Section4. 彼女の正体

Chapter19. 後顧の憂い

 蠣崎は、考えていた。


 もちろん、「関水葵」についてだった。

 当初から、彼は彼女には「気を許して」いない。年齢も経歴も、名前すらも怪しいと見ていた。


 その理由については、まったく心当たりはなかったが。


 久しぶりに、元恋人の北大路美希と接触したことで、彼は「後顧の憂い」を断つことを決意する。


 つまり、「敵か味方かもわからない」奴を近くに置いておくと、いずれ裏切るかもしれないし、それが最悪のタイミングで発生すると、命に関わる。


 蠣崎は、美希に「関水」のことを調べるように、密かに頼み込み、そして頻繁に連絡を取っていた。


 幸い、今のところ、大きな依頼は入って来ておらず、カムイガーディアンズの社員たちは、訓練を中心に日々を過ごしていた。


 もちろん、関水には、このことを気づかれた形跡はない。


 1週間後。


 蠣崎は、社員には「武器商人との大事な打ち合わせがある」と、嘘を告げ、密かに美希に会うために、再び彼女の会社がある恵比寿に向かった。


 もちろん、彼の携帯の通知に、美希からのメッセージが入っていたからだ。


―彼女について、話がある―


 と。


 早速、前回と同じように、IT会社にカムフラージュされた、ホワイトカトレア本社に向かい、前回と同じように受付で告げて、社長室に向かった。


 ノックをして、入ると。


 美希は、その日は洒落た白いブラウスをつけて、紺色のタイトスカートに、薄手のジャケットを着ていた。

 どこかOL風の格好に見えた。

 しかも、普段はかけないはずの眼鏡までかけていた。


 確か、蠣崎の知る限り、彼女は目が悪くはないはずだから、伊達眼鏡だろう。


「来たぞ」

 とだけ告げると、前と同じようにコーヒーを淹れてくれた、美希がテーブルを挟んで反対側のソファーに腰かけた。


「で、わかったのか?」

 もちろん、聞くことはそれだけである。


 しかし、彼女は、首を横に振った。

「わからないのか?」


 若干、不機嫌な表情になった蠣崎を察したのか、美希は静かに声を出した。

「正確にはね。ただ、一つだけ確実にわかったことがあるの」

「何だ?」


 プラスチックのコーヒーカップを一度、テーブルの上に置き、彼女は穏やかだが、しかし同時に鋭い声で告げるのだった。

「過去にも今にも、自衛隊に『関水葵』という隊員はいないってこと」


「やはりか」

 何となくだが、蠣崎の中でもそれは、予想していた。彼女の経歴自体が嘘だと。そもそも、彼女は「自衛隊員」の女子らしくない。いや、それどころか、自衛隊員らしくないからだ。


「じゃあ、DIHあたりか?」

 DIH。Defense Intelligence Headquarters。「情報本部」と訳される、防衛省の情報部門組織である。蠣崎は真っ先にそこを疑っていたが。


