第4話 凶器の在り処

 彼らのいる観客席からでも、うつ伏せになった唯人ゆいとの背中から、はっきりとナイフのつかだけが天井に向けて立っているのが見えた。犯人役を務めていた固泉かたいずみは、すでにナイフの柄から手を放している。

 あのナイフは、刺すと刃の部分が押し込まれるジョークグッズだったはずだ。あんな風に、背中に刺さったみたいに、ナイフの柄が立つはずがなかった。

「……柄の上部に、接着剤でも塗っていたのではなくて」

 桃園ももぞのはそう言ったが、声が震えていた。音響担当として演劇終了の音を鳴らすことも忘れ、ただ舞台上へと恐々と視線を向けていた。

「まだ? ――終わってるなら、音ちょうだいなの」

 照明を担当していた暗志木くらしきが舞台袖から顔を覗かせる。

 彼女の声が合図となって、舞台にいた固泉が「あ、あ……」と言ってくずおれる。

「え、何。何があったの。――え?」

 固泉に近寄った暗志木が、うつ伏せで倒れている唯人の異変に気付く。

 彼の着ていた白いシャツが赤黒く染まり、その中央――ちょうど心臓が位置する場所にナイフの柄が突き立っていた。

「救急車! 救急車なの!」

 その声にはじかれたように、桃園が一一九番にコールする。携帯を耳に当てながら、赤城あかぎと共に舞台へと上がってくる。

「――ええ、左胸を。――そうです。――息は、かすかに。――分かりましたわ」

 通話を終えた桃園が真剣な面持ちで、

「そのままの状態で、決してナイフを抜かないようにとのことですわ」

 ナイフを抜くと傷口から大量に出血して、ショック死する危険があるためだろう。

 重い沈黙が流れる。しかし遅かれ早かれ誰かが言わなければならないと思ったのだろう。暗志木が口を開く。

「ナイフは偽物だったはずなの。誰が本物にすり替えたの」

 唯人が舞台前に他の四人に見せたナイフは確かにジョークグッズだった。押すと刃先が引っ込むことはこの場の四人全員が目にしていた。

「俺じゃねえよ! 誰だよ、唯人を殺しやがった奴は!」

 赤城は未だ目の前の現実を受け止め切れていないのか、取り乱した調子で叫んだ。彼と唯人は幼い頃からの友達だった。唯人を学校の裏掲示板の集まりに誘ったのも、赤城だった。始めは乗り気でなかった唯人も、徐々にほかのメンバーと打ち解け、この殺人逃避劇を計画・実行するほどの仲になっていった。赤城は自分のせいで唯人がこんなひどい目に、という責任感に近いものを感じていたし、このメンバーの中に彼を殺そうとした人物がいることも信じられなかった。そういう様々な感情が彼の中で渦巻き、錯乱さくらん状態に陥る一歩手前といった風だった。

「落ち着きなさいな、赤城さん。まだ彼が死んだと決まったわけではありません。救急車もすぐに到着するでしょうし、ここでさわぎ立てても何の解決にもなりませんことよ。それよりも今は私たちにできることをしましょう。

 彼を刺した犯人が誰か。それを明らかにするのです。犯人さがしなど何の解決にもならない、とおっしゃるかもしれませんが、この状況では遅かれ早かれ警察が介入してくるでしょう。そのときに正しく説明できるようにするためにも、一度ここで事態を整理しておきたいと思いますの。誤った発言をして、変に疑われても困るでしょう?」

 桃園は、しっかりしなさいと自らの胸に言い聞かせ、湧き上がってくる恐怖を必死に押さえつけながら議論をリードする。

 誰からも反対の声は上がらなかった。思わぬ事態に直面して、反対する気力もない、と言ったほうが正しいか。

「順に整理していきましょう」

 桃園はそう告げながら、未だ呆然と座り込んで空虚の眼差しを浮かべる固泉を一瞥する。おもちゃだと思って刺したナイフが実は本物で、仲間を傷つけてしまったとなれば、放心状態になってもおかしくない。あるいは――と桃園は考える。

 固泉さんが今回の事件の犯人で、犯行を成し遂げたことで放心状態になっているという可能性も……。

 いえ、今は先入観を捨てて物事を客観的に捉えるのが先でしょうね、と桃園は話を続ける。

「まず彼に体に突き刺さっているナイフの出所についてです。このナイフに見覚えがある人はいますか?」

「唯人が固泉にナイフを渡すところ、見てなかったの。このナイフが、唯人が固泉に渡したものと本当に別の物なのか、そこをまずははっきりさせたほうがいいと思うの」

 確かに唯人の自作自演であった可能性も考えられなくはない。その場合、唯人は自ら死ぬことを望んでいた、ということになってしまうが……。

「暗志木さんの言う通りね。……実を言うと、私もしっかりとナイフを見ていたわけではないの。――どう、固泉さん。彼からナイフを受け取ったのはあなたですわよね。このナイフは彼からもらったものなの? もし違うなら、このナイフをどこで手にしたのかを教えてもらえないかしら」

 桃園に問いかけられても、依然として固泉は空虚な瞳を浮かべていて、何の反応も見せなかった。

「アンインストールがまだなの」

 暗志木の言葉で皆がハッとする。そうだ、固泉はまだ犯人役の人格プログラムをインストールしたままだった。この状況は固泉自身が放心状態というよりも、犯人役が犯行を終えたために活動を停止したと考えるほうが妥当だ。

 僕は樽石たるいし役をやるから、と言って事前に唯人から手渡されていたアンインストール用のチップを、桃園は固泉に手渡した。

 固泉は犯人役のチップを取り出し、代わりにアンインストール用チップを機械的な動作で上顎に差し入れた。しばらくして固泉の瞳に感情的な色が戻ってきたが、「あ、あ、……」とおびえたような声を出すばかりだった。

 そんな固泉を見て、赤城がつかみかかる。

「おい! いつまで黙ってるつもりだよ、固泉! このナイフはお前が唯人からもらったのか? どこにあったナイフなんだ? お前が準備して唯人を刺したのか?」

 固泉はゆっくりと赤城の顔に焦点を合わせて、

「……落ちてたんです、舞台の上に」

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