Chapter21. 小山田紗希子

 本社に帰って、真っ先に関水、いや小山田だけをわざわざビルの屋上に呼び出した蠣崎。


 もちろん、彼女自身に本来の目的を聞き出すためだが、非喫煙者である彼女が、ビルの屋上に来ることはまずない。


 加えて、喫煙者のシャンユエとセルゲイには、しばらく屋上には来るな、と厳命しておいた。


 結果として、二人きりの状況を作り、彼は約束の時間より早く屋上に着いて、愛用の紙タバコをくわえて、吹かした。


 まもなく、屋上へと続く鉄の扉を開けて、彼女が姿を現した。


 いつものような紺色のスーツを着て、下には膝上あたりのスカートを履いている。

「社長。何か用ですか?」


 近づいてくる彼女に、蠣崎は最もわかりやすい手口で、正体を暴露する。

「小山田」

「はい。あっ」


 そう。人間はいくら偽名を使って、それに慣れていたとしても、咄嗟に本名を言われると反応してしまう。

 これで、彼女の経歴が嘘だったことがすべてバレた。


「やっぱり偽名だったか。小山田紗希子。もう調べはついている。何が目的で俺に近づいた?」

 タバコを右手で持ちながらも、残った義手の左手でいつでも銃を抜けるように、抜け目なく蠣崎は構えていた。


 しばらく沈黙があったが、観念したのか、小山田は小さな溜め息を突いて、口を開いた。

「もうバレたんですね。意外と早かったですね。シャンユエとエスコバーがいなくなったからおかしいとは思ってたんですが、こういうことだったんですね」

「そんなことはどうでもいい。お前の目的は何だ?」

 若干、棘のある口調で、蠣崎は苛立ち気味に言葉を飛ばす。


 すると。

「あなたのお父様から何か聞いてませんか?」

「親父から? いや、あいつは結局、はぐらかすだけで教えてくれなかったが」


「まあ、隠しても仕方がないですが、表向きは『監視』と言っておきましょう」

「表向きは、ね」

 やはりこいつには何か「裏」があるという蠣崎の勘は間違えてはいなかった、と彼は確信する。


「じゃあ、裏は?」

 そんなことを馬鹿正直に話すわけがない、とわかっていながらも、聞かずにはいられなかった。


 しかし、

「それは、内調の守秘義務でもちろん言えませんが」

 と断っておきながら、彼女が指さしたのは、蠣崎の左腕だった。


 義手になっており、過去の不幸な事故により、失った、人工の腕。

 それを指差しながら、

「あなたの失ったその左腕。それがヒントです」

 とだけ言って、不敵な笑みを浮かべてきたが。


(まったくわからん)

 蠣崎には、もちろん思い当たることなどない。

 何しろ、あれはただの演習中の「事故」だったのだから。


 不思議なことを言う奴だと思いつつも、まったく身に覚えのない蠣崎は困惑した表情を浮かべていた。


「しかし、内調のスパイが俺に張り付いてたら、安心して仕事ができんのだが。要は政府のイヌのお目付け役だろ?」

 その刺々しい言い方にも、彼女は眉一つ動かさず、いつものように冷静さを保っていた。


「言い方は酷いですが、その通りです」


「ただ、あなたが真っ当まっとうなら、今のところ政府は敵には回りません」

「真っ当なら? どういう意味だ?」


 再び沈黙が流れる。短くなったタバコの先を灰皿に押しつけて、火を消すと、蠣崎は胸ポケットから2本目を取り出し、口にくわえて火をつけた。


「考えてもみて下さい。日本は戦後100年もの間、ずっと平和で通ってきたんです。諸外国に比べて、治安がいいのがこの国の誇りだったんです」

「それはわかるが、それと何か関係があるのか?」


「大ありですよ。多少治安が悪くなったとはいえ、その平和な日本に、『武器を許可された』PMSCが出来たんですよ。それを政府が見過ごすわけがないでしょう」

 そうは言っていたが、彼女の言動には一つだけ「嘘」があることを、蠣崎は見抜いていた。


「政府ではなく、が、だな。お前、元は政府関係者じゃなく、警察組織の人間だな」

 シャンユエが調べ、そして父の宣浩が言っていたことを思い出していた。つまり、内調には警察からの出向者が多い。父が警察関係者の美希によれば、彼女は「警察関係者らしくない」だそうだが、そんなのは、いくらでもカモフラージュできるだろうし、逆に言えば、それだけ彼女が優秀ということになる。


