一ツ前幽深と五つの怪談


「五月に元号が変わったら、平成の怪談って銘打って総まとめみたいな本も作りたいですよね」


 父の記憶が確かなら、最初にそう言ったのは倫叡社りんえいしゃの木村さんだったそうだ。木村さんは昨年「リンコワ」と呼ばれるホラー専門レーベルから児童書へ異動になり「平成の怪談」は頓挫したのかしていないのか、作家の私達にもよくわからない。

 父は教育学部出身で、在学中は幼児向けの絵本作家を志して持ち込みをしていたと聞く。


「あんたは見込みがありそうだから、うちで師匠を付けてやろう」


 そう言われて嬉々として付いて行った出版社では、グルメ雑誌の紹介記事や怪談のライティングをさせられるばかり。結局絵本の仕事はほとんどしないまま、あれよあれよとホラーの沼にぽちゃんと落ちたのだった。


「ケイト、佐山ちんからメール来てたの見た?」

 私のケイトという名は、父が好きなケイト・グリーナウェイという挿絵画家から取ったらしい。キッチンで米を研ぐ父の横で、私はスーパーで買ってきたばかりの食材を冷蔵庫にしまいながら「あー」と曖昧な声だけ返した。

「添付のPDFはまだ開いてないんだよね。お父さんはもうファイルのほう読んだの?」

「お父さんもまだ最初のほうを少し見ただけ。結構ボリュームあったから」


 ここ三年ほど父娘揃って世話になっている倫叡社の若い編集者を、父は「佐山ちん」と呼ぶ。父曰く、少し前まで「佐山ちゃん」と呼ばれる別の編集者がいたそうで、彼と現担当の佐山光輝きらめきとを区別するためにわざわざそう呼ぶらしい。

 入社してまだ五年も経たない佐山くんは、私のことを躊躇なく「幽深かすみさん」と呼ぶ。対して父の呼び方は「一ツ前ひとつまえ先生」だ。

 父は「娘よりの世代だから」などとうそぶいているが、まだ私が幼かった頃は「一の前はだから一ツ前」と得意げに言っていた気がする。


 父はもう三十年以上ものあいだ一ツ前ひとつまえ幽深かすみだが、私もまた一ツ前幽深になった。

「一ツ前幽深」の筆名はいまや父娘の共同名義であり、父の高齢化に伴いいわゆる『中の人』が一人から二人に増えたわけである。



 木村さんがリンコワを去って以来「平成の怪談」の企画は半端に止まってしまった。しかし年を重ねた父には何か思うところがあるのか、それとも単なる大掃除なのか、ここ数年は古い取材内容を新しいPCに移したり、没にした昔の怪談をサルベージしたりと色々やっていた。


 書籍に収録されていない怪談は私も見たことがなかったから、勝手にファイルをコピーして眺めては面白がっていた。こればかりは娘の特権だ。


 私がいくつかの古い怪談に微妙なひっかかりを感じ始めたのは、ちょうど父が古いPCから「白屋敷」の文書ファイルを発掘した頃だった。

 最初は本当に僅かなだったのだ。違和感というほどの違和感ではなかったし、何か妙なものを感じても、読み終わればすぐに忘れていた程度だ。

 ところが未発表作品である「白屋敷」を読んで以来、それらは綿の中でくっきりと輪郭を持ち浮き上がってきた。何かが似ている気がする。そのように感じられた。

 父も怪談取材を重ねているうちに私と同じ心境になったのだろう。

 私が「白屋敷」を没にした理由を尋ねたとき、父は頭を掻きながら

「なんとなく保留にしたくて」

 と前置きし、ぽつりぽつりと語り始めた。


 父が「白屋敷」の体験談を取材したとき、なぜか頭にポンと思い浮かんだのは昔聞いた「ウシオさん」の話だったそうだ。

「ウシオさん」はどの本や雑誌にも掲載されておらず、文書データさえない。取材というほどの聞き取りをしたわけではなく、たまたま世間話程度に聞いただけだから、手元に残っているのは父のメモだけだ。


「ウシオさん」の体験者は私の友人の親戚筋だったので、幸運にもご本人から再取材の許可を得られた。折角なら父とは異なる視点で話を聞こうじゃないか、ということで、再取材には佐山くんと私の二人で臨んだ。面倒なので私と父の関係は伏せて、ではあったが。


