≫ 華貞輪乙女事件概要.pdf
※脚注と資料は最終ページ参照
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華貞輪乙女事件(かていりんおとめじけん)
関東を中心に東日本全域で1953~1962年にかけて起きた連続殺人事件の総称。1960年以降の別称は潮縄事件(しおなわじけん)。
長野県軽井沢町の「聖少女生き埋め事件」、東京都の「華貞輪事件」の他、長野県諏訪市、埼玉県南埼玉郡(現岩槻市)、千葉県千葉市・香取市、神奈川県藤沢市・横浜市など、未成年の監禁虐待や殺人が長期に渡りおこなわれていたと見られる。(※1)
この事件に巻き込まれたと思しき行方不明者は少なくとも6人以上と言われるが、1970年代以降に発見された被害者はおらず、全貌は不明。(※2)
主犯格の男女が死亡したことから事件が表沙汰となったこともあり、被害者総数や凶行へ至るまでの経緯など事件の実態は未だ明らかではない。
また、当初マスメディアはこれをカルト宗教事件と混同して報道したが、事件の関係者が宗教法人格取得を試みたという記録はない。
・事件の発端と主犯格について
長野県内及び神奈川県内で起きた事件の主犯格は
1951年、当時15歳であった和煕とかな代の長女が病死。その後、家族ぐるみで死んだ長女を聖女に見立てた信仰を始める。1952年以降は当時13歳の次女・カテヱリンを長女の依代とした上で、生き神として祀り上げた。
潮苗家には長女の他に長男・
(次女には出生届が出された形跡や戸籍がなく、カテヱリンと呼ばれる以前の名も不明であることから)(※3)
潮苗夫妻の長男・恒平は自宅に籠ってカテヱリン信仰に加わっていたが、1954〜1955年頃に死亡。遺体は発見されていない。
「湿つた幽幽たる此岸の一筋の光 乙女に此之身を捧げ 僕が目出度く即身成仏と相成れば(中略)僥倖とも愛とも言えませう」などと記された恒平直筆の手記が残されており、彼の手記からはカテヱリン信仰の詳細のほか、潮苗一族と一連の犯行との結びつきを伺い知ることができる。(※4)
(恒平は自ら食事を絶って衰弱死したと見られ、生前に遺した手記の手筈通りであればミイラ化した遺体はカテヱリンによって燃やされたはずである)
1962年、潮苗夫妻死亡をきっかけに、各地で潮苗一族が起こした凶行が発覚。捜査中であった他の行方不明事件にも「カテヱリン信仰」という共通点が浮上した。(※5)
潮苗夫妻の遺体が発見された長野県内の親戚宅では、夫妻が練炭自殺を図った形跡が見られた。しかし夫妻が用意した練炭は未使用だった。後の検死で潮苗夫妻の死因は気道閉塞に起因した窒息死であり、練炭による一酸化中毒ではないと判明している。
カテヱリンと呼ばれた少女は複数存在し、うち二名は遺体となって発見された。身元が判明しているのは青木泰子(当時十五歳)のみ。(※6)
泰子は和煕の異母妹の実子。(※7)
潮苗夫妻が死亡する以前から潮苗家次女・カテヱリンは行方が知れず、彼女に関する情報は各県警の捜査でもほとんど得られなかった。そのため架空の存在とも考えられたが、当時の潮苗家を知る住人らは長女の死後にカテヱリンと見られる少女が潮苗家にいた様子であったと証言している。
以下、潮苗家の相関について――
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……
【2.6万】Lovely Dear Underground 〜ひかりの王と地底の国〜 平蕾知初雪 @tsulalakilikili
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