第7話 赤月の獣

【赤月の獣】


青色のピクセルが集まり、人が2人生成される。

「UFO来たーー‼」

「昨日ぶりだがな。」

私と楓翼くんは帰ってダイブの準備を整え、UFOの世界へやってきた。

元の世界はとっくに夜である。

「さてと、もうすぐ夏葉が落ちてくるはずだから迎えに行こうか、フウキ!」

「そうだな。泣きながら落ちてこないと良いがな。」

「そうだね。って、それ!私の事言ってる⁉」

ボケを言う楓翼くんに、それにちょっと怒る私。そんな2人でクスクスと笑う。

プレイヤーのスポーン地点から、落下する広場まではそう遠くない。

5分後。

「あっ、誰か落ちてきたよ!」

空に小さな点が見えて私が言う。

段々と大きくなり、それが黄土色の髪をツインテールにまとめた少女だという事が分かった。

「おーい!」

私は手で半円を作って口横に添えその少女を呼びながら、頭上で大きく手を振り、駆け足で近づく。

「ようこそ!UFOの世界へ!」

「あっ!く……じゃなかったっす。ええっと。」

「クルミだよ。」

「え、そのままなんっすか?」

「うん……。ある意味そのまま……。」

スタッと軽やかに着地した夏葉に、私は元気よく話しかける。

「言われて来てみたっすけど、ここは……?」

「リコンストラクションタウンだ。俺たちはリコタウンって呼んでる。」

「へ~。ほんとに発展途中みたいな街並みっすね。ちなみにお名前は?」

私に追いついて説明する楓翼くんに夏葉が質問する。

「フウキだ。それで、こっちがクルミ。」

「なるほどっす。フウキが居るって事はやっぱりこの人はくるみんなんっすね。」

その言葉に私は驚いて、すぐに納得する。

「え!?あ、この姿だからか……。安心して!私は正真正銘、くるみんなのです!良くぞ気付いた!」

「町に落ちてきて早々、手を振りながら近寄ってくる人なんて、くるみんか荒手の勧誘の人くらいっすし。」

「もしかして私、荒手の勧誘の人と同じ目で見られてた……?」

「ははっ。ごめんなさいっす。ちょっとからかってみただけっす。心配しなくても大丈夫っすよ。初ログインした友達を元気に迎えに来てくれた美少女にしか見えないっすから。」

「美少女って……。もうっ、見た目がかっこよくなったからってからかわないの!」

私は少し赤くなりながら頬を膨らませる。

その後、夏葉の冒険者登録のために私たちはギルドに向う。

夏葉の見た目を今一度解説しておくと、黄土色の髪をツインテールにまとめ、燃える様な綺麗なオレンジ色の眼をしている。そこに駆け出し冒険者の服装。陸上部での身体能力がこの世界にも反映されているのだろうか、見た目だけで早そうである。

