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 しかし、いの一番に口を開いたのは蟠桃で、

「まず、不意安は――真に残念な話になるが――本物だと思うぜ。こんな凄まじい時空操作が可能なのはこの世に此奴しかいないだろうし、それに、語られた狂信も、実に俺の知る不意安らしかったよ。

 また、同様の根拠によってイロハさんも本物と言えるだろうし、それぞれ冷熱の力を演じた煝煆や氷織も、治療や契約の力を見せた白沢や守谷も、……おや?」

「駄目だったんですよ、蟠桃さん。」彼が惑った隙に、黒野から、「そういう筋で追うと、自分黒野以外の全員があっという間に容疑者から外れてしまうんです。各自の信念だけでなく、氷織さんの演じた騒動によって、一挙に皆様の魔術が実演されてしまいましたから。

 こうなった場合皆様は、ならば黒野が『悪魔』なのだろう、と結論出来るのかも知れませんが、……しかし、自分黒野は当然自分黒野が『悪魔』ではないと知っているので、そっちに流れることは出来ませんでした。」

 成る程ね、と面白そうに蟠桃が返して来た後、

「つまり、黒野塔也の立場から推理する場合、この中に居る筈の『悪魔』は、皆様の知る彼或いは彼女本人と、全く同じ力や知識を持っていることになるのですよ。……しかし蟠桃さん、その様な話は、『悪魔』の行う変化の性質からするとおかしいのでしたよね?」

「ああ。姿や声質なんかは真似られても、内面まで複写出来る筈はない。精々が、良い演技や模倣に留まる筈だ。……だからこそ、俺は宗論に拘泥してみた訳だったが、」

「ある種、正しかったのだと思います。蟠桃さんのその方針によって、可能性を一つ絞り外すことは出来たのですから。」

 彼にしては珍しく、自分の書生を窘めるような顔つきから、

「で、黒野君。そうして外れた可能性とやらは、具体的に何なんだね? つまり君は、『悪魔』は、俺達の知っている本物の人物像を完全に持っている、と主張している訳だが、それを認めつつ、かつ、破綻しない話がこの場で有りうるのか?」

「簡単じゃないですか、……『悪魔』の変化は、きっと、今日昨日行われたと言う訳ではなかったのですよ。」

「では、暫く前からだったと?」訝しげなイロハ。「その場合でも、『悪魔』へすげ変わった『初日』は生ずる訳で、結局、何故その日に誰へも露顕しなかったのかと言う疑問は潰えませんが、」

「ですので、こう言うのはどうでしょう? そもそも、その『悪魔』である人物は、……皆様との初対面から、より言うなら、、ずっと、『悪魔』であったのです。」

 イロハがぎょっとする一方、蟠桃は一転怡然いぜんと手を叩いて、

「成る程ね黒野君、それは面白い! つまり、俺達はてっきり、今直面している情況が『知人へ変装した悪魔が出現した』というものだと思っていたが、もしかすれば、『そもそもその知人は最初から悪魔であった』のかも知れんのか! 確かに、もしもそうならば宗論や魔術の伎倆で『悪魔』を見抜こうとしても、全くの無駄だった訳だよ。そもそも世や俺達に知られていた人格そのものが、『悪魔』当人のものであったのならな!」

 場が、命の取り合いではなく論議へと移ったことで、不意安やイロハへ実力の及ばないらしい蟠桃も、水を浴びたように活き活きとし始めていた。

 そういう訳で、煝煆も幾らか元気となり、黒野の後ろから、

「しかしだ塔也、ならば、どうすればいいというのだい? 差違によって『悪魔』を見出せないのならば、我々はどのようにすればよい?」

 黒野は、一旦息を飲んでから振り返ろうとしたが、しかし躊躇い、結局、彼女へは背を向けたまま、

変化へんげ以外の、『悪魔』の特性を攻めるしかないでしょう。つまり、我々のような五官を持つのではなく、物事に纏った感情や記憶を読み取るのだ、という性質です。」

 ここで氷織が、知恵を絞っている際の自然な振る舞いなのか、寛然と、頭の蛇を海藻の如く立ち上らせつつ、

「しかし、確か蟠桃が述べておりましたが、その筋の検証は事実上不可能だったのでは? もしも『悪魔』だけが何かを読み取れないのならば、全員を試験するのみですが、しかし実際には逆で、『悪魔』が世界を把握する能力は、全ての情況において人間――や私――のそれを凌駕すると言うのですから。