 彼女から聞いた「ウシオさん」にまつわる話だが、私の感覚では「白屋敷」を連想できる要素は非常に少ない。

 だが、父が「ウシオさん」を想起したのは、無意識に「最後の夜に見たもの」という話を経由してのことだったのではないか。

「最後の夜に見たもの」は昭和六十三年に父が取材し、平成二年に文芸誌へ寄せた。「ウシオさん」の話を聞いたのはそれから十年ほど後、私がまだ小学校低学年だった頃らしい。


「最後の夜に見たもの」の執筆の際、父は体験者の男性から集団自決事件が起きたとされる場所を聞き、古い雑誌や地方新聞を調べたそうだ。

 するとそれと思しき事件を見つけたが、ほとんどの記事では暴力団によって引き起こされた悲劇のように書かれていた。当時は一家と暴力団のあいだには高利貸しの他にも、不動産売買のトラブルがあったと噂されていたようだ。


「白屋敷」の体験者は千葉県千葉市と長野県軽井沢町で白い廃墟を発見している。一方「最後の夜に見たもの」の体験者の生家は静岡県にあったらしい。体験者の記憶と報道された情報を重ねるに、その家は桂離宮を農家風にしたような姿だったのではないかと思う。少なくとも屋根は白色ではなく、ごく一般的な暗色の瓦屋根だったはずだ。


 この二つの怪談の明らかな共通点といえば「女中」という存在だろう。

 と、私は思っていたのだが、ここで珍しく父と意見が食い違った。


「暗い場所にひとりぼっちというところかな。お父さんね、の中に生きた人間がいるというのが怖いなと思って」


 それを聞き、ようやく私は腑に落ちた。

「最後の夜に見たもの」という作品は、どのシーンをクローズアップするかで大きく印象が異なるタイプの話だ。

 父は幼い体験者の目線で、静まり返った真っ暗な家に取り残された不安感を集中的に描写した。

 どれが良い悪いという話ではないが、例えば前半に妻の話を丁寧に描き、後半で体験者が昔を振り返るという構成にもできたし、集団自決というショッキングな事件にもっとスポットライトを当てることも可能だったろう。


 しかし父は一人ぼっちの幼児の目線で当時の出来事を描いた。だからタイトルが「最後の夜に見たもの」なのだ。「消えた大家族」とか「八人が死んだ家」とかではなく。


「あのタイトルさ、『青い手』みたいなのじゃダメだったの?」


 いつだったか、ふと思いついてそう尋ねたとき、父はとても変な顔をした。

「うん、そうだよね。そっちのほうがシンプルでわかりやすいし、良かったよねぇ」


「ウシオさん」は一九五〇年頃の話で、時代が近いせいか、どことなく「最後の夜に見たもの」と似た雰囲気がある。少なくとも私はそう感じた。


 だが、所詮は偶然の域を出ない共通項ばかりだ。仮にミッシングリンクがあるとしても、集団自決には警察が介入している。今さら素人が掘り返して再調査できるようなことが、一体どれほど残っているだろう。昔と言っても昭和二十年代だ。八人もの遺体が見つかれば、さすがに杜撰な捜査で済むわけがない。


 都内で「ウシオさん」の再取材を終えた翌月、佐山くんから一通のメールが届いた。

 彼は昔から、複数の怖い話投稿サイトやまとめサイトを毎日欠かさずチェックしているらしい。リンコワにはうってつけの人材だ。私も父も新しい情報を追い続けるのが苦手な性質なので、彼が気に入った話を教えてもらうことで、どうにかこうにか怪談の最先端に追い付かんとしている。


 そのとき佐山くんから送られてきたのは「姉ちゃんとカヤちゃん」と題された怪談だ。もとは匿名掲示板、いわゆるオカルト板に書き込まれたもので、オリジナルが投稿されたのは二〇一七年と見られる。

 翌朝、出社した頃合いを狙って私は彼に電話をかけてみた。

「あれは最新のじゃなくて、ランダムで出てくるピックアップのほうで見つけたんです。内容よりも『ぐーるり』って言葉が一瞬出てきたのがちょっと気になったんです。『白屋敷』でも似た感じの言葉がありませんでした? ただそれだけなんですけど」