楓翼くんとはまた別のかっこよさがあると私は思った。

道中は夏葉にギルドのシステムについてや、お金のそれぞれの価値についても話しておいた。

「おお。槍にしたのか。」

それは冒険者登録を済ませてきた夏葉への楓翼くんの第一声だった。

「いいじゃん!なんか様になってるよ!」

「そうっすか。良かったっす!」

自身の持つ槍を見つめてから笑顔になる夏葉。準備は出来た。

「さて、スキル集め&レベル上げと行きましょう‼」

「ああ!」

「待ってました!」

私たちはギルドを出て、昨日タミナさんと行った方向の森へ向かった。


リコタウンの外壁を出てしばらく道沿いに歩き、道からそれて森に入る。

緑の草々が日光に当たって煌めき、木々からの木漏れ日は森の中を優しく照らしている。

「奇麗な森っすね~。」

「だよね~。お昼寝に最適な所でしょ~。」

「そうっすね~。」

私と夏葉の間にはいつの間にかほのぼのとした雰囲気が漂っている。

「あんまり気を抜くなよ。いつ敵が出てきてもおかしくないんだからな。前のゴーストウルフみたいな奴が出てきたら魔法の使えない俺たちじゃ太刀打ちできない。」

そこに楓翼くんが注意喚起を入れてくる。確かに今はモンスターがどこにいるか分からない森の中。気を抜いたらやられかねない。

ガサガサ

そんな事を思って気を取り直すと、あからさまに物音を立てて何かが飛び出てきた。

「来たか。」

楓翼くんは腰に下げた剣に手をかけて構える。

「キューゥ。」

「……。」

出てきたのは赤いウサギ――、否、子犬程もあるリンゴウサギである。

「リンゴウサギ……?」

「うわぁ~!かわいい~!」

動揺している楓翼くんをよそに私は出てきたリンゴウサギに飛びつく。

「おい⁉」

私はリンゴウサギを抱きかかえ、頬を押し付けて可愛がる。

くりくりの黒目に楕円形の足、アルファベットのブイの様な赤い頭に胡桃の髪と同じ色の体、小さな口。ゆるキャラを極めたかのような可愛らしい姿である。

「大丈夫なのか?」

「敵意は……ないんっすかね?」

「わからないけど、いい子だよ~。んん~!かわいい!このまま私のペットに……!いや、この世界だと従魔に!ねぇ、君、私の従魔になってよ!」

私は抱きしめたままリンゴウサギと目を合わせて言う。

すると、リンゴウサギの額に淡く光る緑色の魔法陣が現れリンゴウサギに馴染むようにして消えた。

チャリンっとシステム音が鳴ると、半透明のパネルが出てきた。

「えーなになに。スキル従魔契約、従魔召喚を獲得‼リンゴウサギが新たに従魔になりました⁉」

「キューゥ!」

「マジっすか。」

リンゴウサギと戯れていたらスキルを獲得してしまった。見ると、リンゴウサギの体力バーの上に名前がつけられるようになっている。

「私の従魔になってくれたんだね~。ありがとう~。じゃあ、今日から君の名前はぴょこたんね!」

再びリンゴウサギに頬を擦り付ける胡桃。名前が可愛すぎるかもしれないが、見た目が可愛すぎるのでピッタリだという事にしておこう。

ガサガサ

今度は楓翼の横から物音がした。

楓翼は再び腰の剣に手をかけて、相手が出てくるのを待つ。

ガサッ

飛び出てきたのは人形サイズの草が生えたモンスター2体。ギザギザな口に、明らか敵対モンスターだと分かる釣りあがった目。

そのモンスターは鳴き声を上げながら楓翼と夏葉にジャンプして襲い掛かってきた。

「……!」

「ええ!私にもっすか!」

夏葉は背中に背負っていた槍を取り、反射的にその柄をぶつけてモンスターを弾き飛ばす。

楓翼も攻撃を避けると、剣を抜きモンスターに切りかかる。

モンスターはすばしっこく、なかなか攻撃が当たらない。

何度か振ったところでようやくヒットし、草のモンスターは青色のピクセルとなって消滅した。

夏葉も同じく槍を振り回し、ヒットさせて倒した。

「ふぅ。」

「なかなか当たらないもんっすねー。」

無事初バトルが終わると、胡桃と同じくチャリンとシステム音が鳴り2人の横に半透明のパネルが出てきた。

「俺は片手剣初級の常時スキルを獲得したらしい。」

「私も槍使い初級の常時スキルを獲得したみたいっすね。」

それぞれ獲得したスキルを確認したところで、私はぴょこたんを抱いて立ち上がった。

「それじゃ、どんどんモンスター倒してスキルをゲットしようー!」

それから、3人は出くわした色々なモンスターを倒し、スキルを集めながらレベルを上げた。

具体的には、先程の草のモンスター。このモンスターには群れる習性があるらしく一機に5体も出てきた。次にタコさんウインナーの様なモンスター。こちらは胡桃が従魔にしようとしたが、間違えて倒してしまった。そして、種を飛ばしてくる花型のモンスター。夏葉と楓翼が流石の身体能力で種を回避し、先にモンスターにたどり着いた夏葉が倒した。

