Chapter33. 首相官邸

 その豪奢なリムジンは順調に道を進んでいた。


 乗り心地は快適で、一般的な車、そして先日の爆破事件によって、またも修理に出していた蠣崎のエルグランドに比べ、ほとんど揺れがない、快適な乗り物だった。


 その日は平日で、午後2時を回っていたから、道はそれほど混んではおらず、高速道路を使って、1時間ほどで、霞が関インターチェンジを降りた。


 車窓からは、物々しいほどの警察官の姿が目立つようになる。

 そんな中、リムジンは一般人が立ち入ることができない、バリケードの中に入って行った。


 降りた先には、ガラス張りの豪華な建物があった。


 いくら警察組織が腐敗したとはいえ、一国のトップが政務を取る場所だ。さすがにここの警備体制は万全で、多数の警察官に守られ、バリケードが築かれてある場所もいくつかあった。


 パトカーや護送車のような車も停まっている。


 織田に案内され、彼らは警察官が敬礼をする中、この豪華な建物に入る。


 もちろん、入る前に、警察官には全ての持ち物を厳重にチェックされ、武器一般は全て取り上げられる。

 シャンユエがいつも身に着けているナイフはもちろん没収されていた。


 中は、随分と豪華なもので、いかにも金がかかっているような、大理石を使った内装は見事だったが、それより蠣崎は、軍事面ですぐに気づいていた。


(防弾ガラス。厚さは数センチといったところか)

 この首相官邸に用いられている窓ガラスの全てが、厚さ数センチはあると思われる防弾ガラスで守られ、さらに燃料電池による発電や熱供給システム、太陽光発電や風力発電などの設備、もちろんインターネット回線も常備されており、緊急時には避難できる核シェルターまであるという噂だった。


 そんな中、彼らが招かれたのは、一般的には、首相が閣僚と会う時に使う、大規模な会議室ではなく、小さな会議室のような場所だった。


 その、一般住宅にはとても見えない、国の中枢の「家」の4階に、その会議室はあり、そのドアの前で織田はノックをした。


「失礼します。カムイガーディアンズをお連れしました」

「どうぞ。お入り下さい」


 思ったより、若い声に聞こえた。


 蠣崎がそう思って、織田に従って、中に入る。


 広さは20畳近くある大きな部屋で、蠣崎のような貧乏性には、とても「くつろげる」部屋の広さには感じないくらい広いのと、内装が豪華すぎて落ち着かないとすら思えていた。


 広々とした室内には、豪奢なソファーにテーブル、花瓶、大型モニター、ノートPCなどが並んでいた。


 そして、テーブルの前のソファーに座っていた女性が、立ち上がって笑顔を見せて近づいてきた。


 テレビで見たことがある、千本木真琴首相は、52歳には見えないくらい、若々しくて、綺麗な印象を抱かせる女性だった。

 身長は160センチ前後で、細身。セミロングの髪は艶やかで、紺色のスーツを着て、丈の長いスカートを履いていたが、ネクタイはしていなかった。


 代表して、社長の蠣崎が近づき、

「カムイガーディアンズの蠣崎です」

 と挨拶をすると、彼女は握手を求めてきたため、手を握る。


 細い手で、力もなく、これが一国の舵取りをする首相の腕か、と思って不安になるくらいに華奢だった。


「千本木です。ようこそ起こし下さいました。おかけ下さい」

 思いの他、優しそうな印象を抱かせる、ともすれば「頼りない」と思わせるような女性首相に導かれ、彼らはソファーに腰かける。


 千本木首相は、事務官の織田に、

「コーヒーを」

 と告げた後、彼らに向かい合って、じっくりと見回した後、鋭い一言を放っていた。


「多国籍ですね。中国人、ネパール人、コロンビア人。それに今はいないそうですが、ロシア人ですか」

 調べられている。政府の機能を使えば、簡単に身元はわかるだろうが、カムイガーディアンズはすでに政府に「目をつけられている」存在でもあるらしかった。


「はい。これからの日本を守るのは、日本人だけとは限りません」

「そうですね。私も、日本を守るのは、日本人だけとは限らないという意見には賛成です」

 意外なところで、蠣崎と首相の意見は一致していた。


 そして、その根拠の裏側にある物に、彼は気づかされることになる。


 織田が、人数分のコーヒーを持って、再び室内に現れ、その後また退室する。

 蠣崎は内心、思った。


(不用心だ)

