第4話「優しい味のクレープ」(後編)

 行先は病院だった。

 受付で父さんの居場所を聞くと院長室にいるという。

 急いでも意味はないとわかっていても気持ちがはやり、自分の足音に追い立てられるかのように歩みは速くなっていく。

 最上階の一番奥にある部屋の重厚なドアを開くとそこにはお父さんがいた。


「どうした希美? 私は忙しんだ。急用じゃないなら後にしてくれ」


 チラッと私のほうを見た父はすぐにデスクへ視線を落とすと、また黙々と作業を再開した。

 なんだか頭にきてデスクへ近づくと、


「お父さんが別れさせたの⁉」


 何も考えずにそう言っていた。

 私の言葉にぴくっとした父は顔を上げ、険しい表情で私を見据えると、


「誰からそう言われたんだ?」

「……いろんな話を聞いて、私がそう思ったの」

「……なんでそう思ったんだ?」

「私が付き合い始めてから成績が落ちていたから、お父さんが別れさせようとしたんでしょ? それで先輩にひどいこと言ったんじゃないの⁉」


 お爺さんの話からも、それ以外考えられなかった。あの先輩がお爺さんに対してそれだけのことを口にするとしたら、それ相応のことがあったはずだ。


「希美。仮にそうだとしたらどうだというんだ?」

「何言ってるの⁉ お父さんには関係のないことじゃない! 先輩にひどいことを言って傷つけるなんてっ!」

「……そうか。だが、それは少し違う」

「なにがよっ!」

「高校生の恋愛が結婚まで結びつく例はごく稀だ。そして、希美には医者になるという目標があったはずだ」

「それはお父さんがっ!」

「私は希美に医者になることを強制したことはない」

「っ!」


 言われてみれば、確かにそうだ。

 お母さんもいないし、兄妹もいない。であるならば、私が継ぎたい。そう思った。ほかならぬ私自身が。

 それは父さんのためだったのかもしれないし、使命感のようなものを感じていたのかもしれない。

 でも、理由がどうであれ、その目標に意味を見出し、目指していたのは私自身だ。


「希美が医者を目指した背景には、私のことを思ってくれた部分もあると思う。それに嬉しく思っていた私の態度が希美の思考を妨げていた部分もあるのかもしれない。それは私の不徳の致すところだろう。だがな、今だけの恋愛によって将来あるはずだった希美の目標が絶たれたとき、それを後悔するのはほかならぬ希美自身だ。違うか?」

「……」


 答えられなかった。反論することができなかった。

 そうだ。

 私は、ずっと努力を続けていたものを一時の感情に流されてないがしろにしていた。

 でも、先輩への感情だって、すごく大きなものだった。

 だから、先輩への気持ちが大きくなってしまったとしても仕方がないじゃないか。


「なあ、希美」

「……なに?」

「本気で希美が彼のことを愛しているのなら、もっと先を見据えて、自分のこともしっかりとこなすべきだったんだ。希美はそれができなかった。違うか?」

「……」


 そうだ。そうだそうだそうだ。

 私はバカだ。

 私がしっかりしてなかったから、先輩も別れる道を選ぶしかなかったんだ。

 私は黙って父さんに背を向けた。

 父さんが悪くないことを頭で理解していても、ほかの方法があったんじゃないかという甘い気持ちから、謝罪の言葉は飲み込んでしまう。

 言えない。

 言いたくない。

 そのまま部屋を出ようとした私に、父さんは優しく言葉をかけてきた。


「希美の人生は希美のものだ。もしかしたら私は出過ぎたことをしてしまったのかもしれない。すまなかった。だが、そんな私の行動で自分の気持ちを偽るのだけはやめてほしい。……私が思うのはそれだけだ」

「……」


 そうだ。

 子供のように背を向けていても仕方がない。

 現実から逃避をしたところで何が変わるわけでもない。

 だから、そうだ。


「お父さん」

「……なんだ?」

「私、お医者さんになるよ」


 それが答えだ。

 先輩の愛にこたえる本当の答えだ。

 自分自身を裏切らない。

 それが答えで決意だ。

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