「なつっちは陸上部だからともかく、フウキは普通に身体能力が良いからなー。体育の時も時々活躍してるしー。」

なぜか嫉妬したように言う胡桃。自分だけモンスターの攻撃を避けられないのが悔しいらしい。

実際にモンスターが飛びかかってきた暁には、胡桃は硬直してしまう。なので、夏葉か楓翼が間に入ってモンスターを倒している。

ちなみに夏葉のプレイヤーネームは「なつっち」である。

「レベル5か……。初日にしては順調なんじゃないか。」

「そうっすね。私はレベル6っす。」

「私、まだレベル3なんですけど。」

今の私の腕の中には、ぴょこたんと新しく従魔にした針が草のハリネズミ、草ハリ。

モンスターを従魔にするとレベルが上がるらしく、私のモンスター討伐数はゼロだけどレベル3なのである。

夏葉はあの種を飛ばしてくるモンスターで経験値を稼いだらしい。

ちなみに敵を倒した時とレベルが上がった時にステータスポイントが貰える。

正確には、敵を倒した時はステータスポイントが貰えるだけだが、レベルが上がった時にはそれに加えて、ステータスの全てにそのレベルに応じたステータスポイントが振り分けられる。つまり、全てのステータスが上昇するという事だ。

楓翼くんと夏葉は物攻と素早さにステータスポイントを振り、私は魔量に全て振った。

「というか、なんか暗くない?」

「確かにっす。さっきと雰囲気が違うっす。」

「少し奥まで進みすぎたか?」

辺りの風景は先程と違い、木の葉が日光を遮って暗く、腰近くまで伸びた草が周りに生い茂っている。

「じゃあ、取り合えず引き返……。」

私が提案しようと振り向くと、2人は武器を取って戦闘態勢になっていた。

周囲を警戒するように正面や左右、背後に視線を向けている。

「なにか嫌な予感がする。」

「同感っす。」

ガサガサ

すると、察せられた事に気づいたのか茂みから黒い影がでてくる。

「……っ!」

「えっ、狼!?」

森の闇に紛れるような紫がかった黒い体毛を持ち、白く鋭い牙を剝きだして威嚇する狼。その大きさは楓翼の胸下ほどまで届く。

その姿に楓翼くんと私は息を吞む。

そして、昨日のタミナの言葉が頭をよぎった。

(ああ、闇属性のウルフは特別、知能が高いのですよ。紫がかった黒の体毛が特徴ですね。基本群れるのですが、死霊が取り付いて先程の様なゴーストウルフになると単独で動きます。)

