言葉よりも

山田あとり

言葉よりも


 蝉が嫌い。


 軽率に何かを嫌いなんていうと角が立つことも多いからあまり口にできない言葉だけど、蝉なら嫌っても許容される。たぶん。

 路上で突然バタバタジジジジ、てされたこと、みんなあるでしょう。

 だから、蝉は無理。




 夕方まで、台風がきていた。

 うちの辺りはそんなにひどくならなかったけど、それでもザアザア降りだったし風も強かった。

 嵐は暗くなる頃に通りすぎていった。


 その夜、窓の外でミミミミビビビビ、て音が響いた。

 何かと思ったら、それからミーンミーンミーン、て言い出した。


 えええ。蝉?


 そこら辺の木で、羽化したのがいたんだ。

 嵐の去った夜でまだ湿度も高いだろうに、懸命に羽を伸ばして震わせて乾かしている、羽化したての蝉。

 どのタイミングで土から出てきたんだろう、たくましいな。


 それにしても夜に蝉は、ちょっとうるさい。

 でも蝉の声は、わりと好き。

 ジージー、とか。ミンミン、とか。一番綺麗なのは、カナカナカナだと思うんだけど。

 夏の音だな、て思えて、好き。




 台風一過の今日は暑いけど、家にいてもつまらないから外に出た。駅の近くの市立図書館まで行こうと思う。


 本はいい。

 言葉のかたまりだけれど、人が口にする言葉より大人しい。


 人の言葉は衝動的で唐突で不用意で、偽善と保身に満ちていることも多いから、時に私を傷つける。

 私の言葉も、きっと誰かを傷つける。


 本の言葉はただそこにある。

 求められるまではひっそりと眠っているけど、ページをめくれば静かに語ってくれる。押し付けがましくないところが私には嬉しい。

 本に潜む彼らは優しい。


 私は話すのが得意ではない。何も考えていないわけじゃないけれど、口に出すのは苦手だ。

 本は、私が安心していられる相手だった。



 アスファルトの照り返しが暑い駅へ向かう道で、向こうから知っている女の子が歩いて来た。中学校の同級生だった。今は私とは違う私立高校の制服を着ている。

 夏休みなのに、部活か何かかな。

 お互いに歩いて近づいて、どうしようと思った時、視線が合った。

 彼女は二秒ぐらい私を見つめながら歩き、そのままフイとすれ違った。

 私も、何も言えなかった。



 彼女は、私にしては話ができる同級生の一人だった。向こうがどう思っていたのかわからないけど。


 彼女と私は同じ県立高校を受験した。

 私は合格した。でも合格発表の日、学校に合否報告に来た彼女は、泣き腫らした顔だった。それを見て、私は何も言えなかった。

 だって何を言えばいいの、私は合格しているのに。


 私は受け入れられた。

 彼女は拒否された。

 そんな時に私の側から何を言っても傲慢になる気がして、私は黙りこんだ。それ以来、彼女とは話せなくなった。そしてそのまま、卒業した。



 どうすればよかったんだろう。時々考えていた。

 一度こうして無言ですれ違ってしまったんだから、もう話すことはないのかも。

 どうせ、学校も違うんだし。

 たんなる同級生なんてそんなものだよ、仕方ない。

 そうは思うけど、喉のつかえが取れない。



 私は図書館で本を借りて帰り、それに没頭することで息苦しさをやり過ごした。

 窓の外では、ミンミン蝉が今日も元気だ。





 この間読んだ小説が思いの外おもしろくて、続きを借りに図書館へ行った。

 幸いにして書架にあったので、ホクホクしながら外に出る。鈴懸の街路樹が並ぶ道を帰ろうとするとまた、先日の彼女が向こうから来るのが見えた。私の胸はシュンと固まった。


 どうしよう。

 また目があって、顔をそむけ合うのは嫌だ。


 私は気づかないふりで借りたばかりの本を取り出し、冒頭をパラパラめくった。いかにも読むのが楽しみで仕方ない、というように。

 彼女の顔を見ずに、すれ違いかける。


 ジジジジッ!


「キャッ」

「ひゃっ」


 私達の足元で蝉がもがいて、二人同時に小さく悲鳴をもらした。反射的に本を抱きしめて顔を上げると、彼女と目が合った。

 あ、と思ったけど、なんだかおかしくなって私は吹き出した。そしたら彼女も笑った。


 ジジジジ、ジジジジ。


 蝉はまだ、アスファルトの上でじたばたしている。いくら木陰とはいえ、それはもがきたくもなるだろう。熱いよね、辛いよね。

 でもありがとう。おかげで彼女と笑い合えた。


 笑いを納めた彼女は私を真っ直ぐに見て、口角をきゅっと上げた。

「じゃあね」


「じゃあね」

 私は同じように真っ直ぐ彼女を見た。



 またね、とは言わない。

 学校も違うし、接点も用事もなくて、もう二度と会わないかもしれないのだから。

 それでも私の胸は軽くなっていた。


 たくさんの言葉を交わすより、ただ一瞬、同じ蝉に驚いただけ。

 ただそれだけのこと。


 蝉時雨の降る中を、私達はすれ違って別れた。


 この夏らしい音を、私はこれまでよりもっと、好きになったかもしれない。

 でもやっぱり。


 蝉は嫌い。

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言葉よりも 山田あとり @yamadatori

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