「さすがですね。その通りです」

 蠣崎の口から、溜め息が漏れていた。


 政府どころか、警察からも目をつけられているわけだ。

 もっとも、武器の使用を認められた時点で、この平和であると信じられている日本では、この辺りのことは予想すべき事態でもあった。


 それだけ、「暴力」という力には、日本社会は戦後から異様に過敏になっているし、それが今でも続いているのだ。


「警察庁刑事局組織犯罪対策第一課。それが本来の私の所属です」

 彼女はあっさりと正体を暴露していた。そのことに多少の驚きを隠せない蠣崎だったが、


「警察庁? 具体的には何をしている?」

「我々の主任務は、いわゆる組織犯罪に対処することですね」

 彼女に聞いてみると、だんだんと意外な真実がわかり始めたのだ。


「組織犯罪?」

「暴力団、マフィア、麻薬カルテル。そう言ったものをターゲットにして、活動するのが我々の主任務です」


「ちょっと待て。それで何で俺の監視になる? 言っておくが、俺はそう言った組織とは一切関わりはないぞ」

 真っ先に疑われていることを自覚した、蠣崎は慌てて訴えるが、小山田は口角を上げて、笑顔を作った。


「わかってますよ、社長。ここ数か月、あなたを見ていて、あなたがそういう人間ではないことはわかりました」

「だったら、何故?」

 食いつくように、畳みかける蠣崎を、小山田はいなすように、しかし重い事実を明かさないように慎重に答えを返してきた。


「そこは守秘義務があるので、言えませんが。さっき言ったように、その左腕がヒントです」

 そこで、再び溜め息をついた蠣崎が、タバコの先の灰を灰皿の上に落としたところで。


 おもむろに気配がして、屋上へ続くドアが開かれた。

 そこにいたのは、シャンユエだった。


 ここに来るな、と言い含めていたはずだが、彼女は細い目を、ギラギラと輝かせて、つかつかとこちらへ歩いてきた。


「シャンユエ。ここに来るな、と言っただろうが」

 さすがに驚いて、彼女を問い詰める蠣崎に対し、


「ごめんなさい、社長。でも、そいつを調べた以上、私にも聞く権利はあると思いまして。こっそり聞いちゃいました」

 彼女は、彼に対しては、打って変わって笑顔で答えてみせたが、次の瞬間、先程のギラギラした瞳を小山田に向けて、凄むように喧嘩腰に口を開いた。


「道理で、あんたとは合わないと思うわけだ。私、警察とは昔からソリが合わないんだよね」

「奇遇ね。私も中国人とはソリが合わないわ」

 しかも、売り言葉に買い言葉で、同じように反論している小山田。まさに一触即発の雰囲気になっていた。


 聞いてしまったものは仕方がないし、彼女の主張にも間違いはない。だが、この険悪な雰囲気だけは、社長としてはいただけないものがあった。


「どうでもいいが、喧嘩はするな」

 とだけ一応、言い含めるしかない蠣崎だったが、


「社長。こんなスパイ女のことは放っておいて、私と付き合いしょうよ。今夜、お酒でも飲みに行きません?」

 ちゃっかりシャンユエに逆ナンされる有り様だった。


「いやいや。お前は飲んでる時に、後ろから刺すだろ?」

「そんなことしませんよー」

 だが、不思議と彼女は、最初は刺すと言っていた割には、最近はほとんどそういうことをしなくなっていた。


「何で最近、俺のことを襲わないんだ? 最初は殺すと息巻いてたくせに」

「それはですねー。殺すのはいつでも出来ますから。せめて、社長と『いいこと』をしてから殺したいなって」

 「いいこと」を強調する24歳の中国人美女。男としてはもちろん、悪い気はしないし、その「いいこと」を想像してしまうのだが。


「随分、人間らしくなったじゃないか」

「いや、人間ですよ、最初から!」


 こうして、二人でいちゃいちゃしているように見えるやり取りが、気に入らなかったのか。それとも嫌気が差して飽きたのか。

「社長。用はそれだけですよね? 私、戻ります」

 そう言って、小山田は踵を返して、ドアの方に向かうのだった。


 その背中に向かって、蠣崎は、呼びかける。

「小山田」

「はい?」


「お前のこと、信じていいんだな?」

 スパイ疑惑がある女にかけるべき言葉ではない、とわかっていながらも、彼はそう聞いてみたい衝動にかられていた。


「それはあなた次第ですね」

 振り返った、その表情は、蠣崎を試しているようでもあり、吟味しているようでもあり、掴みどころがなかった。


「いけ好かない奴」

 その小山田に聞こえないくらい小さな声で、しかし蠣崎には聞こえるように、シャンユエは呟いていた。


 こうして、関水改め、小山田紗希子が正式に加わることにはなったのだが。彼女の真意はわからないまま、事態は急変する。

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