Chapter35. 戦争の始まり
蠣崎は、聞いたことがある銃声を耳にしていた。
―ダン!―
それは、セルゲイが愛用している狙撃銃、SV-98、Snaiperskaya Vintovka Model 1998の音だと記憶していた。
そして、望遠でよく見えないが、確かに周囲のビルの一つ、一番上に、スコープの光と人影が見えた。
その男の狙撃は正確無比で、反対側のビルの上にいた男を撃っていたようだった。
さらに、その銃声が公園から出てきたアンドロイドの胸を撃ち抜き、数体を瞬く間に機能不全に陥らせていた。
首相のリムジンは、それを見て出発し、無事に走り去って行った。
同時に、公園内では熾烈な戦いが続いており、人間の警察官とカムイガーディアンズ対アンドロイドの女性警察官の戦いが展開されていた。
だが、彼らにとっては、「朝飯前」なほどに手強くない相手だったのか。
物の数分ほどで、銃声は収まり、蠣崎が再び園内に入ると、多数の女性型アンドロイドが、無残な鉄の塊となって、煙を上げていた。
そんな中、社員たちが近づいてきた。
「楽勝ですねー」
シャンユエが、
「It's easy mission.」
エスコバーが、
「問題ありません。排除しました」
バンダリが、
「余裕っしょ」
JKが、それぞれ語っていたが、小山田だけは、
「狙撃で援護してきたのは、もしかしてセルゲイじゃないですか?」
と、ビルの屋上を睨んでいた。
だが、まずはこの事態についてが問題となる。やがて、警察官たちが集まる中、蠣崎は、ハッカーのエスコバーと、通訳の小山田を交えて聞いていた。
「一体、何が起こったんですか?」
と。
警察責任者と思われる、大柄な男が、
「わかりません。突然、アンドロイドの制御が効かなくなり、勝手に発砲を始めました」
と悲愴な表情で呟いていた。
蠣崎は通訳の小山田を通して、エスコバーに意見を聞くと、
「恐らくは、
との回答。
「クラッキング?」
「要はハッキングのことですよ。ハッキングという言葉は、日本語だけの特殊な言い方で、相手のコンピューターを乗っ取るような手口は、海外では一般的にはcrackingと呼ばれるのです」
小山田を通して聞く、ハッカーのエスコバーの私見は以下の通りだった。
何者かが、アンドロイドのAIに侵入し、そのプログラムの制御ごと奪って、首相の攻撃に利用した、と。
確かにあの動きは、明らかに不自然で、それまで命令を忠実にこなしていた、兵士のようなアンドロイドが突如、裏切ったようにしか見えなかった。
だが、それなら、まるで予期していたかのように動いて、首相を身を挺して守った織田幸次郎の動きに説明がつかない。
どうも腑に落ちない、と蠣崎が考えていると、
「源田の仲間の仕業でしょう」
背後から声をかけられていた。
その声に聞き覚えがあった。
振り返ると、大柄な優男が立っていた。
「セルゲイ!」
警察官に捕らえられていたはずの彼だった。
やはりというべきか、蠣崎の「読み」は当たっていた。あの狙撃手は、セルゲイだったらしい。その手に、愛用のSV-98が握られていたからだ。
「お前。どうしてここに?」
当然の疑問ながら、これが「逃げた」ということになると、さらに厄介になってしまう、と蠣崎は危惧していた。
「逃げてきたわけではありません」
だが、先手を打たれていた。
「警察官と取引をして、一旦、この場だけ加勢に来ただけです。すぐに戻ります」
相変わらず、必要最低限の事しか口にしない、無口なセルゲイは、すでに戻ろうと踵を返していた。
その背に、蠣崎は問いかけていた。
「お前は、源田を殺すのか? 今でもまだ憎んでいるのか?」
「当たり前です」
立ち止まって、振り向いた彼の目が、怒りの炎に包まれたように、滾っていた。
「ターニャには。俺の妻には何の罪もなかった。あいつを殺さないと、妻は浮かばれません」
「気持ちはわかる。だが……」
言いかけた蠣崎の言葉を遮ったのは、意外なところから飛んできた言葉だった。
「待って下さい、社長。セルゲイも」
小山田だった。
「何だ、小山田?」
その問いには、答えず、彼女はセルゲイと向き合うと、不思議なことを尋ねたのだった。
「あなた。源田を襲ったのなら、その近くにザ・ロンゲスト・デイの社員の元・自衛隊員はいなかったかしら?」
「何だと。何故、お前がその名を知っている?」
もちろん、蠣崎が驚いたのは、彼女が「ザ・ロンゲスト・デイ」を知っていることだったが、考えてみればこの女は、元・警察庁のエリートだったと思い出す。そこにたどり着いても不思議はなかったが、実はさらに裏があるようだった。
「いた。コンピュータに強い男のようだった。名前は確か……」
「
「ああ」
その前に小山田が答え、セルゲイが首肯していた。
だが、
「天崎だと?」
蠣崎の脳裏に、ある光景が浮かんでいた。
2年前の2043年。まだ陸上自衛隊普通科連隊に所属していた蠣崎がいた部隊に、その天崎という男がいた。
変わった男で、筋肉ムキムキの、筋トレマニアが多いような自衛隊では珍しく「頭脳派」で、頭の回転が非常に速く、理知的に物事を考えてから、行動する男で、蠣崎はよく覚えていた。
蠣崎より1つ年上の27歳のはずだ。
何故、小山田がその名を知っているか、はすでに聞くまでもないと思っていた。それほどまでに「警察」としての彼女は優秀なだけだと思ったからだ。
だが、それ以外の疑問は当然、湧いてくる。
「何故、天崎がザ・ロンゲスト・デイにいる? 確かに奴は、『事業を起こす』と言って、自衛隊を辞めたが」
天崎が自衛隊を辞めたのは、蠣崎とほぼ同時期。1週間ほど前だったからよく覚えていた。
だが、小山田は社長の蠣崎の方に目をやり、
「社長には、いずれお話をするつもりでした。後ほど詳しくお教えします」
何とももったいぶったような言い方で、相変わらず
「ありがとう、セルゲイ」
「ああ」
小山田の用事は清み、セルゲイはまるで服役する犯罪者のように、警察の元へと帰って行った。
一時的な、だが強力な助っ人として、セルゲイは加勢して、すぐに立ち去って行った。
蠣崎は、現場を離れ、一旦首相の元へと向かうことにした。もちろん、とっくに救急車は来ており、撃たれた織田は運ばれていた。
事態は、動き出そうとしていた。
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