「この狼が、ゴーストウルフになる前の……。」

「って事はつまり……!」

闇属性のウルフは群れを成す。そう、1匹だけではないのだ。

ガサガサ

ガサガサ

四方八方の茂みから約15頭ほどの狼が唸り声を上げながら現れ、胡桃たちを囲んでいた。

「囲まれたっすね。」

「ああ。どうやら戦う他ないみたいだな。」

そう言った楓翼くんの顔には冷や汗が浮いている。

ウルフ一体でも、勝てるかどうか分からない相手だ。

「気を付けて、なつっち!多分、この狼は今まで戦ってきたモンスターの中で一番強いから!」

私は槍先を下に向けて構える夏葉に呼びかける。

「わかったっす!出方が違うのはそういう事だからっすよね……。」

夏葉は警戒態勢のまま視線だけをこちらに向け、意を決した様に大きな声で返事をする。そして、すぐに視線を戻して小声で呟いた。

すると、楓翼くんが夏葉に言う。

「なつっち、クルミを頼む。」

「……っ!……了解っす。」

その言葉に少し目を見開きつつ、夏葉は了解する。

楓翼は再度、気持ちを引き締め、鉄剣を構え直す。

「くるみん!私の近くに!」

「は、はいっ!」

叫び、夏葉は胡桃が居る後ろへ飛ぶ。

その声が、戦闘開始の合図となった。

楓翼は胡桃たちの前に立ち、狼たちは、楓翼の正面に一歩前に出ている狼を筆頭に3匹で嚙みかかってくる。

「……っ!」

楓翼は右の狼の下に潜り込み、その腹に切り込む。受け身を取った後、立ち上がって振り返った狼と向き合う。

まだ剣の扱いに慣れていないため、負わせられた傷は浅かった。

夏葉は真ん中の狼に槍先を向け、攻撃範囲内まで接近するのを待つ。

「スピアスキル≪千槍一線≫!」

高速な千回の突き。そして最後に、大きく一歩踏み込んで光の一線、貫通攻撃の一撃で貫かれる。もろに攻撃を食らった狼は赤色のピクセルとなって消滅した。

が、前進してしまった夏葉は、胡桃へと向かう左の狼に対応できない。

「くるみん!」

宙に浮いた状態で半身振り返った夏葉が胡桃に危険を知らせる。

「草ハリ、≪草針(そうしん)≫!」

「マチ!マチー!」

私が草ハリにスキル名を言うと、草ハリは緑の背中に生えた草を逆立たせ、狼に向かって草の針を背中から発射する。

「ガウッ!?」

「せい!っす!」

HPを半分以上削り、狼の動きが止まった瞬間に夏葉が素早く槍で止めを刺す。

無事2体を討伐した。

今まで牽制状態で相手の出方を伺っていた楓翼と狼は、先に狼がしびれを切らし、牙を剥きだして突っ込んできていた。

「……ッ!」

楓翼は右に一歩踏み出して攻撃を避けると、鉄剣を両手で持って左に構え、勢いよく振り、真横を通り過ぎる狼の体の横に切り傷を与える。

狼の近くに表示された残りHPがなくなり、赤いピクセルとなって狼は消失した。

「フウキ、大丈夫?」

「ああ、ダメージはない。」

胡桃たちの近くへと戻った楓翼は、3人で背中を合わせて武器を構える。

「後12体っすね。」

「私も戦うよ!」

「やっとっすか……。」

「うん!ナイフ持ってるの忘れてた!」

元気にそう言って胡桃は腰に装備しておいたナイフを抜き、胸の前で構える。

「ヴヴヴゥ。」

12体のうち3体が胡桃たちに飛びかかってくる。

3人はかがみこんで前に進み、狼を躱す。

流石の連携力といったところだろう。飛びかかって来た3体の狼は互いに衝突しず、そのまま戦闘に加わった。

楓翼と胡桃は適度に距離を取りつつ、狼と交戦する。

「えいっ!ほいやっ!おりゃー!」

胡桃は手に持ったナイフで狼を突き刺したり、切り傷を与えたりしている。

が、彼女は目をつむっていた。攻撃など見ず、ただ出鱈目にナイフを振り回しているだけである。

狼をギリギリで躱しながら、じわじわと倒せない程度のダメージを与え続けている。

一方、楓翼も狼を躱しながら空振りが多くありながらも、どうにか狼へダメージを負わせられていた。

飛びかかって来た狼を真下に潜り込んで受け身を取りながら、その腹を狙って倒す。

次に、走ってくる狼を横にずれて躱し、剣を横に振る。

夏葉はスキル、千槍一線を使って2頭の狼がいる場所を狙う。

1頭は既に少しダメージを負っていたので千の突きで倒し、もう1頭は最後の貫通攻撃で倒す。

貫通攻撃の前進で移動し、他2頭の内の1頭の攻撃を回避する。

「よっと!」

すると、残りの1頭が正面から噛みかかってくる。

「ふっ!」

綺麗な黄土色の髪をなびかせて、狼の連携攻撃をバク宙で少し後退しながら回避して着地の際にしゃがみ、狼の首元に槍を振る。

クリティカルヒットで狼は消失した。

楓翼を躱し、横を通り過ぎた狼がサッと振り返って飛びかかり、不意を衝いてくる。

楓翼も即座に振り返り、回避と攻撃を試みる。

「クッ……!」

避けきれず、狼の爪が肩をかすめる。

少し遅れて振り下ろした鉄剣は狼を切り裂いて赤色のピクセルへと変える。

「だいぶHPが少なくなってきたな……。」

楓翼の相手をしている狼は残り2頭。もろに攻撃を受けていないものも、小さなダメージがつもって残りのHPは半分以下。HPバーは緑から黄色へ変わっている。

そして、ふと胡桃の方を見る。

狼は夏葉、楓翼、胡桃にそれぞれ4頭ずつで相手をしている。

じわじわとHPを削り、ようやく狼を倒し始めた胡桃の背後、胡桃が相手をしている4頭の内の最後の1頭が、胡桃の肩に嚙みつこうと走り出している。

目の前の戦闘に夢中で胡桃は狼の接近に気づいていない。

ようやく狼を倒して、胡桃がそれに気づいた時にはもう遅かった。

「ひゃぁっっ‼」

カン!