「姉ちゃんとカヤちゃん」に『ぐーるり』という言葉が使われるのはたった一言、たった一回だ。しかし、私もやはり同じところで目が止まった。

「ぐるーりと書こうとして打ち間違えたようにも見えるけど」

 そう言う父のほうが正解かもしれない。

 とはいえ、直接「白屋敷」の体験者から話を聞いた父だって、作中に「ぐぅるり」という表現をわざわざ記している。

 私は取材中どのようなやりとりがあったのかは知らないが、この話の場合、この「ぐぅるり」のくだりがどうしても必要だったかと問えば、否だろう。

 父も佐山くんと同じで、体験者の口から語られた「ぐぅるり」という言葉がどうしてか強く印象に残ったのではないか。だから最後の最後でその言葉を記したに違いない。


 そして翌月、佐山くんは畳みかけるように「ピアノの部屋」という話を拾ってきた。

「これも青い手の話ってことになるのかな」

 読み終えた後、私と父は揃って首を傾げた。この話も「姉ちゃんとカヤちゃん」同様、「白屋敷」「最後の夜に見たもの」との明確な類似点はないのだが、不思議と気にかかる。強いて挙げるなら『駐車場』(「姉ちゃんとカヤちゃん」に登場)『地下室』(「白屋敷」に登場)というワードが気になったが、これらを共通項と呼ぶのは乱暴すぎだ。


 メールを受信した翌朝、前回と同じように佐山くんへ電話したところ、意外にも彼は「最後の夜に見たもの」の作中、青い手が出てくる部分だけすっぽりと忘れていた。

 むしろ、痴呆を患った祖母の様子から「白屋敷」に登場するMさんを連想したと言う。


「そっか、そういえばあの話は青い手の因縁がっていうオチでしたね。無意識下ではぼんやり覚えてたのかもしれないですが、窓の向こうに何かいるっていう辺りはちょっとうろ覚えでした」


 もしも父が件の怪談のタイトルを「青い手」にしていたら、怪談好きの彼がその点を失念することはなかったかもしれない。

 私と父はそれに気づいたとき、少なからずショックを受けた。


 私も作家の端くれとして、構成が非常に重要なことはわかっているつもりだった。だが、父も私もタイトルについては少しばかり注意を欠いていたかもしれない。

 名付け次第で、書籍にしっかりと書き記した怪異でさえ見逃され、遂には忘れられてしまうものなのか。


 やはり人の記憶なんてあてにならない。私と父はそれぞれ手分けして、以下四つの怪談を二組ずつプリントアウトした。


「最後の夜に見たもの」

「白屋敷」

「姉ちゃんとカヤちゃん」

「ピアノの部屋」


 そして私がノートに走り書きした「ウシオさん」をスキャンして出力し、計五つの怪談を父と二人で改めて見直してみることにした。


 この間、父は他にもひっかかる話がなかったかと机をひっくり返して探していたが、目ぼしいものは見つけられなかったらしい。

 もちろん佐山くんと同様、あるにも関わらず見逃しているだけかもしれないが、別の人間が探せば見つけられるというわけでもないだろう。なにしろ体験者から直接話を聞いているのは「一ツ前幽深」である私か父のどちらかだ。

 取材の段階で私たち父娘が気づかなかった類似性や違和感の類を、作品として加工してしまった話しか知らない他者がそう易々と見つけられるだろうか。


 父と「最後の夜に見たもの」の呼び名を「青い手」に変えようと相談したとき、また少しばかり意見が割れた。


「これって最初はの話なんだよね。ここを読んだときケイトはどう思った?」

 私は父が何を聞きたいのかよくわからなかった。


「最初って、夜中に窓開けたところでしょ。確かにここは青い手形って書いてあるけど、朝まで手形が残ってたわけでもないし、オチの伸び上がって来る手のほうが嫌な感じがするし、別に『青い手』でよくない?」

「ああ、もちろん呼び方はそれでいいの。そうじゃなくてね。最初に望月さんが見た青い手って、手形だったと思う?」

 仮名を望月さんとした体験者の男性は、窓に付いているのが青い色の手形だと思い、その記憶を素直に父へ語ったのだろう。私もその文面を素直に受け取り、塗料を塗った手をべったりとくっつけてできた手跡を想像していた。

「このとき、向こう側に何か白いものがあるって言ってるでしょ。彼が手形と言ったからそのまま手形と書いたけどね、これって案外、手のひらだったんじゃないかと思うの。翌朝なくなってるのは手の主がいなくなったからかなって。彼は小さかったし、普通人の手は青くないから、手のひらとただの手跡とを区別できなかったんじゃないかと思うんだよね。真っ暗な部屋の中でどれほど色が識別できるかわからないし、人か人ならざるものかもわからないけど……まあ、幽霊の手だって言うならどっちでもいいんだけどね」


 父はそう言って呑気に笑った。

 が、私はといえば、あまり笑ってもいられない。再び事態の複雑さに気づいた。


 仮に作中で「手形」とされているものが、実際には手の跡ではなく骨肉のある手そのものだった場合、この怪談からは「手形」という要素が無くなる。

 今回はたまたま手形に纏わるエピソードが他の話になかったから良いが、こんな細かいところまで審議しないと類似性のひとつもろくに挙げられないのか。それに気づいて、私は早くも弱気になった。