 と。


 仮にも一国の首相だろう。なのに、護衛もつけずに、彼らに会っている。いくら武器を取り上げられているとはいえ、この人数だ。

 やろうと思えば、簡単に首相を人質にすることだってできる。


 そのことを危惧して、

「我々と会うのに、護衛なしで大丈夫ですか?」

 つい探りを入れたくて聞いてみたら、さすがに小山田には睨まれていた。


 だが、千本木首相は、笑顔のまま、

「私に何かするつもりですか? 仮に私を人質に取っても、あなたたちはこの首相官邸からは生きて出られませんよ」

 と言ってきたため、蠣崎はようやくこの首相の覚悟の程度を認識していた。


 つまり、今、ここで仮に蠣崎たちが首相を人質に取っても、全員射殺されるだろう。それも躊躇なく「る」ことを、彼女の言動は示唆していた。もしかすると、すでに「狙撃」地点に部下を配置しているのかもしれない。

 底知れない恐ろしさを彼女は持っていた。同時に彼女自身が、自らを犠牲にする覚悟があるのかもしれないと思った。


「失礼しました。少し確認したかっただけですので、どうかお気を悪くしないでいただきたい」

 蠣崎が素直に「負け」を認めると、彼女は、持ち前の明るさで、


「構いませんよ」

 と笑っていたが、すぐに気を取り直して、話を始めるのだった。


「織田から伺っていると思いますが、8月15日の終戦100年式典を前にして、メディアを呼んで、その開催の趣旨などを説明する回を開きます。そこで、あなたたちには護衛を頼みたいのです」

「かしこまりました。それは構いませんが、脅迫状を送ってきた犯人に何か心当たりはございますか?」


「そうですね。株式会社ザ・ロンゲスト・デイという名前に何か心当たりは?」

(またか)

 その名前を最初に聞いたのは、元・恋人の美希の口からだったが、事あるごとに名前が出てくる、不気味な存在でもあったから、蠣崎は、頷きつつも、警戒の色を解かなかった。


「確証はありませんが、警察官僚からの報告だと、彼らが関わっている可能性があるとのことです」

「当日の体制、配置図などはどのように?」


 蠣崎が質問をすると、首相は手元にあったノートPCを操作して、大型モニターに内容を映した。


 そこには、当日の警備体制図が一目瞭然に見て取れるのだった。


 かつて、首相が暗殺された時には、大抵後ろが空いていたり、何らかの油断があった。


 だが、ここで彼女が示したものは。

 背中を壁にして、周囲180度をよく見渡せるような環境。そして、その180度の四隅に警察官を配置し、裏側には自衛隊員まで配置していた。それも表向きには、警戒されないために自衛隊員であることを伏せて。


(完璧なまでの警備だ)

 と言わざるをえないが、それでも隙はあるし、この「完璧」とは日本という国においてのみ言える。


 事実、アメリカの大統領を守るシークレットサービスなどは、大統領が狙われた場合、自らの身体を盾にして、大統領に覆いかぶさり、その身を守ると言われている。


 日本の警察官にそこまで出来るかは、甚だ疑問が残る。


 そこで、彼らの出番となる。

「あなたたちが、具体的に、この警備体制の中で、どこに人員を配置するかについては、お任せします」

「かしこまりました」


 蠣崎が頷くと、彼女は満足そうに微笑んだが、次の瞬間、興味深いことを口走るのだった。


「私は、一度あなたたちに会ってみたかったんですよ」

「そうなんですか? どうしてですか?」


「だって、日本初のPMSCでしょう。興味深いですし、これからの我が国には、あなたたちのような抑止力が必要なんです」


 そこで、首相が語ってくれた「自論」が面白いものだった。


 彼女の父は、21世紀初頭に活躍した政治家で、外交官だったらしいが、その立場から彼女は幼い頃から、「世界」を見てきたという。


 そんな中、感じたのは、日本という国の「危機感のなさ」だったという。平和ボケと言い換えてもいい。

 他国では、もちろん軍隊があり、いざという時には、「国防」に動くが、一見すると、「憲法9条」によって、「戦争をしない平和な国」とされている我が国は、悪い言い方をすれば「戦争ができない国」になっていると思ったのだという。


 永世中立国として有名なスイスにも、父の仕事の関係で住んでいたことがあるという彼女は、そのスイスでは、軍隊がしっかり整備され、徴兵制もあり、各個人宅に武器や核シェルターまであることに衝撃を覚えたという。


 さらに、スイスという国は、四方を山に囲まれているため、もし他国から「侵略」を受けた場合には、国境に通じる全ての道路を即座に封鎖し、場合によっては、橋ごと落とすことが出来るようになっているという。


 また、かつて大国のソ連に侵略され、それを少数の兵で迎撃した、北欧のフィンランドでも、しっかりした軍事が生きているらしい。


 つまり、「有事」の際に、いかに動けるかで、国は左右されるというのが、彼女の持論でもあり、海外での経験から学んだことだった。


「日本は100年前に戦争に負けてから、一切の武器を捨てて、平和になりました。それはそれでいいことですが、その平和を守るためには、武器が必要なのです。矛盾してますが」

 その一言は、これからの彼らの在りようを決定づけるような、不思議な助言となる。

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