だわ。」
一緒に森をさまよっていたわけではないのか。それでも、
「茜、昔オレが見た、池の中の月。それが、お前が探しているものじゃ、ないのか。そして、それはオレもカズ兄のために探さなきゃならんものなのかもしれん。」
そう、「失せもの探しの錠前」には錠にも鍵にも月のようなガラス細工があったのだ。光を反射したそれは、月にも見える細工だっただろう。
茜は父とうなずきあった。
「探そう。」「探すぞ。」
ふたりは池の淵をのぞき込んで歩き出した。
どのあたりであの小さい兄弟は、水の中の月を見つけたのか。茜はあの情景を思い出しながら一歩一歩足を運んでいた。
父もかつての情景を思い出しながら目を凝らした。
自分のせいで亡くしてしまった兄への罪の意識にさいなまれ、一切の兄との記憶を消し去っていた自分。それをこの池を再び目にしてよみがえったとたん、大きな自己嫌悪とともに自暴自棄になった自分。
父は池の中に目を凝らしながら、過去にも目を凝らし向き合おうとしていた。
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