 青い手関連と見ていた「ピアノの部屋」ではカラフルな色をした手の存在が示唆されているが、実はこれも手かどうか怪しい。もし書き手が「ピロピロした花みたいなの」と表現したものが祖母の言う「手」であったなら、いよいよ何だかわからなくなる。


 ただ関連性や類似ワードを洗いざらい見つけてやろうと軽い気持ちで始めたはずが、気が遠くなるほど果てしない作業となってしまった。

 とはいえ父と二人きり、ここまでしつこく怪談談義のようなことをしたのは流石に初めてだ。図らずも一生忘れない思い出を作ってしまったかもしれない。

 私たちは細かな擦り合わせを重ねに重ね、三日三晩粘った。そして、結局最後には「諦めよう」という結論に達した。


「そもそも、お父さんもケイトも理屈っぽいんだもん。ダメだよ、元はといえば人間の理屈が通じない話こそがでしょ」

 六十時間以上互いに屁理屈をこね続けていたというのに、挙句に父のこのダメ押しである。

 時間を費やしたぶん名残惜しくはあるが、どうにもならないのはもう私にも判っていた。


 一方、私と父が徹夜で間違い探しをしている間、実は佐山くんも別の仕事を頑張ってくれていた。


「白屋敷」には『あめうちの家』というワードが登場する。父がこの話を執筆したのは二〇〇九年で、当時は佐山ちんではなく佐山ちゃんが父の担当だったらしい。私が幽深を名乗る六年ほど前のことだ。


 当時、やはりオカルト好きであった佐山ちゃんの地道な調査により、とある出版社のオカルト誌に軽井沢町で起きたという「聖少女生き埋め事件」という記事が掲載されていると判明した。

 ノロノロ動くスケルトンカラーのMacを駆使しインターネットで情報をかき集めたであろう佐山ちゃんは、この事件の現場こそが『あめうちの家』ではないかと考えたそうだ。

 件のオカルト誌の版元は九州の某大学新聞部が母体となったものだった。雑誌は九州、関西圏辺りまでしか出回らなかったようで、埼玉県民の父が見つけられなかったのも無理はない。出版社というのも名ばかりで、どちらかといえば景気の良い同人活動に近かったと思われる。

 そのオカルト誌は八十年代に不定期で出版され、九十二年に版元が廃業。


 当時はその雑誌を入手する手段がほぼなかったが、今はかつての新聞部員を見つけることさえ不可能ではない。

 例え記事を書いた人間とコンタクトが取れずとも、雑誌が中古品として売られていればすぐに見つけられる。


 そうして苦労の末に佐山ちゃんが発見したオカルト誌を、近頃になって佐山ちんがオークションサイト経由で入手した、というわけだ。

「聖少女生き埋め事件」というトリガーを得て、彼は知る人ぞ知るような古い関連事件を次々と発見したそうだ。


 それをようやくPDFにまとめ終え、満を持して彼から送られてきたのが今朝のこと。

 私と父は五つの怪談から共通項を求めることをとっくに諦めてしまったが、彼にとっては「それはそれ、自分は自分」らしい。これは私の邪推だが、佐山くんは昭和の怪奇事件にも八十年代のオカルト雑誌にもハマってしまったのかもしれない。


 しかし今日の父はすっかり弱気だった。佐山くんからのメールでも見ているのか、スマートフォンを眺めながら幾度となく小さな溜息をついている。

「せっかく佐山ちんが調べてくれたのに申し訳ないけど、お父さんはもう自信なくなっちゃったな。例えば子どもが溺死した場所でびしょ濡れの子どもの霊が出るって話があったとして、理屈は合うけど……かえって嘘っぽいというか。我ながらだいぶ穿ってていけないと思うけど」


 父はそう言うが、世の中にはピースとピースががぴたりと合う、よく出来たパズルのような怪談だってある。それはそれはきっと山ほどあるに違いない。もちろん、私にも父のような穿った気持ちがないでもないが、世の中に溢れる怪談は実に様々だ。どのみち「理屈が通用しない」と一概に言うことも出来ないのだから、出来事自体を疑うことには何も意味がないし、何も生まない。

 所詮、私たちの持っている定規では何一つ測れない。で、あるからないは、私たちはかつてとされることを、ただただ信じるしかないのである。


 なにしろ私たちが相手をしているものは、人知を超えたものなのだから。


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