第5話「それはビターな大人のクレープ」(中編2)

「知らなかったのか。希美としては知られたくなかったのだろうが、君と付き合うようになってから明らかに成績が落ちているんだ」

「そんな……」


 これだけ一緒にいながら、知らなかった。


「ただでさえ医学部は難しい。勿論浪人するという道もあるだろうが、希美の実力なら現役合格をすることも難しくないはずだ。私はそこで、希美自身に自信をつけてほしいんだ。希美は少し自分を卑下するところがあるからね」

「そう、なんですね」


 それ以外に、なんと返したらいいのか俺にはわからなかった。


「君は三年生なのだろう? 進学を考えているのかい?」

「はい。国公立を」

「なるほど。君が祖父と二人暮らしだという話は希美から聞いていたが、国公立進学を決めた理由は祖父に負担をかけないためかね?」

「……はい」

「家のことも考えた選択をするという心意気は立派だ。だが、結局のところ、君自身に足かせが付いているのも、また事実だということは認識しているだろう?」

「……」


 足かせ、という言葉を使われて少し腹が立った。

 だが俺自身、自分の境遇が足かせであると考えたことがないわけじゃない。けど、決して肯定はできなかった。


「君が希美との将来をどこまで考えているのかは知らない。だが、君という存在が希美にとっての足かせになっているという事実は確かに存在する」

「それは……」


 否定できない事実なのだろう。


「君との将来を最優先にし、希美が夢をあきらめるということも考えられる。その結果、悪い未来が来ると断言することはできない。希美が選んだのだから、君はきっと良い人なのだと思う。初めて話したが第一印象も良く、誠実な人間であることが伝わってくる。だからこそ、初対面でこんなことを言うのは失礼だと思ったが、子供を思う親のわがままだと思ってくれて構わない」

「そんなことは……」


 希美の父が言っていることはすべて事実だ。

 今だけの幸せと、未来の可能性を天秤にかけたとき、本当に希美のことを思うのならば……いや、希美のことを考えてほしいと言っているのだろう。


「君と希美が付き合ったことは、きっと希美にとってかけがえのないものになるだろう。だが、希美の人生を賭けるには、まだ早すぎるということもわかるだろう?」

「……はい」

「君と付き合い続けることで、医大現役合格の可能性がなくなるわけではない。だが、もし落ちたとき……浪人ではなく、夢をあきらめる決断を希美がくだしたとき、君はどうするんだ?」

「それは……」


 そこまで考えていなかった。目の前のことしか見ていなかった。

 今の幸せをかみしめて、自分が幸せであるからと、希美も幸せであると思い込んでいた。いや、希美も幸せを感じてくれているのだろう。


 けど、それはなんの計画性もない恋だ。

 心からの愛であるならば、それはきっと浅はかだ。

 俺と違って、希美は多くの可能性を秘めているのだから。


「……お父さんは、別れてほしいって言ってるんですよね?」


 我ながらバカな質問だったと思う。

 それ以外に選択肢が思いつかなくて、でも、その決断を自分で下すほどの勇気がなかったから、俺は希美の父に別れてほしいってハッキリ言ってもらいたかったんだ。

 そうすれば、俺はそこに逃げ道を作れるから。

 けど……。


「それは、君たちが決めることだ。ただ、別れるのは一番確実に結果が出る可能性がある」

「なら……」

「だが、安易でもある」

「っ!」

「とはいえ、一高校生がこの現状をほかの方法で変えていくのは非常に険しい道のりだろう。……別に成績を今すぐ向上させる必要はない。現役合格はあくまで私のわがままだ。二人がお互いの存在なしではどうにもならないと思っているのなら……いや、君の存在が希美にとって今、必須の存在であると思い、それが事実だというのならば、それは私の見当違いであったということだ。それを君も見極めてほしいという、私の押しつけがましい言い分に過ぎない」

「……」


 それは違う。いや、違わないのかもしれないが、違うのだとわかっているから言葉が出ない。


「失礼を承知で言わせてもらうが、君の実家は裕福ではないだろう? お金が全てであると言うつもりはないが、お金がなければ選択の幅が狭まるのは君自身よく知っていると思う。もし、希美が医者を諦めた原因が君にあるとわかったとき、君は希美に何をしてあげられるんだ? 医者をあきらめたことを希美が後悔したとき、君は何かをしてあげられると、断言できるのか?」

「っ!」



 ぐうの音も出なかった。

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