「ううん。違うと思う」

「まさか、公安か?」

 公安。警視庁警備局公安課と呼ばれる、一種の警察の秘密情報組織であり、元々は、極左暴力集団や、右翼団体の捜査を行う。


 ところが、美希は、伊達眼鏡のフレームを左手で触りながら、不敵な笑みを浮かべた。


「忘れたの、宗隆? 私の父は警視庁刑事部の課長よ」

 そうだった。彼は思い出した。美希の父親は、現職の警察官で、しかも立場的には、確か警視正という結構上の地位にいるはずだ。

 その父のツテを使えば、警察から公安への情報を探ることも出来るのかもしれないが、素人の蠣崎には無論、わからない。


 だが、美希ははっきりと口にした。

「公安ではないわね」

「どうして?」


「動きが全然、警察官っぽくない」

 それだけでわかるのか。いや、そもそも彼女は関水とそんなに接触していないはずだが、もしかして尾行でもしていたのか、と疑うほど、美希の動きは蠣崎には読めなかった。


 だが、不思議と彼女の言うことが、外れたことは今まで一度もなかったことも思い出していた。


 ならば、と蠣崎は次の手を打つことにする。

「じゃあ、もしかして『政府関係者』か?」

 当たりをつけていた、いくつかの「予想」のうちの一つがそれだったが。


 彼女は、蠣崎の目を見て、小さくだが、頷いた。

「そうね。その線が一番ありえそう」

「マジか。よりによって、政府から目をつけられてるってのか?」

 天を仰ぐ蠣崎に対し、しかし元・彼女の美希は、ケラケラと明るい声を上げて笑い出した。


「何を今さら。大体、PMSCなんて、日本の歴史上なかったんだよ。そりゃ、おかみも警戒するでしょう」

「かもしれんが、政府系の諜報組織となると、厄介だな。まさか、公安調査庁じゃないだろうな。奴らだと面倒だぞ」


「それはわからないわね」

 と言って、彼女は手元のコーヒーを一口、飲み、そして、再び今度は、蠣崎を試すように口元に笑みを浮かべた。

 その笑い方を見て、すでに「嫌な予感がする」と蠣崎は直感した。


「ところで」

 彼女の目が、自信に満ちている。こういう時は、大体悪いことを考えている、と経験から蠣崎はわかっていた。


「関水葵のことを、もっと調べて欲しかったら、情報料を払ってくれないかな? そしたら、ウチのハッカーを使って、もっと調べてあげるけど」

 嫌な予感、的中だった。


 こいつは、仮にも、昔は付き合っていた、「彼氏」から金をふんだくる気か。だが、ここでおめおめと金を払うつもりは、蠣崎にはなかった。

 同時に、ここがIT企業で、「ハッカー」という単語を、彼女が使ったことで、蠣崎にも「策」が出来ていた。


「必要ねえ。一応、ウチにも優秀なハッカーがいるんでな。お前の思うようにはさせねえ」

「つまんない」

 あからさまに不服そうに、口を尖らせてしまうあたりは、子供っぽいのだが、それはともかく、確かに蠣崎の会社、カムイガーディアンズには「ハッカー」がいた。


 それも、関水自身が通訳をしてくれた時に、教えてくれたのだ。

 コロンビア人の、あのエスコバーだ。


 蠣崎は、一応、関水のことを調べてくれた礼を、美希に伝え、帰ることに決める。


 帰り際。

 二人きりしかいない、社長室の扉を開けようとしていた蠣崎の背中に小さな体が当たっていた。美希が後ろから抱き着いてきていた。控え目な胸が背中に当たり、腰に腕が巻かれていた。


「美希」

 戸惑うよりも、むしろ「この女、何を考えているのか」という感情の方が、蠣崎には依然として強かった。


「何か危険なことがあったら、言ってね。私は宗隆のことが心配だから」

 溜め息を突いていたのは、蠣崎の方だった。


「相変わらず『食えん』奴だな、お前は。JKを派遣したのだって、こっちの情報を盗む為だろう。その手には乗らん」

 ゆっくりと手を振りほどき、蠣崎は美希を引きはがすと、ドアを開けて去って行った。恐らく、美希は最初から、そのつもりで引き受けたのだろう。隙あらば、金を取ることを目論んでいる。彼女には昔から、妙にがめついところがあった。


「かわいくない奴!」

 美希の、罵声が後ろから響いていた。


(さて)

 帰り際に、蠣崎は、次の「策」を練る。


 頼るのは、この場合、ハッカーのエスコバーはもちろんだが、通訳として「関水」以外が必要になる。

(癪だが、シャンユエに頼むか)


 内心、シャンユエのことも警戒はしている蠣崎だったが、それでも警戒度で言えば、実は彼の中では、シャンユエの警戒度は関水よりも劣る。

 つまり、シャンユエには「蠣崎を殺す」という明確すぎる目的があるが、それ以外に関しては、非常に真っ直ぐで、純粋で、頼りになると思い始めていた。


 同時に、彼女は、最初ほど、蠣崎を殺しに、襲いかかってくることはなくなっていた。

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