「うぐっ……!」

「フウキ⁉」

間一髪。

一番近くにいた楓翼が鉄剣を狼に噛ませて攻撃を防いだ。剣の刃は狼の牙で止められていて、ダメージは与えられなかった。

「今だ!」

両手で鉄剣の柄を持って狼の進行を抑える楓翼。その腕は震えており、力の差で今にも押し切られそうだ。

胡桃は驚きの表情からサッと真剣な表情へ変える。

「うん!」

下を向いてそのクリーム色の髪で顔を隠して楓翼の横を通り、狼の首に横からナイフを突き刺す。

「サッ……。」

狼は赤色のピクセルへと姿を変える。

「今のクルミ、なんか通り魔みたいだったな。」

「自分で効果音を言わなかったら完璧だったんっすけどね。」

狼から解放された楓翼がその一連の動きの感想を述べ、やってきた夏葉が笑い気味に言う。胡桃はすっと元に戻り、照れたように頭の後ろを掻く。

「えへへ。私、ものまねは得意なので。」

「知ってるっすけど、間違われないように気を付けてくださいっす。警察に通報されたら何と説明すればいいか……。」

「大丈夫、大丈夫。犯罪者のものまねは現世ではやらないよー。」

ツッコミどころが色々とあるものの、今は最後の2頭を倒さなければならない。

「あの2頭はフウキが倒すっすか?」

「ああ。」

言うと楓翼は唸る狼の方へ歩みだす。そこを胡桃が呼び止める。

「ちょっと待って、フウキ。」

「……?なんだ?」

「ぴょこたん!≪ヒール≫!」

胡桃の肩からぴょこっと出てきたぴょこたんは緑色のオーラを纏う。

同じく楓翼も緑色のオーラを纏い、HPが回復する。今のHPは全体の3分の2。

「ごめんね。今はこのくらいしか回復できないんだ。」

「十分だ。回復できるだけ有難い。ありがとう。」

申し訳なさそうに言う胡桃に、楓翼がお礼を伝える。

そして、再度、狼と向き合い、歩みだす。

「ぁ……。」

聞き取れるかどうか分からないほどの小さな呟きは、楓翼の口から発せられたものだった。そして、彼は少し目を見開いていた。その視線は狼の頭部、正確にはその耳。

2頭の狼の耳は何かの音を聞きつけたかのようにピクピクと動いていた。

楓翼がそれに気づいてから1秒も経っていなかった。

「ヴォオーーーーン!!!!」

どこからともなく、低い声で地面を震わせる狼の雄叫びが聞こえてきたのは。

「な、なんっすか!?」

響き続ける轟音。すると、突如として視界が歪み始め――、否、風景が歪み始めていた。胡桃、楓翼、夏葉以外が歪む。もちろん2頭の狼もである。

そして、そこに違う風景が混ざり、歪みが治まって移動が完了すると同時に雄叫びは止んだ。

「強制的なステージ移動、か。」

「夜……っすか。」

「わぁ……。見て!赤い月があるよ!」

はしゃいだように夜空を指さす胡桃。その薄明るい空に大きな赤い月が確かにあった。

「お~。」

胡桃と夏葉がその幻想的な風景に見とれている間に、月明りに照らされて薄い赤に染まっている周辺を、楓翼は見渡す。

ゴツゴツした岩肌が露出し、所々に草が生え、広範囲を高い岩の壁で囲まれている。おそらくクレーターかカルデラの内側だろう。

「……っ!」

楓翼は反射的に、クレーターの中央にある岩の柱の上へ視線を向ける。

大きな赤い月に黒いシルエットが浮かぶ。シルエットはむくりと起き上がり、その形がハッキリと分かる。

