第11話 鍵の謎

 わたしの居場所はここにもない。

 

 全身の力が抜けて立っていられなくなり、足元から崩れ落ちた。

 すぐそこ、手の届くところにいる子たちにさえ声も届かない。

 誰にも気付かれず世界の片隅に、たったひとり取り残される感覚におそわれた。

 こんなの寂しくて、悲しくて、辛すぎる。

 涙が頬を落ちていく。

 鍵が手から滑り落ちていった。

 こんなところに連れてきてほしかったわけじゃない。泣きながら鍵を草の間から拾い上げた。こんな光景を見たかったわけじゃない。

 

 地面の土の手触り、草の匂いを確かに感じる。風のそよぎだって、池の水や木々のざわめきだってちゃんと聞こえている。

 わたしはここにいる。ちゃんとここにいるよ。

 ふたりにもう一度目をやる。

 ふいに何か変だと思った。

「あっ、」

 ノリとその兄の姿が、陽炎のようにゆらいでいる。そして霧がほどけていくように、今ゆっくりふたりの姿形が消えていく。

「あああっ・・・」

 そう実体のないのは、ふたりのほうだったのだ。

 今の今まで目にしていた光景が消え去っていく。


 涙にぬれた頬はそのまま、鍵を握りしめて机の前に茜は戻っていた。

 外はもう夜明けが近い。カーテンのすきまから薄明りがのぞいていた。

 それにしても、この鍵はいったい何を開ける鍵だったのだろう。

 茜は、鍵のガラス細工を、もう一度よく見ようと明るいほうへかざした。

 なんだか、この鍵自体が、なにかを訴えているような気がしてきた。

 先生、戸継先生に会わなきゃ。茜は勢いよく立ち上がった。

 

 いつもの時間に身支度をして、いつも通り学校へ向かった。

 父はもうすでに出ていた。

 朝食を用意してくれていたことに茜は驚いた。

 焦げた目玉焼きは食べる気がしなかったけれど、きれいに平らげた。

 

 授業はまったく頭に入ってこなかった。出てくるのはため息ばかりだが、人の話し声の中にいる方が気が楽だった。母のことを考えるのがおっくうだったのだ。

 話す相手もないのに、人のざわめきに埋もれていることを望んだ。

 放課後、下校時間ぎりぎりに図書室へ向かった。みんな帰った後をねらったのだ。

 思ったとおり図書室からは物音がしない。戸口からのぞいてみるとカウンターには誰もいないし、灯りさえ消してある。


「高橋、さん。わあっ、」

 不意打ちのように後ろから声がした。肩を叩かれた。

「先生。」

「ごめんごめん、驚かしちゃって。こわごわのぞいてるの、面白くってさ。

 誰もいないよ。そんなに警戒しなくったって。

 それともなに、ここにはなにか、恐ろしい怪物でも潜んでるって?。」

 先生の声にほっとした。ほっとしたとたん、ふいに涙がこぼれた。自分でも驚いた。泣くつもりなんかなかったのに、あとからあとから涙があふれてきて止められなかった。

 

 戸継先生は泣いている茜の肩に手を回し、何も言わず図書室へ入れた。

 カウンター席で茜は、しばらくちいさな子どものように泣きじゃくっていた。

「わたし、・・・ごめん、なさい

 こんな、に、泣いて、しまう、なんて・・・」

「つらいことが、あったんだね。」

 先生の声はあったかくて優しい。

 ひとしきり泣いて、茜は少し落ち着いてきた。

 それをみはからって先生は、資料室からよく冷えた缶コーヒーを持ってきた。

「これ、ちょっと甘いけど。

 冷蔵庫があそこに置いてあるのは内緒よ。

 それから、あの段ボールの山も内緒だったんだ。」

 へへへっ、いたずらっ子みたいに先生は笑った。

 