 つまり、その筋で『悪魔』を指弾する為には結局、その者が人間程度にしか世界を把握出来ないでいる様子が、演技であると証明しなければならない訳です。しかし蟠桃の言っていた通り、何事かについて、出来ないことを演じきるのは比較的容易いことでしょう。例えばかつて、黒野さんの世界において、文字が扱えない振りをしないと生き残れなかったと言う悪夢の様な独裁国が有ったと聞いておりますが、その様な生存策がある程度には通用したのと同じ話では? 生き残る為ならば、『悪魔』も、それくらいの努力はして見せるでしょう。」

 黒野は、間に髪を入れず、

「ならば、同じくらい、生死に関わる情況を突きつければ良いのでは?」

 ムスリム夫婦の眉が寄った隙に、彼が続ける。

「生き残る為に、人間程度にしか物事を読み取ることが出来ないのを演じているのならば、別の緊急事態を突きつけて必死にさせればいいんですよ。飛べない振りをしている鳥でも、崖から突き落とせば飛翔するでしょう。」

 躍り上がっていた氷織の蛇共が、露骨にしなだれた。揺るぎない顔面と異なって随分素直だなと彼が思っていると、その口から、

「イロハの言ではないですが、……そんなことがまともに可能なら、どれ程良いでしょうね。必死な情況にさせれば本性を現すだろう、だなんて、貴男の世界の魔女裁判、川へ叩き落とすなり火へべるなりした挙句、魔女ならば力を見せるだろう、などと論じたそれと同じ愚かさではないですか。濡れ衣であった場合に致命的となるならば、それは、審理手順として成立しません。」

「別に、そこまで直接な命の危険に晒される必要は無かったと思います。例えば、」

 そこまで述べると、彼は、一旦大きく息を吸ってから、良く、前を見据えつつ、

「例えば、……船旅に出たら、不穏な無線が本国から飛んで来て大騒動になった、というのはどうでしょうか?」

 

 彼の一世一代の科白を聞くと、訝しげ、頼もしげ、興味深げ、種々の情感を双眸に託して、皆が黒野を睨み付けた。明らかに見縊られていた自分にとっては望外の注視に、彼は励まされるように、

「つまり、今の、この情況ですよ。この、『悪魔』騒動自体が、必死な情況なんです。そんな事態下であれば、『悪魔』は一杯一杯になって、うっかり尻尾を出しても良かったと思われませんか?」

 馬鹿げている!、そう、絶叫したのは、氷織の影に佇んでいた白沢である。

「聞こえだけは良い、お美事な論理立てですがね、しかし余りに愚かな撞着を起こしていますよ黒野さん! この情況において『悪魔』が尻尾を出していないからこそ、我々は現に困っているのです! そんな、上っ面だけの良い論理振り回しても、」

「確かに、そうです。恐らく『悪魔』は、言うなればしまっているでしょう。『悪魔』探しが始まった、不味い、いつも以上に完全に人間を演じねば、と、

 ……ですが、どうでしょう。『悪魔』は落ち着いてしまったかも知れないですが、しかし、当初、情況の起こり始めた瞬間は、混乱していた筈だったのでは? 事態の勃発した瞬間やその直後であれば、人間らしく振る舞うことに気合を入れるのが正解だと把握出来ず、軽率に、或いは必死に、寧ろ『悪魔』ならではの把握能力を積極的に用いてしまっても、おかしくなかったでしょう。」

 彼の論理によって感心したように白沢は黙り込んだが、しかし黒野は、このムスリムのことなど全く気にも留めていなかった。次に吐かねばならぬ、言葉に緊張していたのである。

「そうですよね、……煝煆さん。」

 彼は、振り返ることが出来なかった。あれほど自分を護ろうとしてくれていた彼女が、今、果たしてどんな顔をしているか、想像だに恐ろしかったのである。

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