「え、あれって……。」

胡桃たちも月を見ていたのだから当然気づく。

注意しなければ、夜の暗さに紛れて見過ごしてしまうであろう黒い体毛。月の薄明りで薄赤色に染まる周辺の中で際立って光る深い赤色の眼。

月下の狼、ダークウルフの頂点。狂った神ともいわれた存在。

狼は柱の上から降り立つと、その巨体に似合わず小さな砂埃を立たせる。その大きさは先程の狼よりも巨大で、縦幅は3人の中で一番背の高い楓翼を少し超す。

「もしかして、あの狼って、来月のアップデートで追加される4邪神の狼の邪神!?なんでここに!?」

声を上げたのは胡桃である。それに夏葉が反応する。

「知ってるんっすか?」

「うん。UFOの公式サイトのニュースに書いてあったよ……。でも、リリースはまだのはずなのにどうして……。」

最後の文を小声で言い、胡桃は違和感に顔をしかめる。すると、その疑問に答えるかのように、胡桃の右目が淡く濁った水色に光って消える。

「邪神っすか……。強そうっすね。いや、間違いなく強いっすね。」

槍を取り出して、夏葉は頬に冷や汗を浮かべて言う。

月明りのおかげで狼の邪神の輪郭は、薄赤色ではあるが、ハッキリと見えている。

しかし、狼の邪神はその赤い目で何かをジッと見ていた。視線の先は胡桃の右。

そこに立つのは、楓翼だ。

立っているだけで、押しつぶされるほどの強烈な威圧感を2人に与えてくる邪神。やはり、他のモンスターより異次元に強い事は間違いない。

動く事を許可されているのは楓翼のみ。状況からして、あの狼と戦えるのは彼しかいないのだ。

意を決したように、楓翼は一歩前に踏み出すと、狼の方へ歩み出す。

「……、ぁ……。」

胡桃は息を吞む。

今の彼の顔には幼さがない。初めてログインした時に見た、あの顔。今からダイブする世界を見下ろしていた時のあの顔を、彼はしていた。

――誰に対する甘えを捨て、自分ただ1人で挑もうとする静かで勇ましい表情を。

風が吹き、髪がサラサラとなびく。

楓翼は剣を握る手に力を籠める。狼は膝を曲げて前傾した姿勢をとる。

そして、楓翼と狼の邪神はほぼ同タイミングで互いの方へと駆け出した。

「……っ!」

衝突する2メートル手前の地点で、狼は素早く口を開く。

その距離が埋まるのは1秒もない。

ぶつかる直前の所で楓翼は右に飛んで駆け、すれ違い際に攻撃を加える。

狼は一秒前まで楓翼が居た場所で、勢いよく口を閉じて一時停止。

楓翼は精一杯に狼の方へ体を傾け、勢いを殺す。

そのまま狼の腹下に潜り込んで剣を振り、受け身を取って立ち上がる。

細かく当たり判定があるらしく、皮膚の分厚い外側より腹部近くの方がダメージが大きい。明らかな致命傷を負っても一撃では倒せないのがいかにもゲームらしい所だ。

「≪跳躍・弱≫。」

楓翼は先程に習得したスキルで後方へ飛び、狼から距離を取る。

宙に浮いている間、急に楓翼の視界が真っ黒になった。月が雲に隠れたのだろうか。

いや違う。

空に雲はちらほら存在するが、その程度で全ての光を遮れる程の月の大きさではない。

楓翼の頭上に2つの輝く赤色が現れる。

「なっ……!」

「フウキ‼」

胡桃の叫ぶ声。

浮いている状態では移動できない。移動に使用できるスキルもない。

目の前の狼は、口を大きく開いて飛びかかってきている。

――やられる!