 閉め切った部屋の蒸し暑さがすこし和らいだ。

 ふたりでゆっくり、甘いコーヒーを飲んでいた。

「お母さんが、家を、出て行ったんです。」

 茜はとぎれとぎれに話し始めた。

 それをまた先生は静かに聞いていた。

 もうずい分前から父のお酒のせいで、家の中が暗く沈んでいたこと。

 五年生のときのこと。木村正太のことはいえなかったが、そんな父に我慢ならなくなっていたし、何の手立てもしない母にも怒りがわいていた。そのために父とも母ともまともに話すことがなくなっていたなど。

「そうか。たくさん、がまんしてきたんだね。」

 そのひとことにまた涙がこぼれたが、もうそこからはほっと肩の力が抜けていた。

 

 しばらくしてから戸継先生の声の調子が変わった。

「ああそうそう。この前のあの磨いてくれた鍵、もしかして、今日持ってきてくれたんじゃない?」

「あ、そうだ、この鍵のこと、わたしも聞きたいと思ってたの。」

 鍵をスカートのポケットから取り出した。

「あら、そうなの。

 あ、やっぱりこの鍵だわ。

 実はね、」

 蔵を処分するため、あのたくさんのガラクタを先生に託した親戚は、佐々木さんという。この鍵の持ち主でもある。

「佐々木の叔父さんが小さいころ聞かされてた、うんと昔の話しなんだけど、」

 佐々木家の古い言伝え、「失せもの探しの錠前」の話しを先生は始めた。

 

 どこかにしまいこんだ書付も、落とした財布も、去ってしまった恋人も手元に戻ってくるという、そんな言伝えのある錠前だという。

「なんでも、満月の晩に祈りを捧げて、錠に鍵を差し込むと、願いを聞いてくれるらしいの。本当にそんなものがあったのかどうなのか。

 佐々木家の家宝だったっていうんだけど、すっかり忘れてたんだから、叔父さんもいい加減なもんね。」

 佐々木さんは、実物を見たことがなかったから、子どもの頃に聞かされた単なる昔話、おとぎ話のたぐいだと思っていたそうだ。

 ところが最近、老人ホームに入っている佐々木さんの曾おじいさんが、しきりに持ってきてほしいという。

 それらしいものは気が付かなかったが、片付けのときほかのものに紛れてしまったのかもしれない。もし見つけたら返してくれないかということだった。

「なくしたものを探してくれる錠前。」

「鍵は、このあなたが磨いてくれた、これじゃないかな。

 頭に満月模様があるっていってたの、叔父さん。」

 確かに満月といえば満月のような。光にかざすと反射する丸いガラスがはめこまれている。

 

 老人ホームに入居している曾おじいさんは、百歳をとうにこえていて、この頃体調が悪いから、今の内に見せてやりたいのだと佐々木さんはいっていたらしい。

「あっ、」そこで茜は、あの、夢のような光景の中で、みんなが探しものの話しをしていたことを思い出した。

「なに、あの鍵のことでなにかあったの?、なくしてた物が出てきたとか?」

「いいえ、その・・・」

 あの夢のような出来事を話していいものか、茜は迷った。

 偶然なのだろうか。失せもの探しの鍵と、探しものをしているものたち。

 さすがにちょっと信じられないことばかりなので、今日はやめておくことにした。

「それでその差し込む錠は、どこにあるんですか。」

「ああ、それそれ、」

 また資料室から戸継先生は布にくるんだものを持ってきた。

「これこれ、これじゃないかと思うんだ。」

 そうして、今度はその錠だと思われるもののさび取りと磨きを、茜に頼みたいのだという。

 茜は、なるべく早めにきれいにして持ってくると約束して帰った。

 

 この磨いた鍵は多分「失せもの探しの錠前」の鍵だろう。

 そうあの出来事は、鍵が見せていたことだったのだろう。

 そして、きっとまだあそこで探しているに違いない。

 ノリとノリの兄がなぜ消えていったのか、わからないことはあるけれど。ノリも千代さんもきっとまだ探している。なぜだかそんな気がしてならなかった。

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