反射的に剣を縦にして前にかざし、剣の柄と剣身の側面に手を置いて腕に力を籠める。

刹那に剣の端から見えたのは、狼の鋭い牙が迫ってくる瞬間、

ではなかった。

狼がサッと口を閉じ、鋭い爪を持った前足を振り下ろす瞬間だった。

――フェイント⁉

まるで弾丸のようなスピードで地面に叩きつけられる楓翼。大きな砂煙が立ち、外から楓翼の状態を確認する事は出来ない。

追撃をせずに、狼はその様子を大人しく見ていた。

砂煙が少しずつ晴れてくる。

衝撃で凹んだ地面の中央。片膝をつき、剣を地面に刺して半身を支える人影がぼんやりと見えてきた。

HPバーは赤になり、全体の3分の1弱ほどしか残っていない。

立ち上がる同時にはっきりと見え、楓翼は狼の邪神を真っすぐ見返す。

「≪加速≫。」

楓翼は静かに言うと、狼を回り込むように左へ走る。

その勢いのまま狼の腹下に飛び込んで鉄剣を振るい、受け身を取る。

狼はその漆黒の毛をなびかせながら、小さくジャンプして即座に振り向き、起き上がった楓翼へ前足の爪を振り下ろす。

その巨体に反して、森で戦った狼以上の素早さだ。

楓翼は右にステップを踏む。

左肩から赤色のピクセルが散らばって、空中に消える。ダメージエフェクトが表示されたのだ。しかし、今の彼の動きは格段に速くなっている。

爪は地面をえぐり、真横で低音が響いて砂煙が狼の前足を隠す。

「……!」

楓翼は顔をしかめながら、勢いよく前に踏み出して体をひねらせ、回転する。

2つの傷を負わせてから、地面に片足を付け、そこを軸に勢いを利用して身を翻す。

狼は再び即座に振り返って、前足を振り下ろしてくる。

楓翼はサッと前に一歩踏み出してギリギリの所で攻撃を避け、狼の頭の下に潜り込む。

「≪跳躍・弱≫‼」

強く地面を蹴って斜め上へ飛び上がり、狼の首元を鉄剣が深く切り裂く。

「グッ……⁉」

飛んだまま狼から距離を取る。狼はゆっくりとこちらを振り向き、互いに向き合う。

楓翼は剣を構え直し、狼の邪神は前足の膝を折って再び前傾姿勢になる。

再度、剣を握る手に力を入れ直す。

狼が走り出し、楓翼も走り出した。すれ違う瞬間がこの戦いの勝者を決める。

「グオォォォ!!!」

「うおぉぉぉ!!!」

振り下ろされる3本の鋭い爪。

振り下ろされる1本の鉄剣。

そして、赤色のピクセルは空中で煌めく。

切り落とされた爪。

砕ける鉄剣。

両方とも紫のピクセルとなって消滅する。

「……、くっ……!」

二の腕と太ももに切り傷を負った楓翼。

対して狼の邪神は横腹に大きな傷を負っていた。

狼のHPがゼロになる。が、消滅に耐えるかのように、その体にノイズが発生する。

「……。」

「……。……っ!」

楓翼は大きく目を見開く。

自らの消滅間際に、狼は背を向けた状態でこちらを見ていたのだ。その目は何か決断をするようで、殺意はなかった。

「……。本気のお前と戦いたかったよ……。」

次は狼が目を見開く番だった。そして静かに目を閉じた。

ラグが解消され、狼の邪神は真紅のピクセルとなって虚空に消えた。

そこに残ったのは、地面に突き刺さった1本の剣。

最後の一瞬に見えた彼の表情は、楓翼には薄っすらと笑みを浮かべていた様に見えた。


狼に背を向けて立つ楓翼を、2人は少し離れた所で見ていた。狼は消失し、楓翼はHPがミリの状態でその場に佇んでいた。

「ぴょこたん!ヒール!」

ぴょこたんと共に楓翼に駆け寄る胡桃。冷や汗を浮かべ、その顔は酷く青ざめていた。その後から夏葉がついてきている。

「だ、大丈夫!?フウキ……!」

「ああ。大丈夫だ。」

所々が裂けた服に剣身のなくなった剣を持ち、楓翼は平然を装う。

「よかった……じゃなくて、全然大丈夫じゃないでしょ⁉」

「ははっ、そうだな、流石に疲れた。」

そういう彼の声には、確かに疲れが滲んでいる。楓翼はその場にドサッと腰を下ろす。

その様子に胡桃は安堵し、昨日貰った薬草のポーションをインベントリから取り出して楓翼に渡す

「もー、あんまり無理しちゃダメだからね?取り敢えずHPだけでも回復しておこう?」

「ありがとう。」

受け取って楓翼がポーションを使うと、たちまちHPは全回復した。

「それにしても驚いたっすよ。いつの間に加速と跳躍・弱のスキルを習得したんっすか。」

「跳躍・弱はレベル上昇、加速は圧倒的速さを持つ相手の攻撃を1度避けるか防御する事が習得条件らしい。」

「なるなる。私も加速のスキル習得したいっす~。」

楓翼のその背中を見ながら、胡桃は思っていた。

もしこの世界にダイブしたあの時に、私と楓翼くんが偶然に出会っていなかったら、楓翼くんは1人でこの世界を旅していたのかな。

楓翼くんは私を置いてどこか遠くに、手の届かない所まで行ってしまうのかな。

そんなの嫌だ!

胡桃は頭に浮かんだ嫌悪な思考を振り払う。

私は……!

「さて、と。」

胡桃の思考はそこで中断され、楓翼は立ち上がって手に付着した砂を払う。

後ろを振り向いた先。楓翼に敗れ、狼の邪神が消失した場所。そこには漆黒の剣が1本、地面に刺さっていた。

真っすぐな剣身。月明りに照らされて光沢を放つ、漆黒の表面。一番に目を引くのは、ルビーの様に光り輝く赤紫の刃先だ。柄の部分も、赤紫に輝く細い線でデザインされている。

この剣からは、どこか神秘的な雰囲気を感じる。

「おお……。」

胡桃は一目剣を見て声を漏らす。楓翼は剣に近づき、その柄を掴む。

なぜ、狼の邪神が俺にこの剣を譲ったのかはよく分からない。しかし、アイツが何かを伝えようとしていたのは確かで、俺に剣と共に何かを託そうとしていた。

それは、今は分からない。

「でも。」

アイツがこの剣を、その何かと共に俺に託したのだ。わざわざ手加減をしてまで、レベルが低い俺に負けただけの理由があるのだ。全力で戦っているような演技までつけて。

最後のあの目とあの笑みが語っていた。

後は頼んだ、と。

そう言っている気がした。

楓翼は思いっきりに剣を地面から引き抜く。一振りして感覚を確かめつつ、剣についた砂を飛ばす。

月光を浴びて煌めく新たな相棒を、もう一度眺める。

「なっ……。」

すると、楓翼の周りに無数のピクセルが集まり始めた。光り輝くピクセルは楓翼の体の周りを漂い、包み込んだ。

光を失うと共にピクセルから生成されたのは、新たな服だった。ボロボロだった駆け出しの服から一転、柔らかく動きやすい素材で出来たシャツとズボン。その上に、顎近くまである高い襟に膝を少し超す長さのコートを羽織っている。

全体的に黒が占める色の中に、剣の刃と似た赤紫が含まれている。

「これは……。」

「お~、これで装備一式揃ったって感じっすね。」

「すごく似合ってるよ!フウキ!」

少し頬を赤くして胡桃は柔らかく微笑む。楓翼は振り返って笑顔を返す。

「ありがとう。」

夏葉は、胡桃が楓翼のその姿に見惚れていた事を見逃してはいなかった。

 明日は6月23日、日曜日。休日である。

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